ラリエットが城下で治癒に当たっている頃、ニナはひとり悶々としていた。
ラリエットだけが治癒に呼ばれたのは、当然だった。聖力のない自分が一緒に行ったところで、何の役にも立たないから。
(わかってた。わかってたけどさ……)
これまでだって似たようなことはあった。聖力がほとんどないといっていいくらい弱い自分は、聖女としては正直使い物にならない。
だから声がかからないのは当たり前だ。
でも――。
なんとなくもやもやする。
あらためて自分が、ラリエットの足元にも及ばない、偽物の笑顔と愛想を振りまくだけのハリボテなんだと突きつけられた気がしていた。
「はぁ……。ほんっと、あたしって……」
ラリエットが城下で治癒に励んでいる間、せめて聖薬でも作って少しは役に立とうなんて珍しく殊勝なことを考えてはみた。
けれど――。
自分が作った聖薬が、ラリエットのものより効果が薄くあまり喜ばれていないことは知っていた。それを思うと、どうにも手が止まってしまう。
一向に進まない聖薬作りの手を止め、宙を見つめつぶやいた。
「あの子がいなければ、こんなふうに比べられて落ち込むこともなかったのに……」
またしても心に広がる黒いもやもやした思いを、ぶんぶんと頭を振って払いのけた。
「もうっ……! ほんっと、何なのっ? ここんとこなんかもやもや、もやもやっ!」
どんどん自分の心が薄汚く淀んでいくようで、なんとも腹立たしい。
ここのところの、この嫌な感じは何なのだ。自分でうまく感情をコントロールできないような、突発的に負の感情がぶわりと噴き出すようなこの感じは。
一体どうしたものか、とちっと舌打ちをしたその時だった。
パタン……!
扉の閉まる音とともに、ラリエットが戻ってきた。
「……お疲れ! ラリエット。どうだった?」
もやもやを押し隠し、笑顔を貼りつけラリエットを出迎えた。
けれどラリエットの様子がどうもおかしい。
「……どうしたの? 何かあった?」
「ただいま、ニナ。それが、実はね……」
ラリエットは城下であった一部始終を話してくれた。
「そんな高価な薬、いくら聖職者だからって通りすがりの酔っ払いに渡すとは思えなくて……。それに金色の目って……」
ラリエットが首を傾げた。
「……」
胃をぎゅっとつかまれたような気がしていた。
(背の高い、フードで顔を隠した神官……。金色の目……。それって……あいつじゃ……)
思い当たる人物を知っていた。
(なんでラグドルが城下に……? まさかあの時の約束を……?)
男は、ラグドルという名の神官に違いなかった。魔力者の神官なんて、そうそういるはずもない。
それにこの間城下で感じたあの、嫌な気配――。
(そうだ……! 言われてみれば、あの気配……、あいつだ……)
記憶から消したかったからかもしれない。すっかりあんな男のことを忘れていた。
けれど確かにあの男は金色の目を隠すためにいつも目深にフードを被り、薄い唇を歪めて冷たく笑っていた。
そしてふと気がついた。
あの日感じた嫌な気配は、もしかしたらあの男が自分に何かの術をかけたせいかもしれない、と。
ここのところ感じていた違和感。黒い感情がぐちゃぐちゃにかき回されるような、とても嫌な感じ。
昔あの男が言っていた。
魔力には、人間の精神に干渉する力がある。その人間が抱えている思いや考えを増幅させて揺さぶることなどたやすい、と。
「……ニナ? ニナ、大丈夫……?」
はっと顔を上げれば、ラリエットが心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「あ……、えっと……」
「……どうか、した? なんだか顔色が悪いけど……。最近なんだか元気がないみたいだし、本当に具合でも……?」
ガタンッ!
慌ててラリエットの視線から逃れようと、椅子から立ち上がった。
「な、なんでもないっ! と、とにかく皆大したけがじゃなくてよかったわ。あんたも少し休んだら? 聖力を回復させなきゃいけないしさ」
「あ、うん……。それはそう……だけど……」
絶対にこの秘密を知られるわけにはいかない。ラグドルとの関係も、知り合いになった経緯も。
知ったら、さすがの人の好いラリエットだって自分を軽蔑するに違いないから。
慌てて調合室に戻り、扉を閉めた。
そしてずるずると床に座り込んだ。
「でもなんでラグドルが、そんなことを……?」
ラグドルの声が、脳裏によみがえった。
『このままではあなたは聖女にはなれない。けれど、私があなたを魔力を使って聖女に押し上げてあげましょう。その代わり、いつの日か私に借りを返していただきたい』
あの男は、そう言った。
『知っていますよ。色々とあなたの抱える事情は、何もかもね。どうしても聖女になりたいのでしょう?』
ラグドルはこちらの事情をすべて知っていた。誰にも話したことなんてなかったのに。
その上で、取引を持ち掛けてきたのだ。
聖力が発現したからと言って、全員が聖女として認められるわけじゃない。
神殿で数年学んだあと、最終試験を受けそれにパスしなければ正式に聖女としては認められない。
それに見事に落ちたのだ。
聖女になれなければ、もとの生活に逆戻りだ。
汚い仕事をさせられ、あいつらに一生搾り取られるだけの最低最悪な人生を歩むしか――。
けれどラグドルはすべてを知った上で、いつか自分に借りを返してくれるのなら強引に聖女に押し上げてやると言った。魔力があれば、それくらいたやすいことだと言って。
その話に乗ったのだ。
どんな借りを返させるかは、最後までラグドルは教えてくれなかった。どうせろくなことじゃないとは思ったけど、その時は聖女にならなきゃという気持ちでいっぱいだった。
そして、ズルをして聖女になったのだ。名実ともに、ハリボテ聖女に。
『くくっ……! いいでしょう。よろしくお願いしますよ。ニナ』
そう言ってラグドルは笑った。
薄い唇がくっと弧を描き、金色の目に黒い陰が差したのを覚えている。
そのラグドルが、城下に現れた。しかも自分の力を誇示するかのように、おかしな術までかけて。
もしかしたら城下で男たちにあやしげな薬を手渡して騒ぎを起こしたのだって、あの約束を思い出せという宣告なのかもしれない。
「一体何をさせるつもりなの……? あいつ……」
嫌な予感に、全身にぞわりと悪寒が走った。