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第29話 パーティー準備

 祖母の誕生パーティーの当日朝、クラリスはいつも通り調合室へと入った。

「今日は依頼のあった増産分の準備をしておかなくっちゃ。ナズィーナの葉とベーゴの実は昨日のうちに注文をしておいたから。他の……」

 確認ごとを言いながら準備をしていくのだが、どうにも足元が気になって仕方がない。

「……今日はこないのかしら?」

 ここ最近は朝になるとすぐに調合室へキースの〝狼〟が送られてきたのだが、今日は一向に姿を見せない。いつもならば足に触れる柔らかい銀色の毛がなくて寂しい。どうしたのだろうかと気になってしまう。

 自分から〝ベル〟を送ろうか? そう思うけれどもなんだか催促をしているようで恥ずかしい。

「きっとキース様もお仕事が忙しいのよね。今日だって夜にはパーティーがあるのだから準備だって……あっ」

 イグノーに聞いてみろと言われ、キースから尋ねられたので祖母の誕生日パーティーのことを話したが、その時は急いでドレスを作ることだけに気を取られていた。

(私ったら、キース様にエスコートの返事をちゃんといただいていない……)

 それなのにキースにエスコートされるものだと勝手に思い込んでいた。クラリスは自分のずうずうしさに顔色を赤くしたり青くしたりと忙しい。

「そう、よね。なんにも言ってはいなかったのだから、今日だって〝ベル〟がくるとは限らないじゃない。いやだわ。本当に……恥ずかしい……」

 いくら鈍いクラリスでも、今日までのキースの行動を見ていればなんとなく自分が彼から特別扱いされていることくらい気がつく。

 誰にも知らなかったような表情を見せてくれたり、誰にもしないような優しさを与えてくれたりした。

 クラリスにはそれがとても嬉しかった。素直にそう思い、それ以上を求めたくなる気持ちに蓋を閉めることができないほど溢れそうになっていた。

 だから今日の誕生パーティーをとても楽しみにしていたのだ。祖母に久しぶりに会うことよりも、彼女の誕生日を祝うことができることよりも、ずっと、ずっと。

 キースのエスコートでパーティーに出席できるということに——。

「……仕方がないわ。ちゃんとお願いしておかなかった私が悪いのだから」

 我慢することは慣れている。

 気を取り直し、パーティーの準備のためサロンへ向かう前に少しでも調合をしておこうと、道具を手に取った。

 そこで、調合室の扉が大きく開いた。

「あらあらあら、まあまあまあ。こんなことだと思いましたよ、クラリス様!」

「え、モーラさん。どうしてここに?」

「どうしてじゃございません! ささ、早くサロン・ド・ローズリーへ急ぎますよ。もう迎えの馬車も到着しています。ほらほら、仕事道具など置いて。今すぐです!」

 厨房で働くモーラが入ってきてクラリスを一喝する。

「でもパーティーは夜ですよ。まだ仕事始めの時間ですし……というか、モーラさんがどうして……?」

「クラリス様、貴族令嬢のパーティー準備は朝早くからするものです。本当に、私が気がついてよかったですわ。さあ、お手伝いいたしますから一緒に行きましょう」

「え?え? あ……」

 有無も言わせない勢いで、ぐいぐいと押し出されてしまったクラリスは、そのままモーラと一緒に馬車に乗せられてマダム・ローズリーのサロンへと連れていかれた。


 サロン・ド・ローズリーへ到着するやいなや、クラリスは身支度の波にのまれた。

 まずは風呂に入れられ埃を落とされる。それから寝台に寝かされると香料入りのオイルを体中に塗られた。

「パーティー当日にあまり磨きすぎるのはお肌にもよろしくありませんので整えるくらいにさせていただきますね」

「そうでなくてもお嬢様はきめ細やかな肌質をしておりますのでこれでも十分ですわ」

「……は、はあ」

 たっぷりと時間をかけて磨き上げられたクラリスがドレスを身に着ける頃にはもう身も心も疲れ切っていた。

(あんな……皆、ドレスを着るのに、あんなに時間をかけるものなのね……)

 ドレスに髪型にと綺麗に着飾っていた妹のビアンカを思い出す。

 いつもあそこが痛いここが苦しいと言っていた病弱な彼女だったが、意外と体力があったのか、それともおしゃれについては我慢強かったのか。どちらにしてもクラリスは初めてビアンカのことを凄かったのだなと感心した。

「さあ、クラリス様。ドレスを着る前に少しお腹に入れてくださいね。ここからはあまり飲んだり食べたりとはできませんから」

 騎士団本部から一緒に付いてきてくれたモーラがワゴンに軽食を載せて持ってきた。

「ありがとうございます。モーラさん」

 豪華なサロンの控え室の中、クラリスが軽食を食べられるようにと手慣れた様子でテキパキと準備をしているモーラは、騎士団で大声を張り上げながら団員たちに食事を用意している姿とは全く違うように見える。

 なんというべきか、こうしている方が彼女らしい気がした。

「……あの、モーラさんは騎士団で働く前はどちらのお屋敷にいらっしゃったのですか?」

 軽食を手に取り口にしながら、気がつけばクラリスはモーラに尋ねていた。前職を尋ねるなど場合によっては失礼にもなる場合もあるが、モーラはにっこりと笑いながら答えてくれた。

「あらいやですわ。やっぱり聞いてはいらっしゃらなかったのですねえ」

「え?」

「ふふ。貴族のお嬢様がしばらくの間騎士団本部に逗留なさるということで、キース様に頼まれましたのよ」

「ええっ⁉ ほ、本当ですか?」

「お辛い思いをされていらっしゃるということでしたし、あまりきっちりと付き従うのも煩わしいだろうと思いまして、負担にならない程度のお世話をさせていただいていました」

 確かにいきなりお世話になると決まったわりには部屋は綺麗に整っていたし、いつの間にかシーツが新しいものに取り替えられ洗濯物が済んでいた。

 そのタイミングは絶妙で完璧。モーラがどこかの貴族屋敷で働いていたのならば納得できる仕事ぶりだ。

「ありがとうございます。とても助かっています」

 いいえ、それが仕事ですから。と言って笑うモーラ。しかしそうなるとキースとモーラの繋がりが気になる。

「キース様の紹介ということは、もしかして」

「はい。キース様のご実家から移ってきました」

(キース様のご実家……キース様は貴族なの?)

 キースの容姿や立ち振る舞いもそれならば納得できる。高級感に溢れたこのサロンにも当たり前のように馴染んでいたことも。ただ半獣人ということで考えてもみなかった。

(今では獣人の方でも授爵されているというのだからあり得ないことではなかったのよね)

「あら、そちらも聞いていなかったのでしょうか? 本当にキース様も口下手が過ぎますわねえ。キース様のご実家は……」

 と、モーラが口を開いたところでノックの音がしてマダム・ローズリーが控え室に入ってきた。モーラは空気を読みスッと後ろに下がる。

「さあ、お嬢様。ここからが本番ですわよ。わたくしが腕によりをかけてより美しく飾らせていただきますわ」

 うっとりとするような美しい顔のマダムが宣言すると、その後ろから助手の人たちがぞろぞろと入室して、続き部屋である試着室へと向かっていく。

 マダムの気合いの入った指示に、なんだかわからないが背中がぶるりと震えた。モーラに助けを請いたくとも、すでに控え室の一番奥へと移動している。

「お、お手柔らかにお願いします」

 クラリスの小さな懇願の声は、ばたばたと歩き回る助手たちの足音で完全に掻き消されてしまった。


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