「ラリエット様、ニナ様! お二方とも、お待ちしておりました。さぁ、こちらへ!」
ニナとふたり、真新しい木の匂いのする城下の教会へ足を踏み入れた。
「どうです? 見違えたでしょう?」
先日あの喧嘩騒ぎで大けがを負った神官が、笑顔で迎え入れてくれた。
「一時はどうなることかと思いましたが、あの者たちのおかげでこんなに立派に生まれ変わりましたよ。これも文字通り、怪我の功名ですかな! はっはっはっはっ!」
先日騒ぎを起こした男たちが、作業の手を止め気恥かしそうに笑った。
「聖女様のおかげで、神官様に大事がなくて本当によかったよ」
「神官様の温情のおかげで、牢にもぶち込まれずにも済んだんだ。おわびに、あっちこっち直してピカピカにしてやろうと思ってな」
「教会は皆の心の拠り所だもんな。大事にしねぇと!」
新しく生まれ変わった教会と、平穏を取り戻した光景にほっと胸をなで下ろした。
(よかった。皆わだかまりもなさそうで、ひと安心ね。むしろ問題ありなのは、私とニナの方かも……)
ちらと隣に立つニナを見やった。
どこか浮かない顔で、ニナはずっと黙りこくっている。
聖女宮を出てからずっとこんな調子だった。
あの密会の日以来、ニナは一層ふさぎ込んでいた。
口数も少なく食も進まないみたいだし、好物のおやつにも手が伸びない有り様で。
当然気にはなってはいた。でもいまだに誰と会っていたのか、とかあの瓶の中身は何なのか、とは聞けずにいた。
ニナに全身で近づくな、と拒絶されている気がして。
(はぁ……。まさかこんな気まずい空気のまま、花祝の儀式をニナとふたりでしなきゃいけないなんて……)
この日は、教会の修繕が終わった祝いの儀式のためにニナとふたり呼ばれていた。
花祝の儀式は、この国に古くから伝わる祝福の儀式だった。
聖女の始祖といわれる少女の象徴花、フィルーベル。その白い花と似た花びらを空に放って、平穏と幸せを祈るのだ。
花びらを頭から被ると、祝福が舞い降りると言われている。
そんな噂を聞きつけ、教会の前にはすでに多くの人々が集まっていた。
けれど、教会の前に漂う明るい空気とは裏腹に、務めを果たす聖女ふたりの顔はどこまでも暗かった。
平穏を祈るはずの聖女同士がろくに口も利かない状況だなんて皆にバレたら、皆なんとも言えない空気に包まれるに違いない。
せっかくの晴れやかな花祝の儀式が台無しだ。
(こうなったら皆にバレる前に、さっさと終わらせて帰らなくちゃ……)
こうなったら善は急げだ、とばかりに神官に声をかけた。
「ではさっそく、儀式の用意をお願いします」
「おぉ、そうでしたな! では少しお待ちをっ」
神官は笑顔でうなずき、いそいそと弾む足取りで教会の中へと入っていった。
再び訪れた沈黙をごまかそうと聖衣の裾なんかを落ち着きなく直していると、ニナがふいにぽそり、とつぶやいた。
「……あたし、昔から花祝の儀式が好きなんだ。なんか気分がぱあっと明るくなるじゃない?」
「え?」
驚いて見やれば、ニナは期待に目を輝かせる人々を見つめていた。
「嫌なことが続いててもさ、いいことが起こりそうな気するじゃない?」
「う、うん……」
ニナの視線がこちらに向いた。
久しぶりに真っすぐに顔を見た気がする。ちゃんと言葉を交わすのだって、何日ぶりだろう。
なんだか嬉しさと気まずさが相まって、落ち着かない。
視線を泳がせながらこくりとうなずけば、ニナが一瞬ためらったのちに口を開いた。
「……あたし、実はあんたに話さなきゃいけないことあるんだ」
「……え?」
ニナの顔は真剣そのものだった。
こんな真剣などこか不安げな顔は、はじめて見た気がする。
「この儀式が終わったら、聞いてくれる? どうしても、話さなくちゃいけないの……」
「え……あ、うん。もちろん……」
なんだか今にもニナが泣きそうに見えて、大丈夫かと声をかけようとしたところに神官が戻ってきた。
「さ、ではラリエット様、ニナ様。ぜひ盛大にお願いしますよ!」
神官が運んできたふたつの大きな籠の中には、甘い香りを漂わせる大小さまざまな白い花びらがどっさり積まれていた。
想像以上の量に、思わずニナと顔を見合わせた。
「……すごい量! こんなにたくさん?」
「本当……。全部撒ききれるかしら……?」
大量の花びらを前に呆然とつぶやけば、神官がにんまりと笑った。
「ふふふふふっ! 長年の夢だったんですよ。どこよりも派手に花祝の儀式をするのが! どうせなら、思いっきりやった方が気持ちがいい。でしょう?」
いたずらっ子のような顔で片目をパチリと閉じてみせた神官に、ニナと同時に噴き出した。
「神官様って見た目によらず、案外子どもっぽいね」
「ふふっ。そうかも」
ここのところの気まずさも忘れ、ニナと軽やかに笑い合った。
始祖の祝福の力のおかげだろうか。ニナとの間に横たわっていた隔たりが、少し近くなった気がしていた。
軽くなった心で、ニナに笑いかける。それに応えるように、ニナも笑う。
そんな当たり前のことが、とても嬉しい。
「じゃ、一丁派手にやりますか!」
「うんっ! やりましょうっ。ニナ」
神官にうながされ、弾むような足取りでニナが皆の前に一歩歩み出た。
「皆、用意はいい?」
明るいニナの声に、皆が歓声を上げた。
「「せーのっ!」」
ふたり大きな掛け声を上げ、同じタイミングで花びらを手につかみ、思い切り空に放った。
ふわりっ……! ふわりっ……!
「新しく生まれ変わったこの教会と皆に、たくさんの祝福が降りますように!」
ふわりっ……! ふわりっ……!
できるだけ高く、できるだけ遠く何度も籠の中の花びらを空に放つ。
晴れ渡った青い空に舞い上がる、たくさんの白い花びら。風に乗り、ひらひらと踊るように人々の手の中をすり抜けていく。
「わぁぁぁっ! 見てっ。きれいっ!」
「僕が一番たくさん集めるんだっ!」
「すごーいっ! いっぱーいっ」
「こりゃあ壮観だなぁ! 見事なもんだっ」
「ふわぁっはっはっはっ! なんとまぁ、きれいだことっ。どんな憂さも晴れちまいそうだねぇ」
宙に舞い踊るたくさんの花びらを、皆が笑顔で追いかける様をニナとふたりで見つめていた。
なんて幸せな光景なんだろう。
笑顔にあふれていて、祈りと希望がいっぱいで。
「私、聖女になってよかった……。皆のこんな笑顔が見れるんだもの。少しは、自分にここにいる理由があるって……そう思えるから」
思わずそんなつぶやきがこぼれ落ちた。
聖女としてできること。
聖女だからできること。
自分にどれほどのことができるのかはわからない。けれど、こんなふうに皆が笑ってくれたら嬉しい。
これからも、皆の上に幸せがたくさん振るといい。
皆がこの先もこうして、笑っていてくれたらいい。
そんなあたたかな気持ちに包まれながらニナをつと見れば、ニナも優しい表情で目の前の光景を見つめていた。
「うん……。あたしも、ポンコツでもちょっとは自分が聖女でいる意味、あるのかなって思えるかも」
「うん……」
ニナとふたり、目の前に広がる幸せそうな光景をしばらく見つめ続けたのだった。