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第31話 ナツの命の灯火

 シルクの左手の紋章から放たれたピンク色の光がシルクの全身を包んだ。


(この温もりは……ハルくんと同じ)


 その温もりが全身を伝って背中に集中すると、シルクの背に大きな4枚の羽が広がった。

 二対のピンク色の羽は、桜の花びらの形をしている。これはハルやサクラが使用していた春魔法、桜の羽だと気付いた。


(え……? 今、私が春魔法を使ったの!?)


 桜の紋章によって、シルク自身にもハルの魔力が宿ったのだろうか。理屈は分からないが、考えている暇はない。

 ハルが力を貸してくれたように思えて、今まさに荒波に立ち向かう勇気を与えてくれる。


(ハルくん、ありがとう)


 シルクは迷わずに羽を広げて羽ばたかせて、灰色の空へと飛び立つ。その瞳は、海の彼方に立ち昇る2つの竜巻を見据えている。

 炎を纏って赤い竜巻となっているナツは、躊躇いもなく標的の巨大な竜巻に衝突する。それは、まさに捨て身の体当たり。


「ぐ……! 消え、ろ……!!」


 ぶつかり合う2つの竜巻と、その周辺にはナツの炎の熱による蒸気が立ち込めている。

 やがて標的の竜巻の勢力が弱まって、細く小さく形を変えていく。だが、それはナツも同じ。魔力も体力も限界を超えて力尽きる寸前であった。

 残り少ない命を削り続けるナツは、薄れゆく意識の最後にシルクの声を聞いた気がした。


「ナツくん!!」


 シルクは全力でナツの元へと辿り着こうとするが、雨に濡れた羽と浴衣が重くて飛行のスピードが出ない。

 ナツの姿は確かに見えるのに、そこへ行けない。そのもどかしさから、シルクは左手をナツのいる前方へと伸ばした。


「お願い! 海よ、空よ、静まって!!」


 シルクの伸ばした左手の甲が、再びピンク色に輝く。その魔力の光は激しい突風となって、シルクの左手から空へと放たれる。

 巨大な春一番の風は、空を覆う灰色の雲を竜巻ごと全て吹き飛ばしていく。灰色の空に穴が空いて青空が顔を出すと、円形に広がり空を青く染めていく。

 春魔法は主に風系であり、全てを浄化するかの如く闇を吹き飛ばし、そして消し去る。

 やがて竜巻の消えた空は青空で埋め尽くされて、海の波も穏やかに変わった。まるで何事もなかったかのように、真夏の日差しが照り付けている。


(ナツくん……ナツくんは?)


 空中で空を見上げていたシルクが前方に視線を移すと、竜巻との衝突で力尽きたナツが、今まさに海へと落下していく。

 ナツは気を失っているようで、焼け焦げた浴衣と全身からは煙が立っている。

 シルクは咄嗟にスピードを上げて前方に向かって飛行すると、落下するナツの体を空中で受け止めようと下で構える。


「うっ……ぐっ!!」


 重い衝撃を受けたシルクは顔を歪めて耐える。ナツの大きな体はシルクの小さな体では受け止めきれない。シルクはナツの体ごとフラフラと不安定に降下していく。

 その様子を海上から見ていた漁師が機転を利かせた。海に浮かんでいた漁船の1つがスピードを上げて、降下するシルクの下へと移動していく。

 シルクはナツを抱いたまま、下で待ち構えていた漁船のデッキに着地して倒れ込んだ。

 ナツを床に寝かせると、シルクは銀の瞳を潤ませながらナツの顔を覗き込む。


「ナツくん、しっかりして! ナツくん!!」


 ナツは目を閉じたままでシルクの呼びかけに応えない。だが呼吸も心臓も止まってはいない。

 怪我のせいか、残り少ない命を削ったせいなのか……それでもシルクはナツの生命力を信じたい。


 シルクとナツを乗せた漁船は航路を変更して、二人を王宮へと送り届けた。




 その後、ナツは夜になっても目を覚まさない。今も城の自室のベッドで眠り続けている。

 医者の手当てを受けたが怪我の程度は軽く、目覚めないのは外傷が原因ではないと思われた。

 ナツの性格からして心意的な原因も考えられない。無茶をして限界を超えたナツの命が、今まさに尽きようとしていた。

 シルクはベッドの横の椅子に座って、ナツの寝顔を見守り続けている。


(ナツくん、お願い。起きて、目覚めて……笑ってよ)


 こんなに近くにいるのに、女神の能力は何の効果も示さない。脳裏に焼き付いたナツの太陽のような明るい笑顔が恋しい。

 ハルの時のように、触れ合う事で能力が発動するなら……と、思い立ったシルクは椅子から立ち上がる。

 腰を屈めてナツの寝顔に顔を近付ける。長い銀の髪が垂れないように片手で押さえながら、ゆっくりと距離を縮めていく。

 早く目を開けて、燃えるようなオレンジの瞳で見つめてほしい。そう願いながら、ナツの閉ざされた唇に自らを重ねようとする。

 だが触れる直前に、前触れもなく部屋のドアが開いた。驚いたシルクは慌てて体を起こす。


「どうだ、ナツ様は変わらねえか? シルクちゃんも少し休んだ方がいいぜ」


 部屋に入ってきたのはナツの側近・アラシだ。底抜けに明るい彼も、さすがにいつもの元気はない。

 そんなアラシの沈んだ顔を見ていると、シルクはどうしても自分を責めてしまう。


「ごめんなさい。私、女神なのに役に立たなくて……ナツくんを助けられなくて」

「はぁ!? そんな顔すんなよ、シルクちゃんのせいじゃねえよ! 大丈夫だって、ナツ様は強いからな!」


 アラシは無理に笑ってシルクを安心させようとするが、そんな気遣いが余計にシルクの最悪感を増していく。

 ナツはシルクの能力に期待してサマー国に迎えたはず。それなのに一度も能力は発動せずに、ナツの寿命を縮めた結果になった。

 本当は救いの女神ではなく、滅びの女神なのかもしれない。船上で見た漆黒の女神の幻影は、自分自身の姿かもしれない。

 そんな事を考えて沈んでいるシルクの横で、アラシは何か別の事を考えている。


「くそ……何か、ナツ様を救う手はねぇか……魔法でも薬でも何でもいい、何か……」

「……薬?」


 その言葉で思い出したシルクは顔を上げた。そして同時に、左手の手袋の下に隠された桜の紋章を思い出した。


「アラシさん! 私、スプリング国に行ってくる!」

「え? なんだよ急に!?」

「ナツくんを助けられるかもしれない!」


 シルクが思い出したのは、スプリング国の象徴である、あの桜の木。

 ハルの分身でもある『聖樹』であった。

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