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第25話 屋台デート

 淑女らしからぬ足音をカツカツと立てながらマダム・ローズリーが続き部屋から戻ると、とりすました口調でキースに向かい合った。

「キース様、わたくし知らなかったのですけれども……いつからわたくしどものサロンが既製のドレスを扱うようになったのでしょうか?」

 教えていただけますか? と見せた笑顔に周りの店員たちの手が一瞬止まった。

 そんな緊張感の中、キースだけが全く動じない。

「申し訳ありません。そうでも言わないとクラリス嬢に着てもらえないと思ったものですから。自分はマダムのサロンを信用していますので、こちらなら絶対にクラリス嬢に似合うドレスを間に合わせていただけると思いました」

 それはもう真面目な顔で真っ直ぐと伝えると、毒気を抜かれたようにマダムは肩を竦めた。そうして向かいのソファに座ると、今度は本当の笑顔を見せた。

「そこまでわたくしを買っていただけるのは嬉しいですわ。文句の一つも言えないではありませんか。ところであちらのドレスは騎士団本部にご請求してよろしいかしら?」

「いいえ。家の方に回しておいてください」

 キースの返事が面白かったのか、また声をあげて笑うと「承知いたしました」と答えた。

「きっとあちら様も大変驚かれるでしょうね。キース様がドレスを贈るお嬢様がいらっしゃったと知れば」

「そんなことはないでしょう。家はともかく自分はただの騎士ですから。ただ……クラリス嬢、もうよろしいのですか?」

 続き部屋の扉が開きクラリスが顔を出すのと同時に立ち上がった。

 クラリスは顔を出したまま扉で体を隠しもじもじとしている。キースが扉に近づき、クラリスの手を取り扉から離すと、ふわりとスカートの裾が舞い上がった。

 このサロンへ来る時に着ていたネイビーのシンプルなワンピースではなく、たくさんのレースと腰にリボンの飾りが付いた空色の可愛らしいワンピースを身に着けたクラリス。頭の少し高い位置で一つ縛りにされた髪が、クラリスの肩がピクンと動くたびにリスの尻尾のように揺れている。

 そんな愛らしい姿に、キースは一瞬で目を奪われた。

「とても可愛らしいワンピースですが、あの……私の服が、どこかにいってしまったのか、なくなっていて、仕方がなく……」

 手違いで着せてもらったと、一生懸命説明をする姿がまた愛らしい。

「こちらもよくお似合いですよ。手違いなんかじゃありません。自分からのプレゼントですから」

「え?」

 上目遣いでキースを見るクラリスの表情に、ドクンドクンと胸が高鳴る。キースは自分の牙がクラリスを欲して口の中が熱くなるのを感じ、ギュッと歯を強く噛みしめた。

「そんな……私なんかに勿体ないです。ドレスのお店を教えていただいただけでなく、プレゼントだなんて」

「いえ。普段着なのですからたいしたことはありません。それにお節介かもしれませんが、クラリス嬢はドレスどころか普段服もあまり持ってきてはなかったですよね」

 確かにキースの言うとおりだった。ルバック伯爵家を追い出されるように出てきたクラリスはあまり服の予備はなく、元々実家でも長く着ていたものだっただけに、そろそろ新しい服がほしいと考えていたところだ。

「本当に、よろしいのでしょうか?」

「ええ。もしクラリス嬢がただ贈られるのが気になるのでしたら、自分の散策に付き合ってもらえると嬉しいですが、いかがですか?」

「一緒に、ですか? キース様と?」

 まさか一緒に出掛けるのがこの服のお礼と言われるとは思いもよらなかった。それでもキースは本気のようで、クラリスの手を取ったままにこりと笑顔を見せてくる。

 クラリスは鏡に映った自分の姿をもう一度上から下まで見てみる。柔らかな空色のワンピースは羽根のように軽い着心地で、どこへでも飛んでいけるような気持ちにさせられる。

 いつものように重い地面に張りついて妹のビアンカのためだけに存在していたクラリスなんてどこにも見当たらない。

 浮き立つような気分のまま、気がつけばクラリスはキースの言葉に頷いていた。


 マダム・ローズリーたちの見送りを背に、キースと並び街に出ると、そこはクラリスが今までに見たことのないほど賑やかで活気に溢れた世界だった。

「まあ、こんなにも人が……それに獣人の方もたくさんいるのですね」

 通りを行き交う人や獣人、誰も特に変な目を向け合うことなく過ごしている。

「こちらの大通りは大きな店が多いですが、もう少し先に行った広場には屋台も出ていますよ」

「屋台ですか?」

「アクセサリーや小物、軽食などもあるようですよ。見に行ってみませんか?」

「……はい!」

 ルバック領でもお祭りでは領民皆がいろいろなものを持ち寄り、屋台で売り買いをしていた。クラリスもビアンカが彼女を引き留めるようになるまでは、祭りに必ず参加して楽しんでいたことを思い出した。

 王都ほどの人も、珍しく目をひくものもなかったが、それでもあの頃は目に見るもの全てが楽しくてキラキラと輝いていたのを覚えている。

 浮き立つような気持ちでキースに連れられて広場まで歩いていくと、あまりの人の多さに驚いた。老若男女、いろいろな立場の人たちで賑わう広場はルバック領のお祭りなど比べものにならないほど盛況だった。

 呆気に取られるクラリスは思わずキースの腕を掴んだ。

「クラリス嬢⁉」

「キース様……今日は何かのお祭りがあるのでしょうか?」

 屋台でいっぱいの広場をきょろきょろと見回しながら尋ねるクラリス。目をくりっと大きくして、顔を動かす度に一つにまとめた髪が跳ねるところは本当に子リスの動きのようだ。

 キースは笑いが込み上げてくるのをぐっと我慢して答える。

「だいたいはこのようなものですね。まだ夕方くらいまでは賑わっているでしょう」

「これが……夕方まで?」

「ええ。ところでお昼がまだでしたよね。何か食べてみませんか?」

 あまりの人の多さに驚きが隠せないクラリスだが、屋台での食事と聞いて反応した。こうして眺めているだけでも興味深いものがあちこちで見受けられる。

「よろしいのでしょうか?」

「勿論です。少々行儀は悪いですが、郷に入っては郷に従えです。皆と同じように噴水に座っていただきましょうか」

 キースの言葉に大きく頷くとクラリスは彼の差し出した手を取り、屋台の並びの中に向かった。


 噴水周りは人が多すぎたので広場の空いたテーブルに座り屋台で買ったもので二人食事をとった。

 クラリスが買ったものは小さな丸い揚げドーナツが入ったボウルで一つ一つ味が違う。外で食べるのは楽しそうだと思ったが、やはり今までしたことがないので恥ずかしくてあまり口を開けずに食べられるものを選んだのだ。

 キースが手に持っているのは大きなパンの中にこれまた大きなソーセージが入ったホットドッグ。それほど大きな口を開けている様子もないのに吸い込まれるように消えていく。

 ときおりチラリと見えるキースの白い牙にクラリスはつい見入ってしまった。

「うん。意外とボリュームがありますね。クラリス嬢のドーナツはどうでしたか?」 

「……あっ、はい。中にいろいろなものが入っていて楽しかったです。チョコや蜂蜜のように甘いものばかりだと思ったら辛子が入ったものもあったりしてびっくりしました」

「えっ、辛子⁉ あの、大丈夫でしたか?」

「はい。意外でしたがとても美味しかったですよ」

 辛いものはかなり好きな方なので気にならないどころか喜んで食べた。

「キース様もいかがですか?」

 たしかもう一つくらい入っていたような、とボウルの中を覗いていたら「あの……」と、キースが小さな声で絞り出すように言う。

「辛いものは……苦手なので……結構です」

 口元を手で隠しながらふいっと横を向くキースの耳が赤く染まっている。

 そういえばキースのホットドッグにも辛子はかかっていなかった。ほとんどの人が屋台に置いてある辛子を追加でかけているのにもかかわらずキースは見向きもしていなかったなと思い出す。

 辛いものが苦手だからといって、恥ずかしがらなくてもいいのに、と思う反面、普段あれほどキリッとしているキースが見せる表情がなんだかとても可愛らしく思えてしまった。

(どうしましょう……キース様が可愛らしいだなんて……)

 常に格好よく素敵なキースの可愛いらしい一面を見て、クラリスは胸の奥で何かがキュッと鳴った気がした。


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