『私が味方になります! いつか立派な聖女になって、デジレ様をお支えします。そして一緒にこの国を守ります!』
ガリガリに痩せ細った、影の薄い少女だった。
けれど水色の目が空を写し取ったようで、とてもきれいだと思った。
少女は、明日聖女になるために神殿に行くのだと言った。
いつか立派な聖女になって王城に行くから、それまで頑張っていい国を作ってほしい。自分が味方になるから、と。
そしていつの間にかできていた手の甲の傷を、癒してくれた。まるで母が生きていた時のように――。
心から救われた。自分はひとりきりではないと思えた。この孤独を癒しともに歩いてくれる人がいる。
そう思うだけで力がわいた。
(あの時に誓ったんだ。この子がいつか聖女として王城にやってくるまで、なんとしてでも生き延びようと――)
この少女が未来でともに立ってくれるなら、どんなことでも乗り越えてみせる。この空色の目をした少女が自分とともに歩んでくれるのなら、もう何も怖くない。そう思えた。
『君が助けを必要とした時は、僕が君を救いに行く。だから……約束だ。ラリエット。君がいつの日か聖女になったら、僕と一緒にこの国を守ってほしい』
『は、はい……』
『いつかきっと王城で会おう。……これは約束の印だよ。忘れないで。ラリエット』
遠い日の約束を思い返し、デジレはふっと笑った。
「十年……か。時がたつのはあっという間だな……」
ラリエットと別れたあと、すぐさまラリエットに関するありとあらゆる情報を調べ上げた。
結果、あの孤児院で院長にひどい折檻を受けていると知った。なぜそんなことを院長がしたのかの理由も判明した。
もちろんそんな非道なことを許すはずもない。すぐに院長の職を解き、しかるべく手を打った。
それにはラリエットが孤児となった真実も含まれていたから、ゆくゆくはすべてを告げる必要がある。
真実を知れば、きっとラリエットを縛り付けている心の鎖を解き放つこともできるだろう。
けれど、今はまだすべてを明らかにする時ではなかった。
先に片づけねばならない、それどころではない問題が山積みだった。
「今はふたりの聖女の命を守ることが先決だ……。あの日の約束について話すことも、思いを告げることもまだ、その時じゃない」
できることならば、こんなくだらない選定など終わらせてしまいたい。
ニナには悪いが、端からラリエットを伴侶にすると心に決めていた。ならば、早々にニナにも真実を告げるべきだ。
だが、そうするにはあまりに危険過ぎた。
側妃は、憎むべき正妃の子である自分が次期国王となることを幾度となく阻止しようとしてきた。
けれどこちらも馬鹿じゃない。最も命を狙われやすい第一王子だけに与えられた護衛である影を使って、これまで生き抜いてきたのだ。
その自分の未来の伴侶となる聖女が発表されれば、いよいよダルバリーが次期国王となる可能性は薄くなる。
それを手をこまねいて見ているとは到底思えなかった。
選定の結果が発表されれば、真っ先に側妃は王子の婚約者となった聖女を消そうとするに違いない。それに続き、もうひとりの残された聖女も。
そうすれば、あとは自分を消すだけで済む。この国から聖女――、特に始祖の再来とも言われる優れた聖女がいなくなれば、王子が毒に倒れても命を救うこともできないのだから。
「……側妃の動きは?」
鋭さをにじませた声に、ベルドの顔にもすっと真剣な表情が戻った。
「最近、王城内でおかしな噂が広がっています。ふたりの聖女が殿下を取り合ってひどく対立しているとかいう、ね。おそらくは側妃が、自分つきの女官たちを使って流させているんでしょう」
「聖女同士を対立させて、民の信心も人気も失墜させる狙いだろうな……。いざとなれば、どちらかを懐柔して自分の側につけ、潰し合いをさせるという手もある」
この国から聖女信仰そのものを消すには、聖女への民の信仰を失墜させる必要がある。そうすれば信心は薄れ、聖女の存在を必要とする民もいなくなる。
だからこそ聖女同士が王子の婚約者の座を狙って醜い争いをしているなどという、根も葉もない噂を流しているのだろう。
「そうすれば側妃は自分の手を汚さずに済み、ふたりの聖女諸共この世から消せるからな」
ベルドがわざとらしく身を震わせ、怯えた表情を作ってみせた。
「側妃が懐柔するとすれば、ニナ様でしょうね。見た目に反して肝が据わってますし、婚約者の座がどうしてもほしい事情も抱えているみたいですし、ね」
それにこくりとうなずいた。
「いくらニナが婚約者の座を欲しているからとは言え、ラリエットに害をなすとは思えない。が、自己保身となれば話は別か……」
「そのことなんですが……。ちょっとニナ様のことで、気になることが……」
ベルドの言葉に、眉がぴくりと上がった。
「実は最近ニナ様の身辺に、おかしな男がうろついているようで……。金色の目をした、神官姿の男だそうです」
「金色……? 魔力者か!?」
ベルドによれば最近城下で謎の騒ぎが頻発しており、その背後にその男が関与しているとのことだった。
けれど魔力者の神官など、この国にはひとりとしていない。となれば、正体を隠すために神官のふりをしているのだろう。
「……魔力者か。ニナを懐柔するために、側妃が雇ったのだとすれば厄介だな……」
「えぇ……」
聖力と魔力とは、似て非なるものだ。
どちらも人知を超えた力であることは同じだが、聖力は神から授けられるもの。対して魔力は、魔力が存在する大地に根づいた特定の血筋によって受け継がれる。
そして魔力は時に聖力を弱め、場合によっては一時的に聖力を無効化することもあるらしいと知られていた。
けれどそもそも絶対数が少なく、中でも強い力のある魔力者はごくまれにしか生まれない。よってあまり研究が進んでいないのが実情だった。
「ラリエット様にはどんな毒も効きませんからね。あれほど強い聖力に対抗するには、魔力くらいしか方法がないと見たと考えれば、可能性はあります」
もしもそうなら、こちらとしても出方を考える必要がある。
物理的な攻撃ならばいかようにも防げるが、魔力ともなるとそうはいかない。
「聖女たちの見張りと守りをさらに固めてくれ。男の素性と側妃とのつながりも、急ぎ影に調べさせろ。いいな、ベルド」
じわりと悪い予感がにじみ、ぐっと奥歯を噛みしめた。
「失うわけにはいかないんだ……。何があっても、絶対に……」
デジレにとって、ラリエットは生きる希望、光そのものだった。
ラリエットと交わしたあの日の約束がなければ、きっととうに生きる気力を失っていただろうから。
そんな光を失うわけにはいかなかった。そしてこの国を支える聖女信仰も、消すわけにはいかない。
ベルドがいつになく真剣な表情を浮かべ、恭しく頭を下げた。
「心得ております。デジレ王子殿下」
主を見やり、ベルドがそっとつぶやいた。
「……守ってみせますよ。あなたも……、あなたをここまで生かし続けてくれたあの不機嫌聖女様も、ね」
けれどデジレの懸念は、現実のものになろうとしていた。
そしてその手は、すでにニナとラリエットのすぐそばまで迫っていたのだった。