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第36話 向かう

 あの日ルバック伯爵家から持って出てきた鞄の中、同じように数枚の着替えと魔法薬の本を詰め込むと、クラリスは誰にも告げずに騎士団本部を出て街から馬車に乗り込んだ。

 一応モーラにだけは出発前「しばらく祖母のリバリュー子爵家にお世話になってきます」とは伝えておいた。「誤解もあったようですから説明をして、いろいろと話もしてこようと思います」と言えば、「そうですね、ゆっくりとお話してきてください」とお土産まで持たせてくれた。

 嘘を言うのは少し心苦しかったが、クラリスはなんとなくルバック領に帰るということだけは言いたくなかった。

 まずはルバック領に一番近い王都の東門まで向かい、そこから辺境伯領の方向へ向かう馬車を探す。多分それが最短の行き方だろう。乗り継ぎなしで直接獣師団に連れて来てもらった時よりは時間はかかるかもしれないがなんとかなるはずだ。

 ルバック領から王都へ向かった時、クラリスは初めて長距離の馬車に乗ったのだが、この街道は思っていたよりもずっと整備されているうえに安全だった。

 王都から帰るたび、両親やビアンカ、元婚約者のフランクたちが口を揃えて、王都へ行くのは本当に大変だ。行く必要がないクラリスは気楽なものだと言っていた台詞が、とてもおかしなものだったと思うようになる。

 王都で楽しく過ごせば過ごすほど、あれもただクラリスが外に興味を持たないようにするための、ただの言い訳にすぎなかったのかもしれないと。

(お父様たちはビアンカだけが大事だったから、きっとお世話係の私がビアンカと領地のこと以外に目移りするのが嫌だったのよね……)

 そう自分の立場を知れば知るほど家族たちへの気持ちは冷めてくる。けれども〝お護り様〟のことだけは別だ。

 なんとかしてそれが本当に〝デプラ〟の木であることを証明し、しかる場所で研究、そして保護してもらうようにしなければならない。

 そうでなければ獣人を厭う人たちにいいようにされてしまう可能性があるのだから。

 クラリスは自分の嫌な気持ちはしまい込み、東門に立つ。運良く直ぐに出発する馬車に相乗りさせてもらうことができた。

 馬車に乗り込む時、ベルトに付けた〝ベル〟が銀色に光った。クラリスはそれを片手でギュッと握る。

 一瞬、〝ベル〟を送り、キースだけには正直に行き先を伝えようかと考えた。しかし直ぐに考え直す。

(私の魔力量ではきっと届く前に消えてしまうわよね……)

 公爵家の邸がどこにあるかは知らないが、王都の端からでは届かないことだけはわかってしまう。魔力の保存は体力の保存も同じことだ。長旅でいろいろと使う必要のある今、わざわざ〝ベル〟を起動させることもない。

(それに……。伯爵家の金銭事情を公爵家のキース様に話すことは、援助を期待しているみたいで……すごく恥ずかしいし、それだけは絶対に嫌)

 両親たちを説得して〝お護り様〟を切らないことになったなら、より金策には苦労するだろう。しかしとにかくまずはどれだけの借金があり、どうすれば返済できるのかも込みで話し合いたい。

 クラリスは〝ベル〟から手を離すと、東の方向を真っ直ぐ向いてこれからのことを考えていた。


 クラリスが王都からルバック領へと向かってから十日。ダイムはキースの執務室の中で頭を抱えていた。自分の机の上には決済前の書類が溜まっているが今はそんな場合ではない。

 クラリスがリバリュー子爵家でしばらくの間お世話になるために出掛けたとモーラから聞いた時は、いろいろと積もる話もあるのだろうと軽く考えていた。

 念のためにキースへの報告もしておいた。

 増産の話をしているので責任感の強いクラリスならば泊まってきても二、三日。長くても五日ほどだろうと勝手に考えていたのだ。

 しかしさすがに十日も騎士団を留守にするとは思わなかった。

 パーティーの前にお願いしていたポーション増産の件はまだいい。たとえ上からなんやかんや言われたとしても騎士団にストックしている分を先に渡せばすむ話だ。

 けれどもクラリスがここに居ないということが問題なのだ。

 ヤバい、ヤバい、ヤバい。と焦るダイム。

『そろそろ戻る』と、キースから〝ベル〟が昨夜届いたのだが、その時にやってきた大きく成長した狼の姿はとてつもなく圧が強かった。

 真っ暗な中、爛々と輝いた瞳は青白く、うっすらと月明かりに照らされた銀色の毛は美しいというよりも恐ろしさを感じた。初見の者なら絶対に喰われると思うに違いないだろう。

 そもそも魔法道具が成長するというのがおかしな話だ。しかしソレを作ったのも公爵家のアシュリーなのだからもう誰にも文句は言えない。

 とにかくキースが留守にしている間にクラリスが出て行ってしまって帰ってこないなんてことになったら……。

「あー、早く戻ってきてくださいよお!」

「何を騒いでいるんだ? ダイム」

「うんぎゃああっ!!」

 抱えた頭の横に、ひょっこりと顔を出したキースの声に本気でびびり椅子から転げ落ちた。そんなダイムを見下ろしながらキースは呆れ顔で言う。

「うるさい。そこまで驚くことではないだろう」

「ちゅ、ちゅ……中隊長⁉ か、帰ってきたんですね! お早いお帰りで!」

 今まで何もなかったのに突然現れたキースの姿に本気で驚いた。獣人たちの静かに近づく癖はこういう時は本当に心臓に悪いと思う。

「ああ。一応処理は済んだからな」

「それはそれはよかったです。はい、ぼっこぼこにしてやりましたか? あのレイモンド。俺、あいつ昔から嫌いなんですよね」

 メイジー伯爵家の三男であるダイムは、正に少年期のキースとレイモンドの諍いが起こった時にその場を見ていた、唯一の目撃者であり証人でもあった。

 当時すでに自分の家門をひけらかし横柄に振っていたレイモンド。そんなレイモンドをあっさりとやっつけてしまったキースに憧れたダイムは進んでその時のことを証言し、その後キースの後を追って騎士団にまで入団してしまう。

 そんな経緯があり、キースやレジエンダ公爵家側の事情を知っていたからこそ軽い調子で聞いてみた。

「ぼこぼこになんてするわけがないだろう。そもそも契約魔法が破られた時点でその件は法廷行きが決まっている。法廷へ書類の提出や証言が済めば、契約条項を照らし合わせ処理されるだけだ」

「でもそれだけで済まないから十日も時間がかかったんでしょう? デリクトン侯爵家側からの嫌がらせとか、後はレジエンダ公爵家側のー……」

「…………両方だ。デリクトンはどうか話を聞いてくれと毎日手紙や〝ベル〟を送って言い訳を並べてくるし、実家の皆は……まあ、いつもの通りだ」

 思い出すだけで疲れたというような表情のキース。キース自身、騎士団で動いている方がよほど疲れることはないと、昔から言っていた。

「本当にお疲れ様でした。……というわけで、俺は今から訓練に参加してきますので、失礼します!」

 と、元気よく言って扉に向かったつもりが、襟首をがっつりと掴まれていた。

「ちょっと、中隊長、何をするんですか?」

「ダイム。ところでクラリス嬢はまだリバリュー子爵家から戻ってはいないのか?」

「あ」

 できるだけ先延ばしにしているうちに、クラリスが帰ってくることを祈っていたが、やっぱり無理だった。諦めて正直に答える。

「その、まだです」

「長いな?」

 短い質問がキースの苛立ちと失望を感じ焦る。ダイムは冷や汗を背中に感じながら正解の答えを考えた。

「ええと……リバリュー子爵家へクラリス嬢宛ての手紙を出しましょうか? その、ポーションと魔法薬増産の件で質問があります、と」

 その答えに、キースはゴホンと咳払いをする。正解だった。

 多分、キースの〝ベル〟をリバリュー子爵家へ送るとクラリスに迷惑がかかると思い我慢していたのだろう。

 狼が邸をうろついたら、リバリュー子爵家にとっては大迷惑だしな。

 そう思いながらダイムは急いでクラリスへの手紙を書くことにした。


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