「リリア、メイベル、コンスタンス。おはよう。朝のお祈りにいってくるわね。それと、聖薬は私が騎士団長様のところに届けに行くから」
翌朝、できたばかりの聖薬が入った箱を手に三つ子たちに声をかければ、三つ子たちの目が丸くなった。
「ラリエット様っ。目の下にひどいくまが……!」
「もしかしてラリエット様、ひとりであれを全部お作りになったんですか?」
「ニナ様は? もしかしてラリエット様に皆任せてまた逃げちゃったんですかっ?」
あきれ顔のメイドたちに、苦笑して肩をすくめてみせた。
「ふふっ。いいのよ。それよりニナに、午後の孤児院での奉仕は絶対にさぼらないでって言っておいてね。ニナがいないと子どもたちががっかりするから」
ニナはこの方が色々と得するから、と王城や貴族の前では可憐で清楚な聖女を装っている。
けれど子どもたちの前では素のままに振る舞っていた。
どうせ勘のいい子どもたちはだまされてくれないから、とか言って。
子どもたち相手に飾らず明朗快活に振る舞うニナを見ていると、子どもたちに大人気なのもわかる気がする。嘘がないというか、素直というか。
少々がさつに映る懸念は確かにあるけれど王城でも素のままでいたらいいのに、なんて思ったりもする。
けれどそれだけは、どうしても譲れないらしい。
ともかくも、他の務めはサボっても子どもたち相手の務めだけは遅れずにきてもらわなければ。
「わかりましたわ。……にしても、ラリエット様? ちょっとお人好しが過ぎますよ。あんまり無理しないでくださいね」
「そうですよ。なんていっても、この国の大事な大事な聖女様なんですからねっ!」
「今日のお食事は、精のつくものをご用意しておきますね! もちろんニナ様には苦手な豆をたっぷり入れてやりますっ」
「ふふっ! ありがとう。リリア、コンスタンス、メイベル。じゃあいってくるわね」
三つ子たちのあたたかな視線に見送られ、聖女宮をあとにしたのだった。
コンコン……!
「失礼いたします。ラリエットです。お約束の聖薬をお持ちしました」
朝の祈りを終えたその足で、第二騎士団の詰め所へと向かった。
訓練に励む団員たちの威勢のいいかけ声や、剣と剣とがぶつかり合う金属音を聞きながら、扉が開くのを待つ。
少しの間のあと、屈強な体付きの騎士団長がのっそりと顔を出した。
見上げるほど大きな体に圧倒されつつ聖薬の山を手渡せば、日に焼けた顔がほころんだ。
「おぉ! これは聖女様直々に申し訳ない。……確かに百個、受け取った」
箱の中にぎっしりと入った聖薬に、団長の顔に安堵の色がのぞいた。
「ふむ! これだけあれば、多少討伐に時間がかかったとしても兵たちも安心だ。すみません、急な依頼をしてしまい……。もしや無理をさせてしまったのでは?」
ふと声ににじむ心配の色に気がつき顔を上げてみれば、騎士団長の気遣うような視線が目の下の辺りを泳いでいた。
そんなに目の下のくまがひどいのか、と慌てて首を横に振りうつむいた。
「とんでもございません。国を守ってくださる皆様のお手伝いができて光栄です。それにこれは、聖女の当然の務めですから」
命を懸けて魔獣と対してくれる団員たちの苦労に比べれば、なんてことはない。
本当ならば聖女がその場に一緒に同行し癒しを施すべきなのだ。なのに、身に危険が及ばないようにという理由で同行せずに済んでいるのだから。
団長の口元から白い歯がのぞいた。
「ははははっ! 国を守るというなら、聖女様こそが要でしょう。何せこの国は聖女様と聖獣に守られた国ですからね」
「いえ……、要だなんて……」
どう返せばいいのかわからず口ごもれば、団長が少し声を潜めた。
「……いい機会ですから、ラリエット様には念のためお伝えしておきましょう」
「なんでしょうか?」
団長の顔からすっと笑みが消えたのに気づき、はっとする。
「実は今回の魔獣騒ぎと同様の異変が、ここのところ国内で頻発しております。民に動揺を与えないために、そのいくつかは伏せておりますが……」
「頻発……? では、もしやすでに町や村にも被害が……?」
「あぁ、いえ。そこまでは。畑を荒らされたり突然現れた魔獣に驚いた農民が転んでけがをしたり、といった程度で……。ですが」
一瞬言い淀み、団長が続けた。
「どうにもここのところ、魔獣たちの攻撃性が増しているようなのです。神官たちの中には、過去に国を荒らした大型の魔獣が眠りから覚めようとしているのでは、などと考える者たちもいるようでして……」
「それって……過去に幾度となくこの国を滅亡の危機にさらしたという、あの魔獣のことですか……?」
背筋がすっと冷えた。
もしもそんなことになったら、この国の平穏は打ち破られてしまう。
百年も昔に聖獣が姿を消してしまった今、聖女など癒しが施せるだけのただの生身の人間に過ぎない。強大な力を持つ聖獣を操ることで、はじめて聖女は魔獣にだって立ち向かうことができるのだから。
聖獣の力なしにたとえ兵たちが束になって戦っても、そんな大きな魔獣相手では到底太刀打ちできないだろう。
思わず不安からぎゅっと両手を握り合わせれば、団長が慌てて笑みを戻した。
「まぁ、ただの推測ですがね。ですが、魔獣たちの騒ぎは今後もしばらく続くやもしれません。となればまた、こんな無理なお願いをすることもあるかと……。ですので、一応聖女様にもお知らせをしておいたまでのこと」
「……わ、わかりました。では念のためこちらもいつでも対応できるよう、用意しておきます。どうぞ皆様、お気をつけて」
「なぁに、心配はいりませんよ。さっさと片づけてまいりますのでご安心を! では!」
詰所を出たラリエットは、ふと足を止め考え込んだ。
もしも今大昔にこの国を荒らしまわった大型の魔獣が現れたら、この国はどうなってしまうのだろう、と。
いくら聖女としては優れているとは言っても、大型の魔獣を抑え込めるような力は持っていない。小型の魔獣くらいなら一瞬動きを封じる程度はできるけれど、強い力を持った魔獣ともなれば話は別だ。
聖女とは言ってもただの人間なのだし、魔獣を撃退するには聖獣の力は必須なのだ。
なぜ聖獣は、この国から姿を消してしまったのだろう。眠りについているのか、それとも完全に姿を消してしまったのか。
聖獣の出現は、例の大型の魔獣の出現と何か相関があるのだろうか――。
これまで幾度となく繰り返してきた疑問が、脳裏をよぎる。
何か得体のしれない恐怖が足元から忍び寄ってくる気がして、大きく頭を振った。
「きっと大丈夫よ。日々ちゃんと祈りを捧げているんだし、きっと大丈夫。うん……」
そう言い聞かせてはみたものの、あたたかいはずの日差しの中になぜかひやりとした寒々しさを感じ取り思わずぶるり、と体を震わせたのだった。