ハルと添い寝をした夜、泣きながら眠りに落ちたシルクは夢を見た。
それは、先ほどのフラッシュバックと同じシーンから始まった。
滅びたシーズン国の廃墟で一人佇む、女神シルクの姿。
(私が彼を愛したから……シーズン国は滅んでしまった)
両手で握りしめている銀色の短剣の刃は、自身に向けられている。
(全てを封印して、やり直して……必ず……次こそは……)
胸に突き刺した刃の痛みは感じない。ただ意識だけが遠くなっていく。それは、魂だけが抜けていくような感覚で……。
霞んだ視界で、誰かの温もりと共に声が聞こえた気がした。誰かが自分を抱いているのだろうか。
(そんな顔しないで。大丈夫、私もあなたも……全てを忘れるから)
ぼやけていく視界の中では、もう愛しい人の顔すらも認識できない。
(次こそは……決して、あなただけを愛したりは……しないから)
その『あなた』とは、誰なのか。
そこから先の映像は、視界が暗転して急に何も見えなくなった。
その暗闇の中で、女神シルクからのメッセージだけがシルクの心に響く。
『来世の私……お願い、世界を救って。そして、シーズン国を蘇らせて』
シルクが目を覚ますと、朝になっていた。
いつの間に眠ってしまったのだろうか……同時にシルクは、自分の頬を伝う冷たい雫に気付いた。
昨晩からの涙がまだ止まっていない。いや、寝ながら泣いていた……これは夢で流した涙の続きなのかもしれない。
「……シルクちゃん、起きた?」
シルクの背中側から、ハルの囁く声が聞こえてきた。
二人は同じ毛布の中にいるが、昨日の夜からずっと背中合わせで寝ている。
だが、シルクはハルの方を向けない。泣き顔を見せてしまったら、優しいハルはきっと自分を責めるだろうから。
ハルに背中を向けたまま、シルクは上半身を起こして毛布から抜け出そうとした。
「私、自分の部屋に戻るね……」
シルクの様子がおかしい事に気付いたハルは、離れていこうとするシルクの片腕を掴んだ。
力強く引っ張られて、シルクは思わず体を反転させる。
「……! シルクちゃん、泣いてるの?」
「あ、こ、これは……ちがう……」
シルクは慌てて顔を背けるが、涙は止まらない。普段は無感情なのに、涙を見せてはいけない時に限って感情がコントロールできない。
そしてシルクの恐れた通り、その涙の意味を自分のせいだとハルは受け止めてしまう。
「……ごめんね。無理に添い寝をさせてしまって」
「ちがうの、これは……ハルくんのせいじゃ……」
この涙は、そんな意味ではないと伝えたいのに上手く説明できない。シルク自身にも、この涙の理由が分からない。
ハルは起き上がってベッドから下りると、窓際に立ってピンクのカーテンを少しだけ開く。曇り空で朝日は差し込まない。
「今日は風が強いね」
そのハルの一言で、シルクの女神の能力が発動しなかった事が伝わる。
窓の外では、シルクが初めてスプリング国に来た日と同じような強風が吹いていた。
スプリング国の異常気象は収まらない。それはハルの心に影響されて加速したように感じる。
添い寝は、二人の心と季節の安定を遠ざけただけの行為に終わった。
自室に戻ったシルクはネグリジェを脱ぎドレスに着替えると、そのままベッドに伏せて倒れた。
未だに涙が次々と溢れては流れ出す。涙が止まるまで部屋を出られそうにない。
シルクには自身の涙の理由が分からない。感情としては悲しくないのに、自然と泣いてしまう。
添い寝でも能力が発動できなかったからか、ハルを悲しませたからか、あの夢のシーンのせいなのか。
答えが出ずに考え続けていると、部屋のドアが外側からノックされた。
「シルク様、おはようございます~!! お茶をお持ちしましたぁ!」
ノックの返事も待たずに、空気も読まずに明るいテンションで入ってきたのは、メイドのチェリー。
いや、チェリーの底抜けの明るさは逆に空気を変えてくれる。シルクは少し救われた気持ちがした。
チェリーはティーセットを乗せたトレーを持っている。
「あれっ!? シルク様、泣いてるんですか!? どうしたんですか!?」
「あ、大丈夫、これは悲しいとかじゃなくて、なぜか勝手に涙が出てきちゃって……」
シルクは涙を拭って笑顔を作ろうとするが、それでも勝手に涙は流れてくる。
チェリーはサイドテーブルにトレーを置くと、心配そうにシルクの顔を覗き込む。
「お察しします、不安ですよねぇ……記憶を無くされて異国で暮らし、さらにハル様に溺愛されて、いくらクールなシルク様でも情緒不安定になりますよぉ」
「ちょっと待って、溺愛って何?」
シルクにはハルに溺愛されている自覚など全くない。だがチェリーの性格は言葉も飾らずに率直なので、シルクも照れずに話ができる。
「誰が見ても分かりますよ、あれは溺愛ですよぉ! 私が思うに、絶対にハル様はシルク様を娶ろうとお考えです!」
「え……」
いきなり話が飛躍した。確かにハルは好きだと告白してくれたが、まさか結婚までとは考えていなかった。
「……そうなの、かな?」
「はい。ハル様が女神様とご結婚すれば、国は安泰ですから! 応援してますよぉ!」
その言葉を聞いたシルクは、悲しさとは別の痛みを胸に感じた。思ってもいなかった可能性に気付き始めてしまった。
そんなシルクの心を知らないチェリーに悪気はないが、テンション高めに一人で話を続ける。
「そして、女神の力を受け継いだお子様がお生まれになれば、スプリング国の安泰は間違いなしです!」
「…………」
シルクの中に、新たな不安と疑問が生じる。ハルがシルクと結婚したいのであれば、その目的は国の安泰なのだろうかと。
確かにハルは、自分の命よりも国のために生きる神。シルクに向けるあの優しさは、愛とは違うのだろうか。
シルクの能力を欲するだけでなく、子孫、後世にまで女神の能力を残そうという……単なる使命感なのだろうか。
考えれば考えるほど、流れる涙も疑問も尽きない。
チェリーは先ほどサイドテーブルの上に置いたティーポットを持つと、ティーカップに紅茶を注ぐ。
「心を落ち着かせるには、この紅茶が一番ですよ。特別な桜の葉をブレンドしてあるんです」
シルクはティーカップを受け取って一口飲むが、桜の甘い香りも、味も……何も感じられなかった。