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第35話 実家の金銭の事情 

「おはようございます、クラリス嬢。今日も天気よく気持ちのいい朝ですね」

「はい……おはようございます」

 クラリスがいつもより少し遅れて調合室へ着くと、約束したとおり扉の前でダイムが待っていた。

 明け方まで寝付けなかったせいで起きるのが遅れ、お守り袋も机に置いたまま慌てて部屋を出てきてしまった。そんな寝不足で回らぬ頭の中、挨拶を返す。

 鍵を開けて調合室へ入ると、ダイムはまず周りを見回し「よし、やっぱり中隊長はきてないですね」と安堵の声を出した。

 中隊長と言ってはいたが多分ダイムが言っているのはキースの〝狼〟のことだろう。しかしやっぱりと言っていることから、一昨日からキースや彼の〝狼〟が来ていないことを知っていたのだろう。

 理由を聞きたいけれども自分から聞いてもいいのだろうか。そんなふうに考えながらもじもじと立ったままいたのだが、むしろダイムの方が積極的に教えてくれた。

「実は中隊長、昨日から実家に呼び出されているんですよ」

「え? まさか、一昨日のパーティーでの件でしょうか?」

 あの時の騒動ならキースに非はない。むしろ言いがかりをかけられた方だと思っている。

 キースのことを獣人だから人を傷つけると侮辱したのだから。

「でもあれは、キース様が悪いのではなく……」

「あ、大丈夫ですよ。そういうのではないんです」

「……それはいったいどう言うことでしょうか?」

 心配そうに尋ねるとダイムは「これもうクラリス嬢も知っているでしょうから言ってしまいますが」と前置きして話し始めた。

 過去、デリクトン侯爵家の子息レイモンドは、キースがレジエンダ公爵の養子に入ったばかりの時に彼のことを獣人だと蔑んできたことがあった。

 キースは直接的には手を出さなかったものの、結果的に傷を負わせてしまったことにデリクトン侯爵家は大層強く抗議してきた。しかしレイモンドが公爵家に対しての酷い暴言を吐いたことがわかると、両家の話し合いの元、互いに二度とこのことに関しては口外しないという契約魔法まで結び手打ちにしたという経緯があったのだという。

 それをレイモンド本人があのパーティーで公言したことにより魔法契約の効力が切れ、レジエンダ公爵家側があらたにデリクトン侯爵家に訴訟を起こしたそうだ。

「あの、それを私なんかに話してしまって大丈夫なのですか?」

「はい。そこを含めてクラリス嬢へ説明してほしいと頼まれましたから。それにもう貴族間ではとっくに噂が広まっているので問題はないですよ。中隊長はバラしたくはなかったようですが、そもそもあっちが魔法契約を反故にした時点でもう無理でしょう」

「そう、だったんですね……」

 クラリスが祖母サンドラの誕生パーティーのエスコートをキースに頼まなければ、いやそもそも誕生パーティーに出たいと思わなければこんなことにならなかった。

 そうすればキースが貴族、しかも公爵家の養子だということも大っぴらにならなかったし、クラリスもキースとの身分の格差を気に病むこともなかったのに。

 クラリスは自分の軽い気持ちで、自分の幸せを全て放り投げているような気がしてならなかった。

「一応当事者なので落とし所が着くまで当分公爵家に軟禁だそうです。クラリス嬢のところには〝ベル〟を送ってくるかもしれないと思っていましたが、どうやらそれも自重しているようですね」

「軟禁って……。あの、公爵家でのキース様の生活はそんなにも大変なのでしょうか?」

 ビクリと肩が震える。しかしダイムは笑いながら「いえいえ、そこはどちらかというと逆(・)なので気にしなくてもいいですよ」と言って言葉を続けた。

「まあそんな理由がありまして、中隊長はしばらくの間騎士団の方には顔を出せない状況になっています。何か問題や頼みがあれば俺に言うように、と中隊長からの伝言です」

「はい。……わかりました。わざわざありがとうございます」

 キースからの言葉を初めて人づてに聞く。それがこんなにも味気なく寂しく感じるとは思わなかった。あんなに気まずい別れ方をしてしまったことがとても悔やまれる。

(でも、どうしてもやっぱり恐れ多くて。そうでなくてもデプラの香りのこともあるし……)

 うつむいて考え込むクラリスに、ダイムは近づくと口元に手を置いて内緒話をするように声を潜めた。

「それとは別の話になるんですが。あの、覚えていますか? ルバック伯爵領で変わったことがあったらお知らせするという約束なんですが」

「え⁉ あ、はい。覚えています。何かあったのですか?」

 律儀に約束を守ってくれたダイム。しかしこの様子だとあまりよい話ではなさそうだ。クラリスはゴクリと息を呑み話を聞いた。

「どうやらあまり資金繰りがよくないようです。ただでさえ資源になるようなものが少ないのにかなりの借金を抱えていますね。王都の銀行だけでなくあまり質のよくないところからの借入金もあるようでして」

(そんな、まさかそこまで⁉ 確かにあまり余裕はなかったけれども……)

 一応領地を離れるまでは跡取り娘として伯爵家の家計には目を通していた。無理な出費さえなければ次の収穫時期までは十分に耐えることができるだけのものはあったはずだ。

 クラリスがなぜそんなことになっているのかと考えているうちにもダイムの報告は続く。そこでとんでもない話をクラリスは聞いてしまった。

「どうやらそこの仲介があり、伯爵邸にある大樹を含め近隣の木材を売って資金にしようとしているという話を耳にしました。ですが近くのスグーの森は辺境伯預かりです。万が一そちらにまで手を出すとなると領地侵犯となってしまいます」

 ——〝お護り様〟を切って売る、ですって⁉

「まさか、そんな⁉ あの木は、ルバック伯爵家のシンボルツリーともいえる大事な木なんです。〝お護り様〟を切ってしまうだなんて……誰がそんなことを……!」

 珍しくクラリスが声を荒げた。その勢いに押され、少しのけ反るダイム。

「すみません。そこまでは確認は取れていません。ただそういった理由で測量の技師を頼まれた者がいると話を聞いてきたので」

 亡くなった先代伯爵夫妻にもくれぐれも大事にしてほしいと言われていた。今でこそ〝お護り様〟の枝をお守りにしている者は多くはないと言え、領民誰もが知っていることだ。

 さすがに両親もあの木を切ることを許すとは思えない。思えないのだが、いったい誰が……。

「ビアンカ……? まさか」

 クラリスは自分が思いついた人物を想像してから頭を振った。

(違うわ。ビアンカだって〝お護り様〟を切ろうとは思わないはず。幼い頃から〝お護り様〟の葉が夕日に透けて金色に見えるのをベッドの上でとても楽しみにしていたじゃない)

 祖父母との約束を守るためにも、領民のためにも、〝お護り様〟だけは守らないといけない。

 そのうえ〝お護り様〟が〝デプラ〟の木ならば絶対不用意に売ってはならない。これはまだ広く知られていないが獣人にとっては死活問題になりえる。

 ダイムとの話を終えると、クラリスはこのバカげた計画を止めるため、急ぎルバック伯爵家へ戻る準備を始めた。


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