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第32話

「詳しい話をはじめる前に、まずはひと息つこうか。……リュイジア」

「はい」


 デジレの言葉で、リュイジアが音もなくすっと動いた。


 コポコポコポ……。


 流れるような美しい所作で、リュイジアが人数分のお茶を淹れてくれた。


 やっぱりどこからどう見ても、有能なメイドにしか見えない。

 どうにも信じがたい気持ちでちらと見れば、リュイジアとばちりと視線が合った。


「さて……、まずはすでにわかっていることを君たちにも共有しておこうか」


 湯気を立てるお茶を口にしたのち、デジレは口を開いた。


「ニナ、君はラグドルから詳しい話は何も聞かされていないのだろう。ラグドルの素性についても」


 ニナはこくりとうなずいた。


「言っておくが、ラグドルは神官などではない。君を手駒にするために、君のいる神殿に入り込んでいただけだ。基本的に、この国の神職に他国の者はつけない決まりだからね」

「あっ……! そっか……。ラグドルみたいな魔力者がこの国に生まれるはずなかったんだ……。ってことはラグドルは……」


 デジレがこくりとうなずいた。


「そうだ。ラグドルはこの国の人間ではない。他国からの流入者だよ」

「じ、じゃああいつははじめからあたしを捨て駒として利用するつもりで、近づいたってこと!? ラグドルのやつ……!」


 ニナが苦虫を盛大に嚙み潰したような顔で吐き捨てた。


 怒りで思わず地が出てしまっている。でもまぁ、これまでずっと行動を逐一見張られ筒抜けだったのなら、今さら取り繕う必要などないだろう。

 とは言え、王子に対する口の利き方としてはあまりに不敬過ぎて怒られないか心配だけど。


「そういうことだ。そして側妃が君たちだけでなく、この国の聖女信仰ごと消し去りたいと企んでいることもとうに知っていた」

「聖女信仰ごとって……、そんなことできるはず……!」


 聖女信仰が深く根差したレイグランドから、自分たちの命だけでなく信仰ごと消すだなんて無理に決まっている。


 思わず声を上げれば、デジレがこちらをじっと見た。


「日々民を思い、命を助け癒してくれる。国のために一日も欠かさずに祈りを捧げ、民の信頼に足る行動を取る。その積み重ねが、信仰を生む。でももしそれが民の期待に背くような行動に取って変わったら、どうなると思う?」

「え……?」


 民の期待に背くような行動とは、果たしてどんなものだろうか。


「えーと、たとえば劣悪な態度で民を癒しもせず、祈りもせず遊び歩く……とか?」

「……」

「あっ! それかあたしは聖女なんだから敬え! とか威張り散らして、贅沢三昧で散財するとかっ!?」


 なぜか目をキラキラとさせているニナに不安がよぎる。


(まさかニナったら、一度そんなことしてみたいなんて思ってない……よね?)


 ニナのどこか嬉々とした言葉に、デジレが小さく噴き出した。


「まぁ、そんなところだよ。もしそんなことになったら、きっと民は聖女を信じようとはしなくなるだろう。信仰とは、目に見えない分揺るぎやすいものでもあるからね。それを側妃は狙っているんだよ」

「それは一体どういうこと……ですか?」

「側妃は君たちに殺し合いをさせて、聖女への信仰と信頼を地に落とすつもりなんだよ。ニナを脅して君を害させれば、ニナは黙っていても処刑されるし、それで聖女はこの国からいなくなる」


 突然の血生臭い話に、思わずはっとした。


「平穏を願うはずの聖女がそんなことになっては、もはや誰も聖女信仰にすがったりはしなくなる。そのために側妃は、魔力を持ったラグドルを味方に引き込んだのだろう。魔力があれば君の力を一時的にそぐことはできるからね」

「「……」」


 ニナとふたり顔を見合わせ、黙り込んだ。


 デジレによれば、側妃がラグドルと密会をはじめたのはニナが王城に上がる少し前のことだったらしい。側妃とラグドルがどうやって接点を持ったのかは、わからないらしい。

 けれどきっと近づいたのは、ラグドルの方が先だろう。デジレはそう言った。


「最初から全部、計算づくだったってこと、なんですね……」


 血の気が引いた。これまでずっと平穏だった毎日は、側妃の悪意にずっとさらされていたのだ。いつ何時何が起きてもおかしくない危険に、ずっと。


 ニナだって両親に利用され搾取されるのが嫌でズルまでして聖女になったのに、結局はラグドルと側妃の手のひらで泳がされていたのだ。あまりにも皮肉だ。


「でもなぜラグドルは、側妃様と組んでそんなことを? もしもバレたり失敗したりしたら、間違いなく重罪……ですよね?」


 ラグドルがこの国の貴族だったなら、まだ話はわかる。


 側妃のもうひとつの狙い、それは実の子であるダルバリーを王位につけることだ。ゆくゆくダルバリーが国王になれば、ラグドルも権力を握ることができるだろう。でも他国からの流入者となると、表立って引き立てられるのは難しい。


「そもそもラグドルって何者なわけ!? そんな魔力を持ってるんなら、どっかの国のお偉方にでもなれたでしょ? なんで他の国にきて、こそこそ悪事なんて企んでるわけ!?」


 腹立たしそうにニナが疑問を口にした。


 確かにニナの言う通り魔力が当たり前の国でなら出世も簡単だろうし、わざわざ死罪になるかもしれない悪事を働く必要もない。


 するとデジレがふぅ……と重いため息を吐き出し、驚きの事実を継げたのだった。


「ラグドルの目的はまだ想像の域を出ない。だが、正体はわかっている。……ラグドルは。ダーハット国の王族の生き残りなんだよ」


 はっと息をのんだ。


「……ダーハット? でもあの国の王族は皆、あの騒乱で粛清されたはずでは……?」


 ダーハット国は、生まれつき稀有な魔力の器を持った一族によって統治された小国――だった。けれど十数年前に起きた民の蜂起によって、すでに存在が消えた国だった。


 ダーハット国の王家一族は、代々脈々と受け継がれる強い魔力を悪用し民に長年圧政をしいていた。それにより民は疲弊し国から逃げることも禁じられた。

 重税を課せられ民が飢えに瀕している中、王族だけが暴利を貪り贅沢を尽くした。


 けれどある時、王族の圧政に耐え兼ねた民が蜂起したのだ。これ以上魔力による支配を許してはならない、民政による新たな国を立て直すのだと。


「えーと……、ダーハットって名前の国があったのは知ってるけど……。そんなことあったんだ……」


 ニナはひとりきょとんとしていた。

 勉強嫌いのニナのことだ。きっとダーハット国について書かれた文献のひとつも、読んだこともないのだろう。


 そんなこともすでに把握していると言わんばかりの顔で、デジレは肩をすくめこちらを向いた。


「ラリエット、君はダーハット国についてどこまで知っている?」

「は、はい……! 確か民衆が王城になだれ込み、王族をひとり残らず処刑したと聞いています。そして王族が皆いなくなったあと、一時は民政が敷かれたもののうまくいかず、他国にのみ込まれた、と」


 神殿で聖女としての教育を受ける間、神殿の長だった大神官様にたくさんのことを教わった。聖女としての知識や訓練だけでなく、この国の歴史や取り巻く状況についても。


「大神官長様が、魔力は聖力に干渉しうる唯一の力だから、ダーハット国のたどった運命についても知っていた方がいい、とおっしゃって……」


 今から思うと、大神官長は未来を察知していたのかもしれない。いつの日か、聖女とこの国に害となる魔力者が現れる未来を。


「さすがは大神官長だね。君をあの者に預けたのは、やはり正解だったようだな……」

「え?」

「いや、なんでもない」


 デジレは小さく咳ばらいをして、話を続けた。


「その通りだ。ダーハット国は民衆により、結果的に消滅した。王族の生き残りは女子どもも含め、ひとりもいない――。と伝えられている」

「え? ならラグドルが王族の生き残りのはずないんじゃ……。皆殺されちゃったんでしょ?」


 ニナがきょとんと問いかけた。


「実はね。それには、ラグドルの出生が深くかかわっているんだよ」

「出生?」

「あぁ。ラグドルは、当時の国王が町の女に手をつけて産ませた子なんだ。そのために、王族として存在を認められなかった」

「え……?」

「つまり、存在自体を隠された人間だったんだよ。ラグドルは」


 胸がじくり、と痛んだ。

それじゃまるで自分と一緒だ。誰にも望まれず、地下室に閉じ込められ誰とも口を利くことも許されず、虐げられていた自分と。

 そしてデジレは、ラグドルについて今の時点でわかっていることを淡々と話しはじめた。



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