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第20話


 二回目の顔合わせが終わってまもなく、デジレの執務室では――。


「ぶふっ……! くっくっくっくっ……‼」

「……」

「ぶふっ……! ぷっ……、くくっ、ぶふぉっ……‼」

「……おいっ!、ベルド! 笑いたいなら堂々と笑えっ。かえって腹が立つっ」


 デジレは自分の側近であるベルドをちらと見やり、腹立たしげに声を上げた。


 学院時代の親友だったベルドを自分の側近に迎えて、二年の月日が過ぎていた。


 欲と陰謀が渦巻く王城にあって、唯一信用できる男だった。その上実に優秀で察しもよく、すべてを話さなくても通じ合えるという意味でもかけがえのない存在であることは間違いない。

 よって、自分の側近に迎えたのだったが――。


(まったく……。やっぱりこの男を顔わせの合場に控えさせるべきではなかったな……。あとの祭りだが)


 気安い関係のせいか、どうにも遠慮がなさ過ぎるのが玉に瑕だった。


 王子の伴侶候補を決める婚約者選定ともなれば、公平さが求められる。王子が三人もいる上、候補となる聖女がふたりもいるとなれば、権力争いのもとにもなりかねない。


 ゆえに、万が一にも顔合わせの場におかしな者が紛れ込んで話が外に漏れないよう目を光らせる必要があった。

 その意味で、この男を置いておくのは必然だった――のだが。


 そのおかげで、こうして失笑されるのはおもしろくない。


「くくくくくっ……! あぁもう、おかしい。いくら何でもあんなにぐいぐいいったら、ラリエットちゃんがうろたえるのも当然ですよ。ぶふっ!」

「……仕方ないだろう! 十年も耐えたんだんだぞ!? どんなにこの日を待ち望んできたことか……」


 肩を震わせ笑いをこらえるベルドをギロリとにらみつけ、ちっと舌打ちをした。


 これまでに二度顔合わせを済ませ、ラリエットと対面した。


 一度目は、思わず目の前にいるのが本物のラリエットか信じがたくて、夢を見ているようでガン見してしまった。


 同じ王城にいるとは言っても、聖女と会する機会はそう多くはない。せいぜいが何かの公の場に同席するとか、よほど体調を崩して聖女に治癒してもらうといった機会がなければすれ違うこともない。


 もちろん遠くから見かけたことはある。先日の建国記念の式典でも顔を合わせはした。が、こんなにも近くで会うのははじめてだった。


 だからつい、顔合わせで長い間抑え込んでいた感情が昂って暴走してしまったのだ。


 そして二度目は、あの水色の目が露わになった瞬間、つい吸い寄せられるように近づいて前髪で隠そうとする手を止めてしまった。


(小さい手だったな……。でもあたたかくてやわらかくて……)


 ラリエットの手の感触がふとよみがえり、たまらない気持ちになる。

 偶然とは言え手と手が触れたことで、長年抑え込んでいた恋心が暴発してしまった。


 婚約したわけでもないのに、あんなふうに許しもなく肌に素手で触れるなど本来はあってはならないことだ。

 けれど、つい――。


「まったく、咳払いに気づいてくれたからよかったようなものの……。あんまりはじめから飛ばし過ぎると、ラリエットちゃんにドン引きされますよ?」


 ベルドの当然と言えば当然の指摘に、ちっと舌打ちをした。


「わ、わかっている……! だが、あれでも相当抑えたんだ……!」

「ぶふっ! あれで、ですか⁉ その執着ぶり、陛下にそっくりですねぇ」

「……」


 反論はできない。

 自分が少々愛とか情という意味で思いが過ぎることは、自覚している。しかもこの気質は、父親譲りだ。血のせいならば、どうしようもない。


「陛下の王妃様に対する愛も、重めでしたもんねぇ……」

「母の死で、父の人生も終わったんだ。為政者としてはどうかと思うが、気持ちはわからなくはない……」


 現国王である父は、母を命を懸けて愛していた。執着と言ってもいいほどに。

 だからこそ今はまるで光を失ったかのように、力も思いも失っている。


 国王からとがめだてられないことで、側妃の態度は日に日に大きくなるばかりだ。自分こそが正妃であるかのように、ふてぶてしく振る舞っている。 

 なんとも腹立たしいばかりだ。


「……でもまぁ、ラリエットと約束したからな。同じ轍は踏まないように気をつけるさ」


 この国を、よい国にするとあの日ラリエットに約束した。

 となれば、何をおいてもこの国の平穏を守り抜く必要がある。


 まかり間違っても、父のように腑抜けになって国の未来を揺るがすような存在を放置しておくわけにはいかない。


「十年来の初恋の君、ですもんね。せいぜい嫌われないように、慎重にお願いしますよ。咳払いのし過ぎで喉を痛めるのはごめんですからね。くくっ」


 またしてもベルドをじっとりを見やり、デジレは幼い日の記憶に思いを飛ばした。



 十年ほど前、母である王妃が病で亡くなった。


 聖女だった母を癒す者はおらず、医師もこれ以上は手の施しようがないと匙を投げた。そして母はこの世からいなくなり、王城は冷え冷えとした孤独に満ちた巨大な空間に変わり果てた。


 父である国王は伴侶を亡くし悲嘆に暮れるばかりで、自分には見向きもしなかった。視界にすら入っていなかっただろうことは、想像に難くない。


 側妃の産んだ腹違いの兄弟たちとは、もとより疎遠だった。第二王子であるダルバリーとは険悪な仲といってもいい間柄だったし、末王子のヒューはまだ幼過ぎた。


 そして側妃は、以前から自分を憎んでいた。国王に一身に愛されていた母が妬ましく、その子である自分のことも心底憎んでいた。聖女そのものをこの国から滅したいと望むほどに。


 その憎しみがもはや思いだけではないと知ったのは、母が死んでひと月が過ぎた頃だった。


『ぐっ……⁉ かはっ……‼』


 側妃に誘われ、他の王子たちとともに庭園で過ごしていた時のこと。側妃から手渡された茶を口にした瞬間喉に激痛が走り、とっさに地面に突っ伏した。


『ぐっ……! そ、側妃様……、助け……』


 その瞬間、もがき苦しむ自分を見下ろし側妃が笑ったのだ。


『あらあら、お茶を吐き出すなんてお行儀の悪いこと。さすがは平民の血を引いているだけあるわね』


 側妃の隣で、ダルバリーは薄ら笑いを浮かべ苦しむ様を見ていた。地面の上でのたうち回る瀕死の虫を見るかのような目つきで。

 きっと側妃が自分に毒を盛ることを事前に知らされていたのだろう。


 女官や護衛たちに見えないようダルバリーがそれとなく自分を隠し、しばし放っておかれた。


 次第に気が遠くなり倒れ込んだのをみた側妃は、小さな声でつぶやいた。


『……いいこと? 次代の国王となるのは私の子であるダルバリーよ。あなたじゃないわ。よく覚えておきなさい。ふふっ』


 そしてようやく気を完全に失った状態で医務室に運び込まれ、どうにか命拾いをした。


 どうやら茶に混入されていたのは、この国では知られていない未知の毒であったらしい。もとから命を奪う気はなかったのか、ごく微量であったせいもあって側妃が毒を盛ったと気づいた者はいなかった。


 けれどこの時に理解したのだ。側妃はいつか必ず自分を殺すだろうと。

 しかもきっと、澱のように積もり積もった暗い嫉妬と憎しみを晴らすようなやり方で、じわじわと。


 王城に、心休まる場所などどこにもなかった。もはや自分を守り慈しんでくれた母もおらず、悲嘆に暮れ抜け殻になった父である国王は見向きもしない。

 側妃もダルバリーも、幼いヒューも味方にはなり得ない。


 痛いほどに、孤独を感じていた。

 だから逃げ出したのだ。毒の影響が完全に抜けたその日、王城を抜け出し城下の片隅に逃げ込んだ。


 そこで、ラリエットに――運命に出会ったのだった。


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