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第21話 シルクの決意

 ハルとシルクが婚約した日から、ハルの溺愛がさらに加速した。

 国が平和を取り戻し、恋愛も成就したハルには、もう未来の不安などは一切ないのだから当然であった。





 夜に入浴を済ませて脱衣所を出ると、リビングではチェリーが落ち着かない様子でいる。

 この時間は、メイドであるチェリーがシルクの寝室のベッドメイキングを行うために部屋にいる。

 シルクの姿を見ると、狼狽えていたチェリーは飛びつくようにしてシルクの目の前に寄る。


「し、シルク様……大変です」

「え? どうしたの?」


 湯上がりで濡れた銀の髪をバスタオルで拭きながらシルクは問いかける。

 バスタオルを動かすシルクの左手の甲に何かを見付けて注目したチェリーが、さらに大声を上げる。


「あっ! ああ~!! その紋章は、まさかぁ~!!」


 大げさに驚くチェリーの視線の先……シルクは自分の左手の甲を見て思い出した。


「あ、これ……」

「なんと、ついにご婚約されたんですねぇ! おめでとうございます!」

「ありがとう……」


 シルクが説明するまでもない。桜の紋章の意味は、この国の者なら誰でも知っている。

 婚約は公表してないし誰にも言ってないが、この分だと噂が広まるのは時間の問題だろう。

 するとチェリーは、今度はなぜか頬を赤らめて姿勢を正した。


「あ、なるほどぉ、それで……どうぞ、ごゆっくり。それでは失礼しますっ!」


 チェリーは勝手に何かを解釈して納得した様子で、深くお辞儀をすると素早く退室した。

 何だろうと思いながら、ネグリジェ姿のシルクは寝室のドアを開ける。

 ……するとそこには、シルクのベッドの上に堂々と寝転がっている婚約者の神がいた。

 シルクは無表情のままベッドの前に立つと冷たく見下ろす。


「……何してるの、ハルくん」

「シルクちゃん、待ってたよ。一緒に寝よう」


 そう言うハルは、しっかりと寝間着を着て待ち構えている。

 最近のハルはシルクに対して『甘々』ではなく、『甘えている』ようにしか見えない。

 ここで対応を間違えば、甘えは激化する。仮にもハルは神。厳しい態度で返すのも愛情……もはや母性。


「もぅ、子供じゃないんだから……それとも大人の夜這い?」

「うん。婚約したんだし、本当に夜這いしてもいいよね。シルクちゃんは夜這いする方とされる方、どっちが好き?」


 以前よりもストレートなハルの愛情表現は、もはや無敵で無双。このままではシルクが押されて負けてしまう。


「どっちも好きではありません」

「シルクちゃん、敬語が怖いってば……」


 婚約しても塩対応で通すシルクは、必要以上にハルに触れようとはしない。だからこそハルは必要以上にシルクに触れようとする。

 離れようとしても、くっつく……磁石みたいなものだ。

 だが実は、シルクはハルを拒みたい訳ではない。愛さないように自制しているだけ。

 ハルはベッドの上に座ると、少年のように無邪気に笑う。


「冗談だよ。何もしない。結婚するまで初夜は我慢するからね」


 そしてハルも自制してシルクを気遣っている。そんなハルの優しさがシルクの自制を揺るがす。

 だが、シルクは決して『使命』を忘れてはいない。このままハルの愛に溺れる訳にはいかない。

 シルクもベッドの上に乗ると、ハルの前で正座をして改まる。


「あの、ハルくん。私、他の国に行ってみたいの」

「他の国? どうして?」


 ハルの笑顔が消えて真顔に……いや、これは嫌悪の顔だ。ハルは他国の話になると極度に不快を顔で示す。

 ハルに本当の意図を話す訳にはいかない。シルクは咄嗟のアドリブでハルの反応を試す。


「えっと、旅行してみたいな、なんて……」

「それはできない。他国は危険だよ」


 予想通り、ハルはシルクをスプリング国から出さないつもりだ。

 ハルの言葉に嘘はない。スプリング以外の国はまだ異常気象の中にあり、シルクが女神だと知られたら確実に狙われる。

 それに、他国よりも自国が危険なのだ。シルクの不在により、女神の能力『季節の安定』の効果がなくなる事を恐れている。

 一見、それは国の平和のため。だがハルの本当の心は、純粋に愛の独占欲でもある。


「じゃあ、シーズン国なら行ってもいい? 私の祖国だから……婚約の報告を兼ねて祈りを捧げに行きたいの」


 そう言ってしまえばハルは拒めないだろう。シルクには、その提案が卑怯だという自覚も罪悪感もある。

 滅びて廃墟となったシーズン国だが、シルクだけではなく全世界にとっても重要な場所。

 季節を失ったシーズン国を蘇らせるには、春夏秋冬4国の季節を安定させる必要がある。逆を言えば、シーズン国が蘇れば4国の季節は安定する。

 5つの国は相互作用と調和で成り立っている。シルクは、なんとしてでも全世界を救いたいと思った。

 狙い通り、ハルは真剣な表情で頷いた。


「分かった。いいよ。僕は一緒に行けないから、サクラちゃんに同行してもらうよ」

「ハルくんは国外に出られないの?」

「シーズン国なら行けるよ。季節の干渉の影響がないからね。でも神と女神が同時に国を離れるのも不安だしね」

「あ、確かに……」


 スプリング国が平和になってからは、ハルの神としての判断は保守的で国を一番に考えている。

 春夏秋冬の4国は季節の干渉を避けて国交断絶をしている。そのため、他国の者の入国は忌まわしいとされる。

 シーズン国には特定の季節がなく、どの国からでも入国できる。全世界の異種族が交流できる唯一の場所と言える。

 しかし国境は厳重な壁と結界で封鎖されているので、一般人には通過できない。


「僕とは、そのうち一緒に婚前旅行に行こうね。もちろん新婚旅行も。ふふ、楽しみだなぁ」

「……うん」


 ようやく笑顔になったハルだが、シルクの心は重い。


(ハルくん、ありがとう……ごめんなさい)


 密かな決意を胸に、シルクは先に毛布の中に入る。そして物欲しそうに見つめてハルを待つ。


「ハルくん、寝よう」


 まるでハルと離れる事を惜しむかのように、シルクは素直に添い寝を受け入れた。


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