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第14話


 その日ニナは、人気のない回廊をひとりのんびりと歩いていた。


 実に気持ちのいい風の吹き渡る快晴だった。

 できることならこんなお天気の日には、のんびり草の上にでも寝転んでさぼりたい。


 けれどここのところ大分手を抜いていたし、そろそろラリエットがキレる頃かもしれない。


(なんてね。あの子が本気で怒るところなんて、想像もつかないけど)


 ラリエットはぱっと見は陰気だし、感情だって表に出にくい。けれどそれは生来の気質だけでなく、身の上のせいに違いない。

 幼い頃、随分ひどい目にあってきたと聞いているし。


 自己卑下が強すぎるあまり、おどおどしている姿が皆には気味悪く見えるのだろう。


(そう言えばこの間は、自分は呪われているなんて言ってたっけ? まわりを不幸にするとかなんとか……。あれって、どういう意味?)


 正直、始祖の再来なんて言われるほど優秀なくせにうじうじしているあの子に、イラッとすることはある。

 もっと胸を張って堂々としていればいいのに、と。不機嫌聖女だなんて陰口、何か文句があるのかと笑い飛ばしてしまえばいいのだ。


 あの子は絶対に、そんな生意気な態度は取らないだろうけど。


 実際のあの子は、不機嫌聖女どころか馬鹿がつくくらい心優しくてお人好しな聖女様だ。


 誰よりも心優しくて心が広くて、この国の未来も民の幸せも本気でどうにか守ろうと励んでいる。

 それこそこんなハリボテで嘘つきな自分を、立派だなんて言ってのけるくらいに。


(ほんっと、ハリボテのあたしとは大違い……)


 それに引き換え自分は、人気があると言ったってそれは生まれ持った外見と被っている猫のせい。頭だって性格だって、決していいとはいえない。


 おまけに、本当は聖力が少ないどころかほぼないに等しいのだ。もっともこれは、誰にも知られてはならない秘密中の秘密なのだけれど。


 つまりは、どこまで行ってもハリボテはハリボテなのだ。


(にしても、あの時は藁にも縋る思いであいつの話に乗っちゃったけど、もし本当のことがバレたらただじゃ済まないかも……)


 自分と秘密を共有する男の冷たい面差しを思い出し、ぶるりと身を震わせた。


(大丈夫。バレっこないわ。それにあの時はああするしかなかったんだし、今さらよ)


 ここ数日、どうもおかしい。心の中からこんこんと不安や恐れ、焦りみたいなものがわき上がってくるようで、どうにも落ち着かない。


 今さら考えても仕方のないことをぐるぐると考えたって、仕方ないのに。


(はぁー……。一体どうしちゃったのかしら。ラリエットじゃあるまいし、こんなうじうじするなんてあたしらしくもない)


 一回目の顔合わせが終わって、ひと月が過ぎた。

 当然、今のところ何の発表も出ていない。


 デジレと対面してみての感想は――、正直実に退屈だった。はじまってすぐ、回れ右したくなったくらいに。


 別に、デジレの人となりや外見にケチをつけるわけじゃない。


 三人いる王子の中でもとりわけ優秀で国思いで、為政者としての資質も十分。その上外見だってすこぶるいいときてる。

 でも――。


(なんていうか……真面目っていうか、堅物っていうか……。ああいうの、好きじゃないのよねぇ……。肩がこるっていうかさぁ……)


 もともとデジレ本人に、興味なんてこれっぽっちもない。

 好みじゃないし、権力にも特段執着はない。


 まぁきれいなドレスやらとびきり上等な美容グッズには、興味がないとは言えないけど。ただそれだけだ。


 デジレには、真面目で心優しくて国を誰よりも思うラリエットの方がよほどふさわしい。自分なんかよりも、ずっと。

 そんなこと、わかっている。


 でも――。


 それでも、デジレ王子の婚約者の座をどうしても手に入れたかった。ラリエットを押しのけてでも。

 自分の未来に邪魔な存在を消せるだけの、絶対的な権力がほしかったから――。


 だからこそ、本当はなりたくもなかった聖女になったのだ。聖女になれば、ゆくゆくは未来の王妃の座だって手に入れられるから。


(いくら相手がラリエットでも、こればっかりは譲れないわ……。だって他にあいつらをどうにかする方法なんてないんだから……!)


 あらためて強く決意して、口元を固く引き結んだ、その時だった。


「そういえば、ニナ様とラリエット様の新しい噂、聞いた?」


 くすくすという誰かの笑い声とともに、話し声が聞こえてきた。


「あぁ! ニナ様がラリエット様を強く突き飛ばして転ばせたって話でしょ?」

「そう! ニナ様が、ラリエット様が優秀なのを妬んで嫌がらせしたんだろうって皆噂してるわ」

「うわぁっ。自分がハリボテなだけなのに、ひどぉいっ!」


 回廊の横に設けられたベンチで、女官たちがおしゃべりを楽しんでいた。


「でもラリエット様はラリエット様で、ニナ様の悪口をあちらこちらで言いふらしてるって話よ?」

「ニナ様がいなければ、ラリエット様がすんなりデジレ殿下のお相手になったはずだものね。邪魔に決まってるわ」

「ラリエット様は力ではニナ様よりずっと上だけど、その他はちょっとねぇ……。ニナ様の方が人気者だし」


 ぴたりと足を止め、柱の陰に身をひそめた。


(まったく好き勝手言ってくれるわね! ラリエットがあたしの悪口を言いふらしたりするじゃずないじゃないの。あたしだってあの子にそんなひどい真似しないわよっ)


 どうやらふたりは、ダルバリー王子付きの女官たちらしい。


 国王陛下付き、側妃付き、三人の王子付きのでは、女官が身に着ける衣服はそれぞれ色や形が少しずつ異なるのだ。


「嫉妬って怖いわね! ふたりともそんなに仲が悪そうには見えなかったのに、いざ婚約者の座がかかった途端にこうだもの」

「聖女がふたりもいるせいで、なんだか物々しくなってきたわね! ワクワクしちゃうっ」

「そのうち血みどろの戦いに発展したりして……!?」

「きゃーっ! こわぁい! 殿下はどっちをお選びになるのかしらねっ」

「王子を巡るふたりの聖女の恋愛バトル! 楽しみだわぁっ」


 一瞬ドキリとした。


 ラリエットさえいなければ、こんなまどろっこしい顔合わせなんてしなくても自分が伴侶になれたのに。

 あの子さえ現れなければ、きっと今頃すんなり婚約が決まっていたかもしれないのに。


 そんな心の内を見透かされた気がした。


(聖女があたしひとりしかいなかったら……。もしもあの子が現れなかったら、今頃は……)


 一瞬にしてぶわり、と黒く淀んだ思いが心に広がった。

 まるで毒が心にまわったように突然に広がったその考えに、はっとする。


(何考えてんの! そんなこと……あの子はすごくいい子で、あたしのことを立派な聖女だって言ってくれたのに……!)


 黒いもやを、慌てて振り払った。


(あぁって、もう! ……最近なんだかおかしいのよね。嫌なことばっかり考えちゃう。なんのなのよ、もう!)


 何なのだ、一体。ここのところ、自分の中にあるずるい考えや汚い思いが、妙に強く浮かんでくるような気がする。

 まるで誰かに操られているような気分にすらなる。


(そう言えば、この間町の奉仕に行ってからだわ。こんなもやもやしはじめたの……。そう言えば、あの時……!)


 ラリエットに立派な聖女だなんてほめられて浮かれていたあの日、強い視線を感じた。

 いや、視線というか気配というか。


 心の中に急に何かが入り込んでくるような、すごく嫌な感じ――。


(あれ……何だったのかしら……?)


 女官たちは聖女の噂に飽きたのか、最近流行りのお菓子の話をしながら立ち去っていった。

 その後ろ姿をみやり、ため息を吐き出した。


(疲れてるのかしら。あたしらしくもない……。帰って甘いものでも食べて、気を紛らわそう……)


 けれどその後も、心に広がった黒いもやはなかなか消えてはくれなかった。



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