ゴトゴトゴトゴト……。
カタンッ! ゴトゴトゴトゴト……。
黙り込んだまま、時が過ぎていく。
静かな車内には、車輪が回る音と馬の蹄の音しか聞こえない。
「でも、やっぱり許せない……!」
ふつふつとわき上がる抑えようのない怒りに、思わずぽつりとつぶやいた。
その声にニナが弾かれたようにびくり、と飛び上がった。
「え……、あ、うん! 本当に簡単に許してもらえるとは思ってなくて……。未遂とは言え、あんなことしたんだし……。何ならしかるべきところに突き出されても文句は言えな……」
言いかけたニナを、大慌てで止めた。
「違うの! ニナのことじゃなくてっ」
「は?」
「許せないのはニナじゃなく、ここまでニナを追い込んだ人たちよっ!」
「へっ?」
ニナの口がぽかんと開いた。
「側妃様だって、聖女がいなくなったらこの国がどうなるかくらいわかるはずよっ!? 借りにもこの国の側妃様なのに……! それにラグドルだって、ニナの両親だってひど過ぎるっ!」
「……はぁ?」
許せなかった。
ニナをこんなに追い詰めたラグドルも、ニナを悲しませるあの両親も。そして、自分たちの仲を引き裂こうとした側妃も。
人の弱さに付け込んで人を利用するなんて最低だ。勝手に人の感情を操ってひどいことをさせようとすることも、自分の欲にかられて人を傷つけようとすることも。
どうしても許せない。
ふつふつとわき上がる怒りに、拳がぷるぷると震えた。
「ちょっと……あんた、なんでそんなに怒って……? すごい迫力ね……」
ニナの顔が、ピクピクとひくついている。
けれどどうにも怒りが収まらない。
「それに、なんでそんなに斜め上に怒ってんのよ!? 怒るのはまず、あたしに対してでしょうがっ」
「え?」
「だってあたし、あんたを殺してたかもしれないんだよ⁉ あんたがいなければ、なんて最低なこと考えて……。それに聖女の資格もないくせに、皆をだましてたし……」
ニナの声が小さくかき消えていく。
「軽蔑……したでしょ……? さすがのお人好しのあんたでも……さ」
ニナが見たこともないくらい、小さく縮こまっていた。
けれどニナへの怒りなんてこれっぽっちもない。
「私は、ニナがいてくれるから頑張れるの。聖女として王城に上がったのが私ひとりだったら、こんなふうに務めを果たせていたか自信がないもの」
「でもあんたにはものすごい聖力があるんだし……、皆あんたを認めて……」
首をぷるぷると横に振った。
「私は自分に自信がなくて、自分なんて何の役にも立てない。誰かを苦しめるしかできない呪われた存在だって、ずっと思ってきたから……」
聖女の資格があると言われても、どうしたらいいのかわからなかった。
言われるままに癒しを施してもまわりを苦しめているんじゃないか、怖がらせているんじゃないか、と気が気じゃない。
でも隣でニナが笑ってくれる。それがどんなに心強いか。
「ニナといると、呪いなんてどこかに吹き飛んでしまう気がするの。ニナの元気で明るい光に照らされて、私の心の影なんて消えてしまうみたいで……」
ニナが一緒だから、頑張れる。
どんな時でも、どんな場所でも全力で聖女としての務めを果たそうと思えるのだ。
「ニナ、あなたが聖女として王城にきてくれて本当によかった。悔しいけど、それだけはラグドルに感謝しなきゃ。ラグドルが手を貸してくれなきゃ、この国の聖女はひとりしかいなかったんだから」
「ラリエット……。あんた……」
こちらを驚いたように見つめていたニナが、慌ててぱちぱちと目を瞬かせた。
「ばっ……馬鹿じゃないの!? そんなだから、お人好しとか言われんのよっ。あんたはまったくもう……!」
ニナの顔が赤い。
「ひょっとして……、ニナ、照れてる?」
珍しいものを見た。なんだかとてもかわいい。
思わず目を丸くしてまじまじと見つめれば、ニナがぷいっと口を尖らせてそっぽを向いた。
いつものニナだ。よく知っている、元気で明るくて強気なニナだ。
「ふふっ!」
思わず笑いがこぼれた。
「何よっ! おかしくなんか……! でも……、ふふっ! なんか笑っちゃうわね。何やってんだか、あたしたちって」
「本当ね!」
ひとしきりニナと声を上げて笑い合った。
笑うたびに、ここのところ澱のように心の中に積み重なっていた暗いものが晴れ渡っていく気がした。
そしてはっとひらめいた。
「そうだわっ! こうなったら、デジレ殿下にすべてを打ち明けて力になってもらいましょうっ。ニナ!」
「へっ⁉ デジレ殿下に!?」
デジレだって、ずっと側妃に命を狙われ続けてきたのだ。その恐ろしさと危険性はとっくにわかっているはず。
まして聖女の命まで狙っているとなれば、間違いなく国の未来を揺るがす一大事だ。
それにそんな悪意を持った側妃が実権を握るようなことになったら、民だって幸せにはなれない。
となれば、国思いのデジレのことだ。きっと力になってくれるに違いない。
「そうと決まれば、善は急げよ。ニナ! 次の顔合わせは、ふたり一緒に会いに行きましょう!」
「はぁ? 顔合わせに……、あたしとあんたがふたりで!?」
ニナの顔が信じられない、とばかりに歪んだ。
「そう! そして力になってもらうの! 側妃のことも、ラグドルのことも、なんならニナの両親のこともきっとどうにかしてくれるわよ」
ニナの目がこぼれ落ちそうに大きく見開かれ、馬車の中にたっぷりと沈黙が落ちた。
そして――。
「ぶはっ……!」
ニナがなぜか大きく噴き出した。
「……ぷはっ! あはははっ! あんたってほんっと、読めないわ。強いんだか弱いんだか、ちっともわかんない!」
「え?」
「そうね! うん、あんたの言う通りにするっ。こうなったらあたしたちとデジレ王子とで、あの憎たらしい側妃とラグドルをとっちめようじゃないのっ!」
そう言って、ニナがカラリと笑った。
「うんっ! 私も頑張るっ。ニナやデジレ殿下の命だって、この国の未来だってかかってるんだもの……! 絶対に許さないんだから……!」
決意をみなぎらせ、ニナとがっちりとうなずき合った。
ようやく馬車が聖女宮の門へと近づいたその時、ニナがぽつりとつぶやいた。
「……本当にありがとね、ラリエット。あんたが聖女でよかった。…それと、色々とごめん」
「……うん!」
ニナの明るい笑顔につられるように、心がふわりと緩んだ。