一回目の顔合わせが終わり、王城内は婚約者選定の噂で持ち切りだった。
「ふたりのどちらが選ばれるかしら!? もうふたりとも、一度目の顔合わせは済んだのよねっ」
「私が聞いたところじゃ、ニナ様が有力みたいよ! 会話もとっても弾んで、殿下もとってもお優しい態度だって」
「あら、私はラリエット様といい感じに過ごされてたって聞いたけど? 国の未来について、ふたりで熱心に話し込んでいらっしゃったとか……」
女官たちが目をキラキラと好奇心に輝かせ、ひそひそとささやき合う。
当然、当日配置されていた衛兵や使用人たちが口を割るはずがない。となれば、さも見てきたような内容の噂が飛び交っているのはただの想像でしかないのだろう。
別の場所では官吏たちが書類をめくる手を止め、選定の行方について自信満々に持論を展開していた。
「国の将来を考えれば、ラリエット様一択だろ?」
「ラリエット様は日々の務めだけでなく、勉強も熱心らしいしな」
「ニナ様は勉強はあまり得意じゃないって聞くし、婚約者教育でも音を上げそうだもんな」
もちろん城下も、いつもとは少し様相が違っていた。
「腰を痛めてしまってのぅ……。動くたびにミシミシいって敵わんのだよ」
「ではちょっと拝見しますね」
「おうっ、聖女様! この腕のけがをどうにかしてもらえねえか? ちっとも仕事になりゃしねぇ」
「順番におうかがいしますので、ちょっとだけお待ちくださいね」
「聖女様ぁっ! あたしのお人形の目玉が取れちゃったの。直せる?」
「お、お人形……? えーと、針と糸があればなんとか……」
月に三度行われる城下での民への奉仕活動は、毎回大忙しだ。
次から次へと癒しを必要とする民が長い列を作る。
まぁ中には聖女の力など関係ない依頼も飛び込んでくるけど、それはご愛敬だ。
けれどこの日は、いつにもまして盛況だった。
どうやら皆顔合わせの結果が気になって、好奇心から集まってきたらしい。
「おい! ニナ様を見ろよ。相変わらずかわいいなぁっ。俺、断然ニナ様推しだな」
「やっぱ見た目は大事だよ! 絶対その方がやる気が上がるじゃん」
「確かにラリエット様じゃあ、ちょっと華が足りないってのはあるかもねぇ?」
「いや、でも王妃様には力も必要だろう。と考えたら、優秀なラリエット様一択だ!」
「あたしもラリエット様推しだねぇ。伴侶の病気のひとつ治せないんじゃ、やっぱりねぇ……」
あちらこちらから聞こえてくる、ひそひそ声。
それらを聞こえないふりをしながらせっせと行列をさばいていると、ニナがこそこそと耳打ちしてきた。
「……で? あんたはどうなのよ?」
「え? ど、どうって……?」
「だから、自信のほどはどうかって聞いてんのよ。あんただって、未来の王妃様になりたいんでしょ! 一生安楽な暮らしだってできるんだしさ」
一回目の顔合わせが終わってからというもの、ニナは一層肌のお手入れに余念がない。
いつ何時デジレに呼び出されても万全な状態ですぐに飛んでいけるように、とのことらしい。
対する自分はと言えば、まったくもっていつも通り――とは言えなかった。
いつ婚約者の発表がなされるか、はたまた次の顔合わせは本当にあるのかが気になってどうにも落ち着かないのだ。
「私は別に……。殿下は優しく接してくれたけど、それはあくまで社交辞令だし……。それにニナが選ばれるに決まって……」
次の瞬間、ニナの肘鉄が脇腹に刺さった。
「ぐっ……! ニナったら、何するの?」
痛みに顔をしかめながら、ニナを見やる。
「まったくあんたって子は、なんでそんなに自分に自信がないのよ」
「え……?」
「もっと堂々としてたらいいじゃない。あたしはこの国一番の聖女なんだから、選ばれて当然だって!」
「でも私は……」
「何よ⁉」
ニナに詰め寄られ、もごもごと口ごもった。
「私は……、呪われているから。そばにいる人を、不幸にしてしまうから……。だから……」
「……は?」
ニナの顔が、何を言っているのかと言わんばかりにけげんそうに歪んだ。
「あ……。う、ううん! なんでもないの。ただ、ニナは明るくて芯も強いし、皆に好かれてるし……。だからきっとニナが選ばれるって……」
けれど、ニナの反応はなんとも微妙だった。
「あたしは……、ただのハリボテよ」
「え?」
ニナらしくない元気のない反応に、思わず顔をはっと上げた。
「あたしは実際聖力もろくにないし、見た目だけだもの。聖女として考えたら、あんたの方が選ばれる可能性は高いでしょ」
「……」
「こんなの、聖女じゃなくたってできることよ。聖女だなんて呼べないわ」
ニナはそう言って、手に持っていた聖薬や湿布を見下ろした。
聖力の少ないニナは、傷や病気を癒す力はない。だからこうして町での奉仕の時も、事前に用意してきた聖薬などを使って手当てするのが常だった。
いつも明るくてきぱき手慣れた様子で手当てしているけれど、心の底では気にしていたのかもしれない。こんなこと聖女じゃなくてもできる、と。
「ニナ……」
「出来のいい聖女の方がいいって言う人たちだっていっぱいいるわ。あたしだって、国の未来を考えたらその方がいいんじゃないかって思うもの」
「……」
聖女としての優劣だけを考えれば、確かにそうかもしれない。聖力だけ見れば歴然とした差があるし、それは努力でどうにかなるものではないから。
でも――。
「でもやっぱりニナは、立派な皆に愛される聖女だと思う。だって、皆ニナに手当てしてもらった人たちは明るい笑顔で帰っていくもの」
「……え?」
「皆、きっとニナの明るさや快活さに元気をもらっているんだと思う。私は……そういうことはできないから……」
確かに聖力で、強い痛みだって深い傷だって癒してあげることはできる。でも病は気からとも言うし、心が元気かどうかはとても大切だ。
心を元気に明るくすることのできるニナの気質は、きっと聖力にだって負けない価値がある。
そう心から告げれば、ニナはぽかんと口を開いて黙り込んだ。
と同時に、みるみるニナの顔が真っ赤に染まっていく。
「馬……馬っ鹿じゃないの⁉ あたしが立派な聖女とか……!」
ニナはおもむろに持っていた湿布の薄紙をベリリ、とはがすと、力いっぱい目の前の患者の膝に貼りつけた。
「あいででででーっ! ちょっと、聖女様っ。そんな力いっぱい貼らんでもっ!」
打ち身を癒してもらいにやってきたのに、湿布を乱暴に貼られて男が悲鳴を上げた。
「あ……、ごめん!」
ニナはカラリと笑い、なぜかすっきりした顔で楽しげにもう一度ぱしんっと膝を叩いた。
「いでぇっ! ちょっと、聖女様っ。痛いってばよぉ!」
「ふふふふっ! ごめんごめんっ。はいっ! 一丁上がりっと。さっ、次の人どうぞ!」
打って変わってご機嫌な様子で治療を再開したニナに、思わず目を瞬いた。
「ちゃっちゃと終わらせて聖女棟でお茶にしましょっ! ラリエット」
「え? あ、う……うん! そうね」
よくわからないけれど、どうやらいつもの元気を取り戻したらしい。
なぜか急にやる気を出したニナの頑張りのおかげで、あんなに長かった行列はあっという間に片付いたのだった。
ニナと自分とは、見た目も中身も全然違う。正反対と言ってもいいくらいに。
けれどきっとこれからもこんなふうに、にぎやかに和やかにやっていけるはず。
何があったって、この国のふたりの聖女として仲良くやっていける。
そう思っていた。
けれど、その帰り道――。
「どうかした? ニナ」
奉仕を終え聖女宮に戻ろうかと声をかけた時、ニナが一点を見つめいぶかしげな表情を浮かべているのに気がついた。
ニナの見つめる先を追ってみれば、ほんの一瞬人影が見えた。
(あれ? 今のって……?)
すぐにいなくなってしまったけれど、ちらりと見えたあのマントは神官が身に着けるのとよく似ていた気もする。
ニナはどこか鋭い目つきで、小さく首を横に振った。
「なんでもない……。ただ、なんか嫌な視線を感じるなぁって……。ま、気のせいでしょ!」
「そう……? ならいいけど」
この時すでに、自分たちの周囲ではおかしなことが起こりはじめていた。
自分とニナの間を引き裂くような、よくないものが近づいていた。
もしかしたらニナはこの時、何かを察知していたのかもしれない。
この先に自分たちに降りかかる、数々の不穏な出来事と運命を――。