「ラリエット様っ! ニナ様っ、こっちきて。私、ふたりにあげようと思って花冠作ったの!」
「おいっ、ずるいぞ! なぁ、ニナ様。こっちきて一緒に遊ぼうぜ」
「うわーんっ! 男の子たちが髪の毛引っ張るぅ。聖女様ぁ!」
その日の孤児院もにぎやかだった。
特にニナのまわりには子どもたちが群がり、取り合いになっている。
「ちょっと! スカート引っ張んないでっ。いいからちゃんと順番守って並びなさいっ! 他の子に意地悪する子は、あたしがお仕置きしちゃうわよっ!」
猫なんて被らず素の顔をしたニナは、とても生き生きとして楽しげだ。
いかにも下町育ちらしい少々言葉遣いの乱暴な口調にもまったくひるむことなく、子どもたちも楽しそうにニナにじゃれついている。
石造りの灰色の建物を見上げ、ほう、と息をついた。
ここは幼い頃に私が過ごした孤児院だった。
当時の院長も子どもたちも皆もういないけれど、この灰色を見るとあの頃のことを思い出す。
足の裏に感じる、ひんやりと冷えた石畳みの床の感触。体中に熱を持った傷の痛み。小さな換気用の小窓から見上げた、陰鬱な夜空も。
けれど今の孤児院は、あの頃とはまったく見違えていた。
新しくきた院長が、とても穏やかで優しい人柄だからだろうか。
(そう言えばあの院長と他の子どもたち、今頃どうしてるのかな……)
神殿に行ってしばらくして、自分を見出してくれた神官が教えてくれた。あの院長も他の子どもたちも、皆他の施設に移されてあの孤児院にはもういないのだ、と。
一体どこへ行ったのかと聞いても、その後の消息は教えてくれなかったけれど。
(あの時確か、王城に上がればいずれわかるよって言われたんだっけ……。あれは一体、どういう意味だったんだろう……)
あんなに冷たく感じた建物は、今はあたたかな日を浴びていた。庭には生き生きと花が咲きほころび、子どもたちがせっせと育てている人参やら葉物野菜やらが瑞々しく風に揺れている。
あの時とは見違えるようにあたたかな空気を漂わせる孤児院に、ほっと息をついた。
もうここには自分を虐げてくる人はいない。子どもたちだって明るい笑みを浮かべ、不機嫌聖女をうとましがることなく親しげに近寄ってくる。
そのことがなんだか不思議だった。
今になって思えば、自分のこの残念な性質のせいで皆の被虐心や苛立ちを引き出してしまっていたのかもしれない。
もしもニナのように人を惹きつけるような明るさがあったなら、あの院長とも子どもたちとももっとうまくやれたのかも。
そんなことを思いながら皆の様子を見ていると、スカートの裾をつんと引っ張られた。
「ねぇ、ラリエット様」
「ん? どうしたの?」
この孤児院で一番年少の少女が、何か言いたげにこちらを見上げていた。
「亡くなった王妃様って聖女様だったんでしょ?」
「え、えぇ。そうね。それがどうかした?」
「ラリエット様とニナ様もさ、聖女様でしょう? ならどっちが、デジレ王子の奥さんになるの?」
「ええっ?」
他の子どもたちもわらわらと好奇心に目をきらめかせながら、走り寄ってくる。
「聖女様と王子様は、結婚するのが決まりだって院長先生が言ってたよ?」
「ねぇ! どっちがデジレ殿下のお嫁さんになるの?」
「ニナ様? それともラリエット様? ねぇ、どっち?」
「ねぇ、ねぇ! どっち?」
「ぐっ……! ゴホッゴホッ、ゴホッゴホッ!」
思わずむせ返った。
「なっ……! そ、そそそそそそれは……。別に聖女だからって必ず王族の伴侶になるってわけじゃ……! それに私はそんなつもり……」
子どもたちの輪の向こうに、ニナのいぶかしむ顔が見えた。
「えっ。ラリエット様がデジレ王子と結婚するの? なら、ニナ様は?」
「え、いや、だから……」
「ならデジレ王子は、ニナ様と結婚するの? ラリエット様、デジレ王子に振られたの?」
「ごふっ!」
聖女だからといって、必ずしも王族と結婚すると決まっているわけではない。
そもそも、不機嫌聖女なんて呼ばれている自分があのデジレの伴侶になるなんて絶対にあり得ない。
「二……ニニニニニニ、ニナはともかく、わ……わわわわわ私はデジレ殿下のお相手なんて……!」
目を白黒させながら、そんなことを安易に口にするべきじゃないと子どもたちをたしなめた。けれど子どもたちは一歩も引かなかった。
「でもさぁ、皆言ってるよ? ニナ様かラリエット様のどっちかがデジレ王子様の婚約者になるんだろうって! それってつまり、未来の王妃様になるってことだろ? ラリエット様、デジレ王子のこと嫌いなの?」
「まっ、まさかっ! 嫌いなんてあるはず……。だってデジレ様は私の初……」
思わず口が滑った。デジレと運命の出会いを果たしたこの孤児院にきたせいだろうか。慌てて両手で口を覆った。
「……?」
疑いの色をにじませたニナの目が、こちらを向いていた。
「と、とにかく! 聖女だからって必ず王族と結婚するとは限らないんだし、滅多なことを言っちゃだめよっ! ねっ」
「えーっ!」
「なんでぇ?」
「ちぇーっ!」
口を尖らせる子どもたちとじっとりしたニナの視線をかわし、どうにかその場を逃れた。
――のだけれど、聖女宮に帰り着いてみれば、まさかの騒ぎが待ち受けていた。
「あっ! おかえりなさいませっ。ラリエット様、ニナ様っ! 大ニュースですよっ」
「どうしたの? そんなに興奮して」
三つ子たちのキラキラとした目に出迎えられ、目を瞬いた。
「ふふふふふふっ! それがですねっ。実はすごい噂を聞いたんですよっ!」
「そうそう! なんと今度の建国の式典で、陛下からおふたりのうちのどちらかをデジレ王子殿下の婚約者様にするってお達しが出るんじゃないかって!」
「おふたりともが婚約者候補として、デジレ殿下と顔合わせをして決めるんだそうですよ? きゃーっ!」
あんぐりと口を開いたまま固まった。背中をつうっと汗が伝い落ちていく。
恐る恐る隣のニナに視線を移せば、ニナとばちりと目が合った。