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第28話 護衛〝狼〟

 クラリスの許可を得たキースは、それからというもの毎日〝狼〟を送ってきた。それもキースが言ったとおり朝から仕事が終わる時間まで一度も消えることなくクラリスの周りにまとわりついている。

 診察室に入る時間からずっと付いているので初めて見る者は皆戸惑った。あの獣師団の獣人たちですら最初は驚きを隠せないでいた。

 騎士団にいれば一度は見たことのあるキースの〝狼〟が見たこともない大きさになってクラリスについてまわっているのだから当然だ。そのうえまるでクラリスの護衛のように立ち振る舞い、接触する者を値踏みしているように見えるのだから恐ろしい。

 勿論その間も時間があればキース本人が顔を出してはクラリスと話をしていく。

 しかもそんな優しい表情ができたのかと驚き二度見する団員も多い。そして察するのだ。

 ——あ、これは余計なことをしたらダメなヤツだ、と。

(というか、どうなっているんだ、中隊長の魔力量は? あれは、ありなのか?)

(普通〝ベル〟が牙を剥いて威嚇なんてしてこないだろう。いやありえないわ……)

(怖い、めっちゃくちゃ怖いぃ……。俺らとの扱いの温度差が怖い!)

 など囁きあい、あらためてキースの規格外の魔力量に驚く。そしてクラリスへちょっかいを掛けることの無謀さを知ることとなる。

 なんにせよクラリス自身が嫌がるでもなく〝狼〟がずっと側にいることを許していることで、順調に増えつつあったクラリス目当ての診察常連組も断念し潮が引くように一人二人と減っていった。

 そうしていつの間にかクラリスの調合室にはよほど急を要するケガ人以外は、獣人たちだけがたむろするようになったのだった。


「クラリス嬢。少しよろしいですか?」

「はい? あ、お久しぶりです、ダイム様」

 クラリスを呼ぶ声に振り返ると、第五中隊のダイムが扉から顔をひょっこりと覗かせた。

「何のご用でしょうか?」

「ああ、実は、これ……うおっ!」

 キースの補佐である彼は一枚の書類を手に調合室の中に入ってきたのだが、それまでソファに寝そべっていた〝狼〟がむくっと首を上げた。

「でかっ! ちょっと、いつの間にこんなに大きくなったんですか⁉」

「あ……そうですよね。多分……その、だんだん、と?」

 クラリスの元に常駐することになった〝狼〟は、キースの魔力をたっぷりと込められ続けたおかげなのか、初日はクラリスの膝丈ほどの大きさだったところ、今では腰丈にまで成長していた。知らない者が見たのなら、本物の狼と間違えてもおかしくないほどだ。

「はぁー。規格外だと思っていましたが、本当におかしいですよね、中隊長は」

 ダイムの呆れたような声に、どう答えたらいいのか考えていると、その〝狼〟はソファから下りてクラリスを守るように前に出る。そうして鋭い眼光を飛ばした。

「あ、すみません、中隊長。悪口ではありませんから! 褒め言葉ですから!」

 慌てて両手を合わせて〝狼〟に向かい謝罪する。そのコミカルな動きにクラリスは笑みをこぼす。

「ダイム様、今はキース様とは繋がってはいませんよ。そんなに慌てなくても大丈夫です」

「そうなんですか? え、じゃあコイツが勝手に動いているってことですか? 大きさといい、まあなんというか……俺が触ったらどうなりますかね?」

 言いたいことが多すぎるといった様子のダイムは〝狼〟の前にしゃがみ込んだ。〝狼〟はダイムに牙を剥かないものの、ツンッと鼻先を上げてフンッとでも言いたげな様子だ。

「……どうなるでしょうか? 試してみますか?」

 クラリス以外には誰も〝狼〟に触れようとしなかったため、その発想はなかった。

 ダイムは「うはっ!」と、ちょっと楽しそうに声を出しながら〝狼〟に手を向けたけれど、そのたびに顔を背けられる。全然触ることができないことに焦れたダイムがとうとう両手を挙げて抱きつこうとして飛びついたのだが、それもするっと避けられてしまった。

〝狼〟のあまりの素早さに一瞬何が起きたのかわからなかった。

 ぐぬぬ。と床で悔しがるダイムに、クラリスは「ダイム様、お怪我はありませんか」と声をかけた。

「大丈夫です。いや、なんでだろう? もうこれは普通の〝ベル〟の動きじゃないよなあ。本当は見えているんじゃないか?」

 そうブツブツと言いながら立ち上がる。

(でも、ダイム様の〝小鳥〟も会話以外にも結構自由に飛び回っていたような気がするのだけれど……)

 やはり魔法道具研究者のアシュリーが作った〝ベル〟は特別なのだと感心していると、ダイムが「そうそう、こんなことしている場合ではなかった」と言って書類を差し出してきた。

 その書類には【ポーションおよび魔法薬増産願い】と書かれている。

「申し訳ありませんが記載の量を増産してほしいと連絡があったのですがお願いできますでしょうか」

「わかりました。いくつかの材料を追加していただくことになりますが特に問題はありません。……けれども随分と急な増産ですね」

 クラリスが騎士団へきてからというもの、ポーションなどの在庫に余裕ができたと経理関係者から聞いていた。それなのに、ここへきて急な増産と言うことはいったいなにか起こったのだろうかと気になってしまう。

「ええ。元々辺境伯領の国境近くでのグストレム王国との諍いは多かったのですが、ここ最近は回数も増えてきたので、念のために今のうちから魔法薬などの補給をしておこうということになりました」

「辺境伯領でそんなことが……」

 隣国グストレム王国は国土の半分近くを森で囲まれているため、領土の拡大に熱心な国だ。人至上主義で獣人を奴隷として扱っている国でもある。

 クラリスのルバック伯爵領は辺境伯領と隣接しているので、その手の話は昔からよく聞いていた。グストレム王国がいくら攻めてこようともブラックラー辺境伯とその騎士団員たちはとてつもなく強い方々だから我らアリアテーゼ王国は安心だ、とも。

 しかしこうしてルバック領を離れて王都でそんな話を聞いてしまうととても心配になってしまう。

「そういえばルバック領は辺境伯領のお隣でしたね」

「ええ。とはいえ、辺境伯領は広大ですので、そこまでグストレム王国国境とは近くはないのですが……」

 それでも心配は尽きない。ああいったかたちで家を出てきてしまったとはいえ、家族が、そして領民たちが住んでいるのだから。

「うーん、でしたらルバック伯爵領の様子もわかればお伝えするようにしますよ」

 クラリスの気持ちをくみ取ったのか、ダイムが気を利かせて言ってくれた。

「……よろしいのでしょうか?」

「機密に関わるようなことは言えませんのでたいしたことはないかもしれませんが、それでよければ」

「ええ、ええ。それでも十分です。ありがとうございます、ダイム様! あ、お礼と言うにはお粗末ですが、よろしければお茶を飲んでいかれませんか?」

 それで心配が減るわけではないが十分にありがたい。クラリスはダイムに感謝を伝えながら笑顔を向ける。そしてティーポットを手に取りお茶に誘った。

 しかしそれと同時に〝狼〟から刺すような視線を感じたダイムは「いやいやいや、当たり前のことですから」と言ってクラリスから離れて呟く。

「……本っ当に、見えてなければおかしくないか、これ」

「え? なんとおっしゃいました?」

「いやー……あ、明日はパーティーに参加されるんですよね」

「はい。その予定ですがパーティーは夜からですので……」

「あー、了解です。わかっています。増産依頼分はその後からでいいので。全っ然間に合います。クラリス嬢は優秀ですからね。はい。それでは、どうぞよろしくお願いいたしますー」

 それだけ一気にまくし立てるとそそくさと調合室から出て行ってしまった。

「お忙しい方だから仕方がないわね」

 クラリスは少し残念そうに〝狼〟へと話しかける。〝狼〟はそんなクラリスとは逆に、満足そうな声でクゥン、と鳴いた。


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