ゴトゴトゴトゴト……。
聖女宮へと走る馬車の中、ニナは外の景色を見つめ黙り込んでいた。
しばらく走ったあと、ニナが視線を窓の外に向けたまま口を開いた。
「……なんで聞かないの? 昔何があったんだ、とかさ……」
「……え?」
「あんな親だもん。娘のあたしだってどうせろくな人間じゃないって、あんただって思ってるんでしょ?」
ぶっきらぼうな、やけになったようなニナらしくない声だった。
「それにロンのことだって……。あたしが守ってあげられなかったばっかりに、死んじゃったのは本当だし……。あたしがもっとちゃんとあの子を守っていれば、今も……」
きっとロンというのは、ニナの弟なのだろう。
きっとニナのことだ。その子のことを守ろうと必死だったのだろうと思った。
ニナは口では面倒だのなんだの言いながらも、とても情に厚くて面倒見がいいから。
「そんなこと、聞かなくたってニナが悪かったんじゃないってわかってる。ふたりがどんなひどい親だったかも……」
そう告げれば、ニナの視線がやっとこちらを向いた。
「……あたしを信じるの? こんなあたしのこと、信じるなんてどうかしてる……。あたしは……、あんたが思うようなきれいな人間なんかじゃ……」
ふとニナのここのところの行動がよみがえった。
「……でも、私決めたの。ニナが私に話してくれることだけ、信じようって」
「え……?」
ニナを一度は疑った。もしかしたら自分に危害を加えようと何かを企んでいるのかもしれないと。理由はわからないけど、自分をうとましく思って嫌がらせをしようとしたのかもと。
でも、ニナは話したいことがあると言ってくれた。きっとそれは、あの日この目で見たことについてに違いない。
だったら、ニナの口から直接聞いたことを信じよう。きっとそれがどんなに奇妙で信じがたい話でも、それが真実だと思うから――。
それにあの時、ニナは花びらに手を伸ばす人々の姿を見てこうも言っていた。
聖女になってよかったと。ハリボテと言われても、聖女として何かできるのなら嬉しいと。
「私はニナのこと、信じてる。信じたいと思ってる。だから……話して? ニナの口から、ニナの言いたいことを全部……」
ニナの喉がこくりと鳴り、薄桃色の目がゆらりと不安げに揺れた。
しばしの沈黙ののち、ニナは口を開いた。
「……色々、あるんだ。あんたに話さなくちゃいけないこと……。ずっと言えなかったけど、このまま隠しておくなんてことできないから」
「うん……」
こくりと息をのんだ。
ニナは、勇気を振り絞るように両手をぎゅっと握りしめ、ぽつりぽつりと話し出した。
「実はあたし、ある人に頼まれてあんたに……薬を飲ませようとした。聖力を一時的に弱めるとかっていう薬……。そうしないと、全部バラすっていわれて……」
ニナは、ある男に弱みを握られ脅されていた。そして、ある人物の駒になれと命じられた。
拒否すれば、ニナがずっと隠してきたある秘密を公にすると脅されて。命の保証もできないと言われたらしい。
「あたし、どうしてもあんたたちに知られたくない秘密があって……。あんたにもリリアたちにも絶対バレたくなくて、だから……」
その薬は、命に影響のあるものではなかった。一時的に聖力を弱める作用のある、魔力を帯びた薬なのだと。
だったら、とニナは渡された薬を盛ろうとしたのだった。
「魔力……?」
「そう。魔力なら、聖力に干渉することができるとかって言ってたけど、詳しいことはわかんない。でもその薬をほんのちょっとずつ、何回にもわけて盛ればいずれ効果が出てくるって言ってた……」
ニナは、力なくうなだれた。
「でも、結局できなかった……。死ななくても、やっぱりラリエットに薬を盛るなんて……できなかった……。でもここのところ、あたしずっと頭の中からおかしな考えが離れなくて……」
ニナはここ最近ずっと、頭の中にわき上がる苛立ちや怒りをどうにも抑えられずにいたらしい。
「突然カーッとなって、あんたさえいなくなればあたしがこの国のたったひとりの聖女でいられるのに、とか……、すんなり王子の婚約者にだってなれるのにって、そんな馬鹿げた考えが頭を離れなくて……」
「え……、それってまさか……?」
つい先日の城下での喧嘩騒ぎでも、男たちが似たようなことを言っていた。
もしかしたらニナは、あの男たちと同じように何か目に見えない力に影響にされて――。
思わぬ符号に、息をのんだ。
ショックでないといったら嘘になる。何かの影響下にあったとしても、少なからずニナの心にそんな思いがあったのは確かなんだろうし。
でもそれだけニナが、包み隠さず話してくれたということだ。
だったら、と意を決してすべてを打ち明けることにした。
「私ね……、実は知ってたの。ニナが夜中に誰かから何かを受け取ってたのも、私のカップに何かを仕込もうとしてやめたのも……」
「……えっ!」
ニナがひゅっと息をのんだ。
「な……なんで……?」
「夜中にニナが出て行く物音に気がついて、あとをつけたの……。でも、その前から様子がおかしいのも気づいてた。それは、もしかしたら私のせいかもって思って……」
「は? なんであんたのせいなのよ⁉」
ニナがいぶかしげに眉をひそめた。
「きっと、私が呪われてるからかもって……。昔私がいた孤児院でも、同じようなことがあって……、それと同じかもって思ったの。だからニナがあんなふうに……」
言いかけた言葉を、ニナがあきれたようにさえぎった。
「ばっかじゃないのっ!? 何言ってんの? あんたが呪われてるなんて、あるわけないでしょっ!」
「でも……」
あんなに明るくいつだってカラリと笑っていたニナが、どんどん陰りを増していく。
笑わなくなって目も合わせてくれなくなって、こそこそと隠れるように振る舞うなんて、どう考えたってニナらしくなかった。
「ニナがあんなふうになるなんて、よほどのことでしょう……? だからきっと、私の呪いのせいだろうって……」
馬車の中に沈黙が広がった。
しばらくして、ニナが大きく嘆息した。
「ばっかねぇ……、あんたって本当に……。あんたは何も悪くないんだって」
「……ニナ?」
「わかったわよ……。もうこうなったら、全部話す。あたしの秘密も、過去のことも全部……」
ニナは大きく深呼吸をして、話し出した。
ニナがずっと抱え込んできた、誰にも知られたくなかった秘密について――。