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第13話 春の国の聖樹

 次の日のスプリング国は快晴とまでは行かないものの、外出を妨げるような異常気象は見られなかった。

 やはりシルクが来てからは以前よりも気象は安定している。


 ハルとシルクは朝食を終えると、共に城門の外の広場へと出る。

 そこには真っ白なリムジンが停車していた。すでに運転手も運転席でスタンバイしている。

 シルクが驚いたのは、それが光り輝く高級車だからではない。


「移動って車なのね。てっきり馬車とか想像してた」


 童話のような城や、王子様のようなハル。そして魔法が存在する国だから、機械よりもメルヘンな馬車をイメージしてしまう。

 どうやら、この世界は魔法と科学が融合していて、効率的に使い分けているらしい。

 ハルは白馬の王子様ではなく、白い車の神様なのであった。


「この異常気象じゃ馬が大変だよ。さぁ、シルクちゃん。……いや、シルク様、どうぞお乗り下さい」


 ハルは後部座席のドアを開けると、先にシルクを乗せようと姿勢を低くしてエスコートする。

 神でありながら女神を立てる紳士的な態度は、まさに白馬の王子様のようで惚れ惚れするだろう……普通の女性であれば。

 シルクは基本的に無感情。特別な感情は何も起こらない。

 そうして車が発車すると、シルクはずっと無言で窓から外の景色を眺めていた。


(これが、スプリング国の城下町……寂しい街)


 商店街に人通りは少なく、街路樹は枯れて枝のみ。これが終末に向かう国の成れの果てだと思うと胸が痛くなる。

 車は城を出てから城下町を直進し続けている。つまり、城から真っ直ぐの方向に目的地がある。

 城下町を抜けると広場に辿り着いた。公園にしては広すぎるし、遊具や建造物などは何もない。


「シルクちゃん、着いたよ」


 車が停車すると、ずっと窓の外を眺めていたシルクの隣でハルが呼びかける。

 城を出てからわずか数分、意外とすぐに目的の場所に辿り着いた。

 シルクが車から降りると、そこは樹木も草花も存在しない、ただの広場。土の地面のみが延々と広がっている。


「ねぇ、聖樹って、どこにあるの? 何もないけど……」


 広場を見渡しながらハルに話しかけるが反応がない。視線を前方から横に向けると、いつの間にかハルは小さな女の子と話していた。

 ハルがこの広場に定期的に来る事は周知されていて、一般市民はハルの姿を見ようと周囲に集まってきている。

 5歳くらいの女の子は、大事そうに小さな植木鉢を両手で抱えている。


「ハル様ー! このお花、元気ないのー! 元気になる?」

「ん? ちょっと見せてね」


 ハルは膝を折って片膝を地面に尽き、女の子の目線と同じ高さになる。神が庶民に跪くなんて、ありえない事だ。

 シルクも横から植木鉢を覗くと、その苗は花も蕾もなく枯れかけている。この異常気象の中で花を育てるのは難しい。

 悲しそうに俯いている女の子に向かって、ハルは優しく微笑んだ。


「大丈夫だよ。お花が元気になる魔法をかけるね」


 ハルが植木鉢に向かって両手をかざすと、花の苗がふわっとした温かい光に包まれた。

 その一瞬の灯が消えると、枯れかけていた苗の姿が変わっていた。生き生きとした緑色の茎で真っ直ぐ立ち、瑞々しい葉を広げている。

 それはまるで、命の灯で息を吹き返したかのように見えた。

 それを見た女の子も、パッと花咲くように明るい笑顔に変わった。


「わぁ! ハル様、ありがとう! お花が咲いたら、また見てね!」

「うん、楽しみにしてるね。きっと綺麗なお花が咲くよ」

「うん!!」


 女の子は植木鉢を抱えたままで大きく頷くと、後ろで待っていた母親の元へと駆け出す。ハルは膝を突いた体勢のままで、女の子と母親に手を振って見送る。

 横で見ていたシルクはハルの力に感動したが、ハルは晴れやかな顔はしていない。


「すごいね。ハルくんにだって、こんなに素敵な力があるのに」

「うん……。でも僕にはもう、この程度の力しかない。聖樹も国も救えないんだよ」


 ハルの魔法は『春魔法』。春の種族が使う魔法で、前にサクラも飛行や結界の魔法を使っていた。神として国の季節を司るハルだが、その魔力は年々弱まっている。

 言葉を返せずにいるシルクの横で、ハルは静かに立ち上がると前方を指差す。


「あれが聖樹だよ」

「え……どこ?」


 ハルが示す方向を見ても、聖樹どころか木は1本も見当たらない。

 視線を少し下に移動させると、人の背丈ほどの木が1本だけ生えている事に気付いた。

 シルクは、その小さな木……いや、もはや苗木と呼ぶに相応しい聖樹に歩み寄る。


「これが聖樹……もっと大きな木を想像してた」


 お世辞にも立派とも美しいとも言えない、燻んだ色の枯れかけた聖樹。高さはシルクが少し見上げるくらいなので、ハルの身長とほぼ同じ。

 ハルも歩み寄って聖樹の前に立つと、まさにハルの身長と同じ高さである事が見て分かった。


「この木は、僕の命と繋がっている。僕の分身、もう一人の僕と言えるね。運命共同体だよ」


 衝撃的な内容にシルクは言葉を失う。スプリング国の象徴である聖樹は、ハルの命の象徴でもあった。

 聖樹が枯れた時に、ハルの命も尽きる。その逆もまた然り。

 そしてハルの命は、国の運命そのもの。ハルが死ねば、スプリング国の季節が崩壊して生物が生きられない環境になる。

 ……まさに、女神の死によって滅んだという、あのシーズン国のように。

 生気のない聖樹の枝には、僅かな枚数の葉がついている。ハルは手を伸ばして、その中の1枚に指先で触れた。


「この葉はね、万能薬の原料になるんだよ。聖樹を救えれば、もっとたくさんの人を救えるのにね」


 独り言のようなハルの呟きが自虐にも聞こえる。

 ハルの命の危機が、すでに目前に迫っているという現実を知った衝撃にシルクは震える。

 それでもハルは自身の命ではなく、国と人々を救う事だけを考えている。


(私の力でハルくんを救えないの? ハルくんを救いたい……!)


 衝動的に沸き起こった強い願いに動かされて、シルクは一歩前に踏み出す。

 ハルがシルクに聖樹を見せたのは、シルクの能力で聖樹を救えるかもしれない、という期待もあったのかもしれない。

 ハルは、そっと聖樹から離れてシルクを見守る。


 だが、シルクは気付いていない。

 以前は『スプリング国を救いたい』という願いと共に無意識に発動した、女神の能力。

 今は『ハルを救いたい』という願いに変わっていた、その気持ちの変化に。

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