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第31話 ダンス

「あなたがマリエラの娘のクラリス? 小さな頃に一、二度会ったことがあったわね。ええ、ええ。娘の頃のあの子の面影があるわ。遠いところを本当に良く来てくれたわね」

「ご招待ありがとうございます、お祖母様。生憎と父と母は、妹のビアンカの具合が悪くて一緒には来られませんでしたが、お祖母様のご健康とご多幸を祈っていますと伝言を預かって参りました」

 幼い頃に会っただけの祖母だったが、すぐに打ち解けることができた。

 目元が母親に似てはいるが険のない眼差しにホッとする。けれどもことが両親の話になるとふと瞳を曇らせた。

「あの子たちも……本当かしら、ねえ」

「……あの。お祖母様?」

「ああ、いいのよ。そんなことよりももっとあなたの顔をちゃんと見せてちょうだい。まあ、とても綺麗なったわね」

「ありがとうございます。でもほとんどはドレスのおかげです」

 サロンのマダム・ローズリーのおかげだと正直に口にした。着飾ったクラリスの姿を見て祖母はさらに満足そうな笑みを浮かべる。

「ところで、クラリス。そのお隣の素敵な男性はあなたの婚約者よね。早く紹介をしてちょうだい。以前マリエラから聞いた覚えがあるわ。ブリオール伯爵家のご子息でしたかしら?」

「えっ⁉ あ、いえ……あの、それは……」

 サンドラがにこにこと笑顔を見せながら尋ねてきた。一方的に婚約を破棄されたフランクとの関係を知るはずもない彼女にどう答えればいいのか迷っているうち、今まで静かにクラリスとサンドラとの会話を聞いていたキースが一歩前に出る。

「初めてご挨拶させていただきます、リバリュー元子爵夫人。自分は騎士団第五中隊所属のキースと申します」

 キースはクラリスが知る誰よりも優雅に挨拶をすると、サンドラの手を取り甲に口元を近づけた。しかしサンドラは、あら。と不審げに一声上げて眉を寄せた。

 そうして扇を口元にかざすと棘のある声をキースに向けた。

「騎士団にはとても優秀で美しい方がいらして世間の令嬢方を賑わせていると噂で聞いていたけれども、それはあなたのことだったのかしら? でもわざわざ婚約者のいる娘に声をかけることはございませんでしょう」

 サンドラが初対面のキースに対してこんな意地の悪いことを言い出したのはきっと誤解をしている。孫のことを心配してのことだろうが、それはクラリスがどういった扱いを受けてきたのかを知らないせいだ。

「あのっ、お祖母様。キース様はそんな方ではありません! 王都に知り合いのいない私のことを気にしてくださったのです。それに……」

 正直に婚約がなくなってしまったこと。そして今はキースを頼りに騎士団でお世話になっていることを告げようとしたところ、庇うように手で遮られた。

「いいえ。騎士団には自分より才覚溢れる者もたくさんおりますが、皆職務に邁進しております。ですからそれはおそらく根も葉もない噂でしょう」

 チクリとしたサンドラのもの言いをさらりと返すキース。

「お孫さんであるクラリス嬢がご心配なのは自分も同じ気持ちです。その件に関しては一度ゆっくりと彼女とお話された方がよろしいかと思います」

「キース様……」

 自分の家族がどこでも迷惑をかけてしまっていることに恥ずかしくて申し訳なくなる。唇を噛みながらキースに目をやると、なんてことはありませんとでも言うように微笑んだ。

 その様子を見ていたサンドラは深くため息を吐く。

「クラリス、まだ王都に滞在するのでしょう? また後で詳しく話を聞かせて。今日のところはせっかくなのだからパーティーを楽しんでいってちょうだい。そうそう、エスコートのあなたもね」

 くるりと踵を返すとサンドラは次の招待客へと挨拶を交わしに行ってしまった。そこに残されてしまったクラリスとキースは互いに顔を見合わせる。

「キース様、本当にお祖母様が申し訳ありませんでした」

「こちらこそ。自分がずうずうしく貴女と一緒にきてしまったものだから、かえって心配をかけてしまいましたね?」

「そんなこと……!」

 全く悪くもない同士で謝り続けているうちに、どちらともなく吹き出してしまった。クスクスと笑っている間に音楽が変わる。それに気がついたキースがクラリスへと手を差し出した。

「元子爵夫人のおっしゃる通り、せっかくですから楽しみましょう。ダンスにお誘いしてもよろしいですか、クラリス嬢?」

「あ……私、ダンスを踊るのは初めてなので……」

 一瞬および腰になったクラリスだが、キースの柔らかな瞳にクッと足に力を入れた。

 初めてだから? 失敗をしてしまったら迷惑をかけそうで怖い?

(でも、それでもやっぱりキース様と一緒に踊ってみたいわ)

「……ご迷惑をかけてしまったら申し訳ありません。初めに謝っておきますね」

 クラリスがキースの手にそっと自分の手のひらを重ねる。

「どれだけ迷惑をかけていただいても構いません。全部受け止めさせていただきます」

 蕩けるような笑顔のキースにあてられるような気分でクラリスはダンスを踊った。キースの腕に支えられ音楽に乗り、まるで穏やかな波に揺られるような気分になる。

 どきどき、ふわふわ。このままずっと踊っていたい。キースと目が合うたびに胸の音がどんどんと大きくなっていく。

 流れるワルツの音が静かになると同時にゆっくりと踊り終わる。寂しいなという感傷を掻き消すような小さな歓声が上がった。

 初めて社交の場で一曲踊りきったクラリスはキースの手を離そうとしたが、キースはそのままクラリスの手を握りフロアから下がろうと急ぐ。

「キース様?」

 どうしたのかと名前を呼ぶと、キースは口元を手で覆い、顔を隠すように横を向く。

「貴女があまりにも可憐で、あの場にいたらきっと次のダンスに誘われるのではないかと思って……」

「そ、そんな……あり得ませんよ。私なんて。むしろキース様の方が」

 会場に入った時から女性の目を釘付けにしてきたのにもかかわらずキースにはその自覚がないようだ。クラリスは半分呆れつつ、けれどももう半分ではキースがそれに気がつかなくてよかったとホッとした。


 初めてのダンスで汗をかいてしまったクラリスは化粧室へと向かった。キースはそこまでもついてきてくれると言ったが、飲み物でも飲んで待っていてほしいと言い、少しの間二人は離れた。

 鏡の中のクラリスの顔は思っていたよりも上気していた。勿論それはパーティー会場の熱気やダンスだけのせいではない。ことあるごとにクラリスへ向けてくるキースの熱い視線のせいでもある。

(お祖母様があんなにも失礼なことを言ったのにもかかわらず、キース様は変わらず優しくて……)

 ダンスの間中、ずっと感じていた。もう自分自身に嘘もごまかしもつけなくなってきている。

(——私、キース様が好き、だわ)

 心の中でそう言葉にすると、すうっ、と気持ちが一つになった気がした。

 今まで、自分に自信もなくて、キースからの好意もまさかそんなはずがないと無意識のうちに思うようにしていた。

 だから、キースのことを好きになんてなっていいはずがない、と。

(でも、好き。どうしてもキース様が好き)

 一度感じてしまった想いは閉じ込めた壁がぽろぽろとはがれ落ちるように飛び出してしまう。

 この生まれたばかりの気持ちを今すぐキースに伝えることはしないと思うけれども、いつか漏れ出してしまう前には自分の口で伝えたい。

 そう心に決めたクラリスは丁寧に化粧を直してキースの元に戻る。

 そして会場へ入る扉を開いた途端、ガシャンという何かが大きく壊れる音とざわめいた会場に響き渡る大声を聞いた。


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