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第33話 公爵家の養い子

「お、お言葉ですが、獣人だから、半獣人だからと言って何になるというのですか。皆、アリアテーゼ王国の一員なのですよ。キース様はとても真面目で、優しい方です。本当に親切にしてくださいました」

 あれほど自己主張をすることをためらっていたクラリスが、キースのために反論する姿を見て怒りはあっという間に収まっていく。

「はっ、そんなもの、この傷を見たら……」

「私は、キース様を誰よりも信頼しています。誰よりも。ですから、本当にキース様があなたをケガさせてしまったというのなら、何か理由があったのだと信じています」

「クラリス嬢……」

 何があっても、まずキースを信じると言ってくれるクラリスに、何かが救われたような気がした。半獣人であろうと、何であろうと、ひいき目なしに自分という存在だけを見てくれるクラリス。

(ああ、やはり貴女を愛している。もう自分はクラリス嬢がいい。クラリス嬢以外は何もいらない——)

 まだ震えているクラリスの手を取る。そして微笑んだ。

「ありがとうございます、クラリス嬢。でももう十分です。さあ、帰りましょう」

 クラリスがわかってくれればそれでいい。キースには友人も家族ももう十分に足りている。

 それを聞いたレイモンドは、なぜかキースに勝ったと思い大きな声をあげて笑う。

「ふんっ! お前、あれから一度も社交に出てこられなくなっただろう? 所詮は獣人だよ。養子になったところで公爵家の一員になれるとでも思ったのか⁉」

 あっはっは! と高笑いするレイモンドの言葉に、周囲は皆唖然とした。そしてその中でも一番驚いていたのはまぎれもなくクラリスだ。

 帰ろうと扉へ向けた足がピタリと止まり、心臓がバクバクと音を立てる。

「…………え」

 キースが貴族なのではないかということは、今までの様子やモーラの言動からも予想はついていた。しかしそれが公爵家だとは思いもよらなかった。

 調子に乗ったレイモンドはさらにキースをあげつらう。しかし本当にキースが公爵家の養子ともなればさすがに聞き捨てできない。そう感じた仲間たちがレイモンドを止めにかかった。

「おい、やめろレイモンド」

「冗談でも言っていいことじゃない。ほら、あっちへ行こう……」

 仲間の止める手も自分をバカにしているのだと感じたレイモンドはもう自ら何を言っているのかわからなくなり、大きな声でキースの名前を叫んだ。

「なあ、何とか言えよ。——キース・レジエンダ!」

 キース・レジエンダと名前を呼ばれた瞬間、キースの体がピクリと動いた。

 クラリスはそこで魔法道具の研究者とはいえ、アシュリー・レジエンダとキースがあれほど親しげに話をしていたことの理由がわかった。

 キースが宰相を務めている現当主の養子であるとはいえ正式な息子であることが知らされるとどよめきはさらに大きくなった。

「銀灰の騎士が?」「獣人だろう?」「レジエンダ公爵家だって?」「まさか、本当に⁉」

 もう大っぴらに声が上がるのを止められない。このまま帰宅を強行しても噂は余計な尾ひれをつけて大きく育ち勝手に泳ぎ回るだろう。

 キースは一つ息を吐き、振り返った。その青い瞳は冷ややかな光を放つ。

「自分の牙と爪は獣人としての誇りです。過去も未来も、誓って人を傷つけるものではないと宣言しましょう。ただし、自分の大事なもの傷つける者には容赦はしません」

 低く、冷たいキースの声にその場が一瞬で凍りつく。

 誰かが声を出すようになる前に会場を出ようと、キースがクラリスの手を引こうとした。しかし、一瞬びっくりしたようにその手を離すクラリス。

 どこかよそよそしいその姿にキースはギュッと拳に力を入れる。

「あ……すみません」

「いいえ。……行きましょう」

「……はい」

 今度こそキースの手を取ると、二人足早に会場を後にした。

「申し訳ありませんでした。元子爵夫人のパーティーを台なしにしていなければいいのですが」

「いいえ。キース様が悪いわけではありませんから。あの……後でお祖母様には私からお手紙を送っておきます」

 帰りの馬車の中、なんとも微妙な空気が流れる。

 どちらが悪いわけではない。ただ、クラリスはキースが貴族、しかも王国で四家しかない公爵家の養子であることを知ってしまった。

 キースも隠したくて話さなかったわけではないものの、レジエンダの名前が引っかかっていたのも事実だ。半獣人の自分が公爵家の一員ということに未だ引け目があるという理由で。

「あの、自分は、騎士ですから……」

「でも、……いえ。……はい」

 どちらももっと何かを聞きたい。しかし結局何も聞けないまま終わる。

 それから一言の会話のないまま、夜のとばりをぬうように二人の乗る馬車は静かに帰り道を走っていった。


 誕生パーティーの次の日、クラリスはいつものように調合室へ足を運んだ。しかし今日もキースの〝狼〟はやってこない。

 毎日の日課のように調合準備からポーションと魔法薬の生成。そして片付けをしていく間にもいつも通り獣人たちや騎士団員たちが顔を出しにくる。

 すぐに皆〝狼〟がいないことに気がつき「あれ? 今日はいないんですか」と声をかけてきたが何と言っていいかわからないクラリスは黙って頷いた。

 そうしてただ日課を過ごしていく途中、パリンという音で外はすでに日が落ちかけているのに気がついた。

「薬瓶が割れてしまったのね」

 指を切らないようにガラスを集め、一つにまとめる。クラリスはそこで今日初めて「ふう」と、息を吐けた気がした。

 キースのことを好きなのだと自覚をしてしまったからこそ、クラリスは彼が公爵家の一員だったということに大きなショックを受けていた。

 キースは「自分は騎士だ」と言っていたが、そのまま額面通りに受け取れるはずがない。

 公爵家と伯爵家とは目に見えるほどの大きな隔たりがある。田舎領地の貴族は特に。

 まだ貴族令嬢と獣人の方がマシだっただろう。

(ああ、いっそ何も知らなければよかったのに……キース様からの視線も優しさも。そして、自分の恋心も……)

 知らないままただ恋をして、知らないままここを離れていけたなら。すぐには胸が痛んだままだけれど、それも徐々に慣れていく。

 きっと、淡い初恋として心にずっと残っていただろう。

 それならばルバック領に戻った後、たとえあの生活をもう一度することになったとしても、素敵な思い出を胸に過ごしていける。

(多分、きっと……。でも、知ってしまったから苦しいの)

「だって、好き、だから」

 誰もいない夕刻の調合室。窓から差し込む夕日のオレンジの中で一人、クラリスは小さく呟いた。


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