キースが騎士団本部へと戻ってきたちょうどその頃、クラリスもルバック領の領境にたどり着いた。乗ってきた馬車はルバック領を通過せず、隣のブリオール領を通って辺境伯領へ向かうためクラリスはここから歩くことになる。
実は東門から出発する馬車は辺境伯領側へは向かわず、途中で乗り換えることになったのだが、それ以外の馬車の乗り継ぎは運良くトントン拍子で進んだ。相乗り客もいい人ばかりだったこともあり、道中もなんら問題なくここまで来ることができた。
この道中、クラリスはあらためてどの領地にも獣人たちが普通に生活しているところを目にしてきた。王都だけが特別ではない。
それなのにルバック領には全く獣人がいない。ということはやはり、イグノーが言うように〝デプラ〟が原因なのだろうか。領境を抜けながらクラリスは考えていた。
「おやまあ、ルバック伯爵家のクラリスお嬢様ではありませんか!」
クラリスの名を呼ぶ声に顔を上げると、ちょうどルバック領を抜けようとした馬車とすれ違うところだった。御者の隣に座っていた品のいい男性に見覚えのあったクラリスは丁寧に挨拶を返す。
「あら、ファラー商会の商会長ですね。お久しぶりです。お元気でしたか?」
「ええ、相変わらずですが。しかし、またこんなところでいったい……、あ」
「少しの間王都へ行ってきまして、今から邸へ戻るところでした」
途中でクラリスの噂を思い出して急に口ごもりだした商会長へ笑顔を向ける。
自分は何も悪いことをしていない。その証拠はちゃんと王都の司法の場でも無実は証明されている。その自信があるのでしっかりと顔を上げられる。
そんなクラリスの様子を見て、商会長はホッとした表情を見せた。
「そうでしたか。では私どもがクラリス様を邸の前までお送りいたしましょう。さあ、お乗りになってください」
「いいえ! 邸の用事を済ませてお帰りになるところだったのでしょう。ご迷惑をかけるのはしのびないです」
ファラー商会は隣のマルス領に店舗を構えている、中規模の商会だ。ビアンカがねだる王都の雑貨を買うこともあるが、一番の取引はクラリスの作った魔法薬だった。
いくら買い取りをしてもらっている商会でも二度手間させるのは申し訳ないと断ろうとしたが、何かを言いたげな商会長の顔にピンときてしまった。
「もしかして、ルバック家から代金が払われていないということがありましたか?」
クラリスの質問に商会長はすぐには答えず、クラリスを再度馬車に乗るように勧めた。
「代金自体は、まあよいのです。商売をするうえでの掛け売りは当たり前のことですし、今回は少々金額が多いものの貴族様との取引ならば多少は融通を利かすのが通例ですから。しかし、ひと月前に届いた魔法薬の品質があまりにも底品質なものでしたのでお話を聞かせてもらおうとしたのですが……」
「まさか……。いえ、確かに私はふた月ほど前王都へ出ていましたが、魔法薬の在庫はまだ十分にあったはずです」
騎士団が証拠として持っていったものは一部を抜き取りしたもので全てではなかった。それもルバック領の領民のためのキースの配慮だった。
「ええ。そう聞いておりました。クラリス様の魔法薬は本当に高品質で皆様に喜ばれているものだったのですが、今回購入してくださった方々からたいそうなクレームが届きましたのでほとほと困り、失礼を承知で先ほどお邪魔させていただいたところでした」
「……本当に申し訳ありません」
「いいえ、知らなかったことならば仕方がないことです。私どももクラリス様はこのことを知っていらっしゃるのかと尋ねたところ、今はクラリス様がいないのでわからない。どこにいるのかも知らないというお返事でしたし。しかしよその商会とも同様の問題があるようだと話を聞いていますので、どう対処すればよいかと思案しておりましたところです」
商会長の言葉にガツンと頭を殴られた気がした。
おそらくルバック家はクラリスの作った魔法薬でないものをそうだと騙って売り、それに対して知らぬ存ぜぬを押し通しているようだ。
しかも手紙で伝えたというのにもかかわらず、クラリスの居場所を知らないと嘘を吐き話をさせないようにしていた。
それは取引をしている相手に対して酷く不誠実だし、クラリスをあまりにも蔑ろにしている行動だ。
「あの、今回支払われた代金分の魔法薬に関しては、王都に戻り次第ファラー商会へ届けるよう手配します。多少時間はかかるかと思いますが、どうか今回はそれで大目に見ていただけますか」
クラリスはもう一度深く頭を下げる。そして考えた。
だとしたら在庫の魔法薬はどこに消えてしまったのか。
そして、誰がこの詐欺行為を率先しておこなっているのか。
「頭をお上げください。クラリス様にそこまでしていただかれると、こちらも申し訳なくなります。……しかし、ご心中お察しいたします。あのように酷い仕打ちをされてなお多大な迷惑をかけられるとは、本当にあのお方が次期ルバック伯爵かと思いますと、以後の取引は考えさせられます」
(フランク様……! あの人が、首謀者なの⁉ ……まさか、だから、なの?)
だからクラリスに冤罪をかけ、一方的に婚約を破棄して、領地からクラリスを追い出した。
いろいろな場所から借金を重ねて、詐欺行為まで働いて、お金をかき集めている。
そのうえ〝お護り様〟まで伐採してお金にかえようなんて。
それが、そこまでしてルバック伯爵家を自分の思うままにしようとしたかったからだという理由……。
クラリスはそこまで考えて、ふと疑問を感じた。
(でもそこまで無茶をしたのなら、確実にルバック伯爵家は破綻してしまうわ……。フランク様のものになる前に領地自体がなくなってしまうかもしれない)
ただでさえ家計はカツカツであり、領地の運営は言わずもがなだ。それを見越してフランクのブリオール伯爵領と統合するつもりなのか?
しかしそんな不良債権を統合したところで領地経営が圧迫されるだけなのはクラリスにもわかることだ。ブリオール伯爵が許すわけもない。
クラリスが悩んでいると、いつの間にかルバック伯爵邸へと到着していた。ファラー商会長には再度約束をし、万が一遅れるようならば騎士団本部へ連絡をしてほしいと伝えた。
そして、手のひらをギュッと握り、クラリスはルバック伯爵邸の門扉をくぐった。
「まあ、お姉様ご予定よりも随分と早く戻られたのね。お帰りなさい」
扉を開け、驚き顔の執事に荷物を渡していると、正面フロアから二階に続く階段の上段から妹ビアンカの甘ったるい声が聞こえた。そうして優雅にスカートの裾を持ちながら静かに階段を下りてくる。
色素の薄い淡い金髪がふわふわと揺れ、白く輝く肌に上気したピンクの頬がとても愛らしく可憐に見える。そのビアンカの姿は誰もが庇護欲をそそられるだろう。
「ただいま、ビアンカ。予定よりも早く、とはどういうことかしら? 私は戻るという連絡はしなかったのだけれども」
しかしクラリスはそんなビアンカを見据え直球で言葉を返す。今までならあり得ない強気なクラリスの姿にその場にいた者は皆目を見開いた。
クラリス自身、自分の気持ちの変わりように驚きはしたものの、今ここで以前のように弱気なままではいられない。
「あら? そうだったかしら? フランクがお姉様に手紙を送ったからすぐに戻ってくると言っていたからね」
「フランク様が私に手紙ですって? 手紙なんて届いていないわ」
「ええ。でもよかったわ。もうね、お肌のクリームがなくなるところだったの。早く作ってちょうだい」
他人の言うことなど何も聞かず、自分の言いたいこと、してほしいことだけを言うところは何も変わっていない。クラリスはため息を吐き、どうしたらビアンカに話を聞いてもらえるのかを考えた。
するとクラリスの後ろから扉の開く音が聞こえた。振り向くと少し驚いたように頬をひくひくとさせて、大げさに両手を広げたフランクが立っていた。
「やあ、クラリス。久しぶりだね、お帰り」