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第34話 お護り様

 ゴン、ゴン。と、ひときわ大きな音のノックにクラリスは我に返り、まとめたガラス片すらまだ片付けていなかったことに気がついた。

 窓の外はすでにオレンジから紫へと変わっている。

「すみません、片付けが押しているだけで、今日の診察はもう……」

 断るために声をかけると「嬢ちゃん、ちょっといいか?」と言いながら虎獣人のイグノーが扉を開けた。

「あ……はい。少し待ってくださいね。これだけ片付けてしまいます」

 手早く片付けをして魔法で灯りに火をともし、イグノーへソファを勧める。巨体のイグノーが座ると、ソファがみしりと音を立てた。

「お茶を淹れますね」

「ああ、結構だ。つか、こんな時間に悪ぃな。ちょっと急ぎで確認したかったことができてなあ」

「大丈夫ですよ。でも、いったい何の確認でしょうか?」

 わざわざこんな遅めの時間にイグノーがクラリスのところへ話を聞きに来たということは大事な話なのだろう。クラリスに思い当たることといえば一つしかない。

「もしかして、あの〝デプラ〟という香木のことでしょうか?」

 獣人にとって中毒性が高く、また操ることのできるという香木の話は以前イグノーから聞かされたことがある。クラリスの問いに、イグノーは頭を指で一つ掻くと「鋭いねえ」と渋い顔で言った。

「あれからも百五十くれえの亀爺さんをとっ捕まえて聞いたりして調べてたんだが、どうもデプラってヤツは生木と乾いた香木じゃあ全く性質が変わるらしい」

「薬草でも乾燥させたものと生葉では成分が変わってしまうのはよくあることですから」

「ああ。どうやら生木のままだと獣人にとっちゃとんでもなく臭くて頭の痛くなる匂いがするらしい。特に葉の匂いは最悪で、その亀爺さんらも葉の落ちた冬になると枝を拾い集めて香木にしてたそうだ。これ、なんか覚えがねえか?」

 イグノーが調べてきた話を聞きながら、クラリスは何かに気がついた。

「嫌な匂い……臭くて、獣人の皆さんが嫌がる……確か、ルバック領でそんなことを言っていましたよね。だから獣師団が伯爵邸に近寄れなくて、キース様も布で鼻を覆っていたって……」

「どうだ、伯爵邸の近くにルバック領でも珍しい木がねえか? 冬になると葉が落ちる落葉樹だ。たくさんの枝を張り出して、かなり大きくなるらしい。葉っぱの色は……」

(緑というよりも黄色に近いから、夏でも光輝いているように、遠くからよく見える……)

 もう続きを聞かなくてもわかってしまった。

 イグノーの言う〝デプラ〟という木は、ルバック伯爵邸に植えられていてクラリスたち領民が〝お護り様〟と呼ぶ木のことだ。そうに違いない。

 クラリスはポケットの中のお守り袋を触り、ギュッと唇を噛む。

「キースがおかしくなったのも、どっかでその香木が入り込んだんじゃねえかって思ったんだ。嬢ちゃんの証拠品の中に混じってたのかもしれねえ。俺が思うに、嬢ちゃんとこの領地に獣人がいつかねえのも、その木が生えてるせいに違いねえってな」

 ずっと黙っているクラリスの頭をイグノーはぽんぽんっと軽く叩く。普段であれば肉球が柔らかくて気持ちいいなと思うところだけれども、今日はそういう気持ちになれない。

「ま、思い出したらすぐに教えてくれ。さすがにこいつだけは放っておくわけにはならねえ案件だからな」

「……はい。わかりました」

 ニカッと笑うとイグノーは、「んじゃ!」と手を上げ、暗くなりかけた廊下にするりと消えていった。


 クラリスは部屋に帰るとイグノーが言っていた話を思い出しながら机の上にお守り袋を置いた。

〝お護り様〟が〝デプラ〟であることはもう間違いないだろう。

 樹齢二百年とも三百年とも言われる大樹が大事にされ、大昔から領民たちが枯れ枝をお守りとしてきたのもそういう理由だったのだ。

 おそらく獣人がまだアリアテーゼ王国でも人と同じように認められていなかった頃、獣人から身を守るためのお守りとして大事にしてきた。木や葉は獣人避けになり、枯れ枝は火をつけて燻すことで酔わせ動きを止める。そんなふうに使われてきたのだろう。

 今ではそんな理由も忘れ去られ、お守りとして持つ者もほとんどいなくなってきているが、クラリスや古い領民たちはずっと続けてきた慣習だ。

 新年に向けて新しいお守りを作り、一年の終わりにはその年のお守りを、感謝を込めて炊き上げ煙を浴びる。それが前ルバック伯爵であった父方祖父と祖母からの教えだった。

 ずっと。祖父母が亡くなり、両親がそれをしなくなってもずっと、クラリスはその慣習を守ってきた。

 だからきっと、クラリスの着る物、持ち物、クラリス自身にも〝デプラ〟の香りが染みついていたのではないか。クラリスにはそうとしか思えなかった。

 そう。だから、きっと。

 あの日、燃えるトリブラの畑でお守りが焦げ煙を吸ったことで、混濁したキースがクラリスの首を噛んだのだ。その後はクラリスに染みつく〝デプラ〟の香りに惹かれただけ。

 そう思えば全てのピースがはめられたようにしっくりときた。

「やっぱり。そうでなければキース様のような完璧な人が、私に求婚行動なんてするはずがなかったのよ。ただデプラの香りに惹かれただけで……」

 キースの好意が結局のところ全てまやかしのようなものだったと気づき、クラリスの目には涙が浮かぶ。しかもそれが自分のせいだったのだから、キースにもとても申し訳ない気持ちにさせられた。

「もう、ここにもいることができないわ……」

 キースがもうクラリスに甘噛みの責任をとる必要はない。むしろクラリスからすればキースは〝デプラ〟を使って洗脳されたようなものだ。このままクラリスが騎士団本部に住むことは迷惑にしかならない。

「そうしたならどこへ行こうかしら? あれだけ騒ぎを起こしてしまったからにはお祖母様のところは行けないし。でもルバック領に戻ることも、まだ……」

 本音はここから離れたくない。キースに迷惑をかけてまで居座ってはいけないと思う反面、どうしてもキースの近くにいたいという想いも捨てきれない。

「どう、しよう……」

 夕食も取らず、堂々巡りの思いをベッドの上に寝転びながらずっと考えていると、窓の外からコンコンと何かが叩く音がした。

(何かしら? ここは三階だから窓から誰かがということはないと思うけれど……)

 それでも外はもう暗くなっているので、おそるおそる窓際まで近づいてみると、金色の小鳥がくちばしでしつこく窓を叩いていた。

「……ダイム様?」

 クラリスが窓を開けると丁寧にお辞儀をしてからパタパタッと翼をはためかせて浮いた。そうしてクラリスの肩に下りた。

「夜分に申し訳ありません、クラリス嬢。ダイムです」

「はい、ダイム様。どのようなご用件でしょうか?」

 いつもよりも大人しく静かなダイムの声がする。

「ええとですね、少しお話ししたいことがありますのでもしよろしければ明日朝一番にお時間取っていただけますでしょうか。ちょっと〝ベル〟で話すには、長くなりそうなので」

「あ、はい。わかりました。朝、どちらに行けばよろしいでしょうか?」

 キースの執務室? と考え一瞬ドキリとした。しかしダイムは「いやいや」と言って続けた。

「調合室へ向かいますよ。準備のお時間にお邪魔させていただきます」

 明日の了解を得ると、ダイムの〝小鳥〟はピィと鳴いて消えてしまった。

 クラリスはダイムの話が心配になる。

(……もしかしてキース様に何かあったのかしら?)

〝お護り様〟のことに加え、ダイムの話とはいったい?

 クラリスは頭の中がぐちゃぐちゃになり、その夜はなかなか寝つくことができなくて何度も寝返りを打った。


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