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第19話 春の訪れ

 雨に打たれて、風に吹かれながらも、重ねた唇だけは熱い。

 体に温もりが浸透してきて、まるで全身に春の季節が巡ったようにシルクは感じる。

 それはハルも同じで、身体中に熱と共に力が漲って今にも弾けそうな感覚になる。

 地上に降り立って二人の様子を見守っていたサクラが、まず気象の変化に気付く。


(暴風雨が収まった……これは……)


 雨音も風音も消えて急に静かになった広場だが、変化はそれだけではない。

 曇り空が晴れて辺りが明るくなった。陽の光がスポットライトのように二人を照らして、その姿が神々しく輝いて眩しい。

 いや実際、シルクを抱いたハルの姿……二人の体から光が放たれていた。

 サクラは、その不思議な光景をただ呆然として見ていた。


(これは女神の力? それともハル様の……?)


 その光はドーム状に広がり、枯れた草木を蘇らせながらスプリング国を覆っていく。

 まるでキャンバスに落とした一滴の絵の具が広がっていくように、全ての枯れ色を鮮やかな色彩に彩りながら国を埋め尽くしていく。


 ほんの数秒の口付けから離れて、シルクは目を開ける。

 ハルを見上げていたシルクの頬に、ひらりと何か小さいものが舞い降りてきて張り付いた。手で取ってみると、それはピンク色の小さな花びら。


「桜の……花びら?」

「シルクちゃん、聖樹を見て!」


 ハルの声に促されたシルクは、お姫様抱っこの状態から下ろしてもらうと、ようやく地面に立つ。

 少なくとも今世ではファーストキスなのに、余韻に浸る暇も、照れる暇もない。

 シルクが聖樹の方を向くと、視界に映ったのは木の太い幹のみ。


「……え?」


 その幹を辿るように視線を上に向けていくと、視界は満開のピンク色に埋め尽くされた。

 同時に、そこから無数の小さな花びらが落ちて、ピンク色の雪のように地上に降り注ぐ。


「桜の木……」


 思わずシルクが呟いたその視線の先には、桜の巨木がそびえ立っていた。その高さは5メートルほど、幹の太さも1メートルはある。

 全体の姿を見ようとシルクは見上げたままで後ろに下がるが、バランスを崩して背中から倒れそうになった。後方にいたハルが咄嗟にシルクを抱きとめた。

 ハルに体を預けながらも、シルクの視線は変わらずに前方の聖樹を見上げている。


「すごい……聖樹が成長したの? 聖樹って桜の木だったのね。すごく綺麗……」

「これが聖樹の本当の姿だよ。聖樹が生き返ったんだ」


 ハルの背丈くらいしかなかった聖樹の苗木が、本来の姿を取り戻した。ハルは懐かしそうに目を細めて聖樹を見上げる。


「この姿を見たのは数百年ぶりな気がする。ありがとう、シルクちゃんの力だね」


 ハルは内ポケットから白いハンカチを取り出すと手の平の上で広げた。その上に何枚かの桜の花びらが落ちると、ハンカチを巾着のように丸めて包む。

 それを持って、ハルは少年の前に差し出した。


「聖樹の花びらは、どんな病にも効く薬だよ。これでお母さんも元気になるよ」


 少年はパッと明るい笑顔になってそれを受け取る。


「ありがとう、ハル様、女神様!」


 その言葉を聞いたシルクが目を丸くして驚いた。シルクは名乗っていないのに『女神』だと言われたからだ。

 少年はシルクの方に駆け寄ると、ニッコリと笑ってその疑問に答える。


「お姉さんは女神シルク様だよね? 伝説は本当だったんだ!」


 その言葉でシルクは納得した。スプリング国では女神シルクの伝説は周知されている。それは子供にも童話のように語り継がれているのだと。

 シルクの能力を間近で見た少年は、シルクが本物の女神だと信じて疑わない。

 そんな少年の元へサクラが歩み寄る。


「彼は私が自宅まで送り届けます。ハル様、シルク様、お先に失礼いたします」


 サクラは少年を抱き抱えると、背中に桜の羽を出現させて飛び立つ。サクラの事なので、二人だけにさせようという気遣いもあったのだろう。

 空の彼方へと飛び去るサクラを見送るシルクは、ようやく視界に映った周囲の景色を見て変化に気付いた。


「え、広場が……!?」


 聖樹が復活しただけではない。土の地面のみだった広場には一面に緑の草が生い茂っている。周囲には背の低い若い樹木が点々と生えている。

 さっきまでの暴風雨が嘘のように、暖かい日差しと穏やかな風。まさにスプリング国に春の季節が訪れた。

 呆然と立ち尽くすシルクの横にハルが立って小さく笑う。


「ふふ。ね、僕の言った通りでしょ。キスで能力が発動したね」

「……ちがうよ、これはハルくんの力だよ……」

「じゃあ二人の力だね」


 シルクは今になって照れてしまい、見たいはずのハルの笑顔を直視できない。

 中庭の桜の時は、二人が国を思って手を重ね合わせたから能力が発動した。

 聖樹の時は、シルク一人で能力を発動しようと試みたから発動しなかった。

 添い寝の時は、ハルは神の使命よりも『男』としてシルクに触れたから能力が発動しなかった。

 つまりは、二人が国を救いたいという思いの上で触れ合うと能力が発動する。


「ねぇ、シルクちゃん……」


 ハルはシルクの気持ちを確かめたかった。キスという行為で確信したのに、言葉でも聞きたいという欲が出てしまう。

 隣のシルクの肩を抱き寄せようとして片腕を伸ばすが、ハルの手がシルクの肩に触れようとした時。


「くしゅんっ!!」


 シルクのくしゃみに驚いてハルは手を引っ込めた。

 よく考えてみたら、二人とも雨に濡れた後でびしょ濡れなのだ。


「あ、風邪引いちゃうよね。喜ぶのは後にして帰ろうか」

「ち、ちがう、くしゅん! これは……くしゅん!」


 シルクのくしゃみの原因は花粉症なので、自分用に聖樹の花びらを数枚拾ってハルに預けた。


「僕の魔法で城まで飛んで帰るよ。それでは女神シルク様、どうぞ僕の腕の中へ」


 ハルはふざけて紳士的な態度で身を低くしながらシルクを待ち構える。サクラの時と同じように、お姫様抱っこで空を飛んで帰るつもりだ。

 シルクもハルに合わせて、ドレスの裾を両手でつまんで軽くお辞儀をする。


「はい、春の神・ハル様。失礼いたします」


 ハルに抱き上げられると、シルクは彼の肩に腕を回してしっかりと抱きつく。

 すると、ハルの背中に桜の花びらのようなピンク色の羽が広がる。春魔法・桜の羽だ。

 ハルは魔法を使った瞬間に、それがいつもと違う感覚である事に気付いた。


「不思議な感じがするよ。今は力が漲っている。どんな魔法でも使えそうだよ」

「……ハルくん、それって、もしかして!」


 ハルが力を取り戻したという事は、スプリング国にも季節が戻ったという証。

 聖樹だけではない。ハルはスプリング国とも一心同体の神なのだ。

 シルクの期待に応えるようにハルは頷くと上空を見上げる。


「確かめてみよう」


 ハルは羽を羽ばたかせて飛び立つと、可能な限り上昇していく。やがて城下町が一望できるほどの高さになった。

 その景色を目にしたシルクは思わず感動の声を漏らす。


「これがスプリング国……綺麗な国」


 城下町の道はピンクの花のアーチで彩られ、街路樹は満開の桜の木。広場や公園の草木の緑の中には、色とりどりの花々が散りばめられている。

 まるで大きな絵画のキャンバスを横に倒して上空から鑑賞しているような気分になる。

 その光景を眺めていたら、シルクの頬に再び雫が流れ落ちる。


「シルクちゃん、また泣いてるの!? 大丈夫?」

「あ、ちがうの……嬉しいの。すごく嬉しいの」


 この涙は悲しみではなく、花粉症でもない。嬉し涙だった。シルクは今、スプリング国が救われた事を心から『嬉しい』と感じた。

 きっと自分は、この美しい世界を見るために生まれてきたのだと素直に思えた。



 スプリング国は、春の季節を取り戻した。

 シルクの転生の意味と使命。それは失った記憶と感情、そして全世界の季節を取り戻すこと。

 シルクは失った喜怒哀楽の感情のうち、春の国を救った事により『喜』の感情を取り戻した。

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