夏の神・ナツから発せられた言葉は、突然の呼び捨てと命令口調。
シルクは何か言葉を返そうとするが、開いた口が塞がらない。
改めてナツの姿を見てみるが……何者だろうか、このオレンジ色の海パンをはいた褐色マッチョの男は。
「どうした、シルク。早く異常気象を止めてみせろ。スプリング国を救った女神なら簡単だろ?」
黙っていれば調子に乗る。確かにサマー国を救いたいが、こんな他力本願の命令口調で言われては快諾しづらい。
ナツを見ると意地悪そうな目はしていない。率直なだけで悪気がないからこそ反応に困る。
……それに、シルクは女神の能力を自由に使える訳ではない。無意識に発動するのだから。
「……ナツさん。お言葉ですが、簡単にはできません。時間が必要です」
「ふーん。なんだ、すぐにできないのか、面倒だな」
ハルの言っていた通り、ナツは短気なようだ。
「まぁいい、しばらく待ってやる。あと、その敬語やめろ。なんか冷たく感じるぞ」
「分かった、ナツくん」
あっさりとタメ口で対応するシルクであった。確かに無表情・無感情のシルクの敬語口調はクールを通り越して冷たい。
ナツは見た目は20歳くらいで年上だが、友達口調はハルの時で慣れている。この適応能力は気高い女神の本質かもしれない。
しかし、この国の気温には適応できない。色白のシルクの頬が赤みを帯びて、足元がフラフラしてきた。決してナツに見とれている訳ではない。
倒れかかったシルクをナツの逞しい胸と腕が抱きとめる。
「おっと。とりあえず城に入るぞ」
「え……きゃっ」
ナツは軽々とシルクを抱き上げて、そのまま海とは反対方向の竜宮城……いや、城へと向かって歩きだす。
今まで何人に何度、お姫様抱っこをされただろうか。シルクはお姫様ではなく女神様なのだが、問題はそこではない。
(は、裸の男の人に抱かれてるっ……!)
正確にはナツが裸なのは上半身だけだが、逞しい褐色の胸板に密着されて気が気ではない。
シルクは婚約者のハルとも初夜を迎えていないので、男性の肌に触れる事に耐性がない。純粋で純潔で純白の女神である。
「ちょっと、あなた! こんな事して、恥ずかしくないのっ!?」
恥ずかしがっているのはシルクの方だが、ナツは楽しそうに笑っている。
「なに言ってんだ、フラついてたくせに。心配するな、シルク。大事にしてやるよ」
「えっ……」
「オレが能力を引き出してやる。どんな手を使ってでも、この国を救ってもらうからな」
それを聞いたシルクの中で沸き起こった感情は、嫌悪でも不快でもない。
人を敬いもしないし、女神の能力しか求めていない。そんなナツに対する、煮えたぎる『怒り』であった。
思えば、サマー国に来てからのシルクは怒ってばかりいる。喜怒哀楽を失った無感情のシルクが『喜』の次に取り戻しかけている、第2の感情『怒』であった。
そんな夏の神と女神の後ろ姿をアラシは楽しそうに傍観している。自国の危機も忘れて自然と笑いがこみ上げてくる。
「ははっ! 面白ぇ~」
いつか自分もサクラを……と想像するアラシだったが、イケメンな彼女を抱き上げる機会はなさそうだ。
ナツに抱かれたまま城の中へと入るシルクだったが、不思議な事が多い。
まず城門も扉もなく、出入り口は大きく開放されたままの状態。中に入るとすぐに広いエントランスホールだが、四方に何もなくオレンジ色の壁だけ。
その壁や天井に至るまで泥や苔などで汚れていて、掃除はされていないように見える。
(もしかして、これも異常気象の湿気のせいで……?)
そんな事をシルクが考えている間に、ナツはホールを直進して正面にある大きな階段を上っていく。
いつまで抱かれながら歩くのだろうかという疑問と同時に、この状態で長い階段を上っても息切れすらしないナツの体力に驚いてしまう。
2階までくると、1階のホールのような汚れはなく綺麗な廊下が続いている。
その途中にある1つのドアの前で立ち止まるが、ナツはシルクを抱いているので両手が塞がっている。
「おい、シルク。この部屋のドアを開けろ」
(……それなら私を下ろせばいいのに)
そう思いながらも、シルクはナツの代わりに片手を伸ばしてレバーハンドルを握ってドアを開ける。
それにしても、シルクはナツの命令口調に腹が立つ。スプリング国ではハルも含めて、シルクは女神として敬われていただけに落差が激しい。
そのまま部屋に入ると、さらにその奥まで突き進み、なんとシルクをベッドの上に下ろした。
白いシーツの海の上に、シルクの銀色の長い髪が波打つように広がる。
(え? これって……)
ベッドの上に仰向けに倒されたシルクは嫌な予感がした。いや、もうこれは確実に危機的状況だろう。
思った通り、ナツはベッドに乗るとシルクに覆いかぶさる形で迫ってきた。しかも彼は上半身は裸の海パン姿だ。
無抵抗で思考も体も固まっているシルクに、ナツは燃えるようなオレンジの瞳を接近させた。
「答えろ。どうやったら女神の能力が発動する?」
どうやら、これはナツ流の拷問……ではなく尋問らしい。だが答えを間違えば何をされるか分からない。
ハルにも押し倒された事なんてないのに、こんな危険な状況で何を言えばいいのか正解が分からない。
それでもナツの尋問は容赦なく続く。
「スプリングの時は、どうやった? ハルがシルクに何かしたのか?」
「……知ってどうするの?」
「オレも同じ事をしてやる」
シルクは間違っても正解なんて言えない。ハルの時は『キスで発動した』なんて。
ハルとのキスを思い出したシルクは、急に恥ずかしくなって頬を赤く染めた。当然、それはナツを余計に煽る。
「なるほど。交わればいいのか」
「そこまではしてないっ!!」
思わず叫び返してしまったシルクだが、このままではハルよりも先に初夜を迎えてしまうかもしれない。
この状況を切り抜けるために、シルクも手段を選んでいられない。仕方なく、ここでも女神の権限を行使する。
「ぶ、無礼ですよ……離れなさい。私は、女神シルク……です。これ以上の行いは、国を滅ぼしますよ……」
精一杯の虚勢を張り、下手な演技で棒読みのセリフを言うが、なんだか虚しい。
なぜ女神が女神の真似をしているのだろうか。これでは脅迫まがいだし、国を救うはずが滅ぼす女神になっている。
だが、こう見えてナツは聡明な神。おそらくシルクの演技を見抜いているが、意外と素直に体を離した。
「ははっ! 悪い、言いすぎたな。まぁ、ゆっくりしてけ。この部屋、使っていいからな。さて、もうひと泳ぎしてくるか」
ナツは明るく笑うと、広く逞しい背中を向けて部屋から出て行ってしまった。
シルクはベッドに仰向けにされたままで置いていかれて、放心状態で天井を見つめる。ベッドも壁も天井も赤やオレンジ系で目がチカチカする。
冷静になって考えてみると、ナツは熱中症になりかけていたシルクをベッドに運んでくれたのかもしれない。
(ナツ……くん)
それにしても、この異常な暑さの中で、よく海水浴なんてできると思った。
(早くこの国を救わないと大変な事になるかも)
シルクは今、サマー国の危機よりも自分の身の危機を感じていた。