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第38話 〝狼〟追う

「クラリス嬢がいない、だと……⁉」

「はいっ、あの、リバリュー子爵家へクラリス嬢への手紙をお願いしたところ、元子爵夫人よりクラリス嬢はパーティーの日から一度もあちらの邸には来ていないとの返事をいただきました」

「嘘を吐いて隠しているのではないのか? 元子爵夫人はクラリス嬢が騎士団員にエスコートされることに嫌悪感を抱いていたようだが」

 パーティーでのサンドラの素っ気ない態度は、半獣人の騎士団員という立場のキースにとっては慣れたものだった。あの様子ならば嘘を吐いてでも孫のクラリスを引き留めて、騎士団から無理やり引き離そうと考えてもおかしくはない。

「いやそれはありません。あそこで中隊長がレジエンダ公爵家の養子だとバレたでしょう? もの凄い食いつき気味に教えていただきましたよ」

 半獣人ではあるが筆頭公爵家の養子であり、次期騎士団長に一番近い人物だと知れれば大抵の貴族なら黙っていても擦り寄ってくる、とダイムが言うのを聞くと、キースはうんざりするほどの気持ちを思いっきり顔に出した。

「ならばクラリス嬢はいったいどこへ行ったんだ。モーラに嘘を吐き、自分たちに何も言わずに……」

 パーティーでの件が一段落し、ようやくクラリスに会えると騎士団に戻ってきたというのに、なんとそのクラリスがもう十日も出掛けていた。

 あの日、自身が騒ぎを起こしたわけではないが、クラリスやその祖母である元子爵夫人に迷惑をかけてしまったこと。そしてバカな男に最悪のタイミングで自分の立場をバラされてしまったことで、かなり気まずい雰囲気になってしまった。

 そのせいでクラリスは帰り道にはキースと目も合わせてくれなかった。だから『家門のことなど関係なく、貴女とずっと一緒にいたい』と伝えきれなかった。そこまで言ってしまえば、さらにクラリスへの負担になると思ったから。

(あの時、それでもちゃんと自分の気持ちをクラリス嬢へ伝えていれば……。離れる前に、ちゃんと)

 今さらながら悔やまれる。

(もしも、万が一にでもクラリス嬢が何か事件にでも巻き込まれてしまっているのなら、関わっているヤツら全員残らず切り裂いてみせる)

 そう考えるだけで爪が伸び、牙を剥き出しになる。吐く息が荒くなり、眼光鋭くなっていくキースを、ダイムが逃げ腰になりながらもなんとかなだめ落ち着かせようと必死だ。

 そこへクラリスの部屋の様子を見てきたモーラと、獣師団からも話を聞いてきたイグノーと犬獣人のビエゴが執務室へ入ってきた。

「失礼いたします。ご報告がありますがよろしいでしょうか」

 まだ怒りの威圧が収まっていないキースを前にして落ち着いている二人にダイムは感心する。

「どんな様子だ?」

「皆知らねえと言ってんな。嬢ちゃんが出掛けた日は運悪く、獣師団の大半が第二中隊に付き合って王都外探索に出ちまってたとな」

 まずイグノーが獣師団から聞き取った話を伝え、次にモーラが答える。

「クラリス様のお部屋を見て参りました。こちらで揃えたお洋服などはそのままで、ご実家から持っていらしていたお洋服とご本。それから鞄がなくなっていました」

 クラリス自身が持ってきたものだけがなくなっているということは、自ら出て行ったという証拠である。キースはその事実にあらためて小さく肩を落とす。

「服と本が……そうか。他には何かあるか?」

「はい。その、こちらが机の上に残されておりました。クラリス様からは大事なお守り袋だとお話を聞かされていましたので、忘れていかれたとは思えません」

 モーラから差し出されたお守り袋は確かにクラリスのものだった。キースも何度も見たことがある。

 この大事なお守り袋を置いていったのには何か意味があるのだろうか。

 キースは考えるよりも早く袋から中のお守りを取り出した。

 転がり出たお守りは、何の彫刻も飾りもないただの小さな木片。少し焦げているのは、トリブラ畑が燃やされた時のことだろう。クラリスもそんなことを言っていた覚えがある。

 その中身を不思議そうに眺めていたキースの横からイグノーが覗き込む。そして突然「おい、キース。それをちょっとよこせ!」と声を荒げた。そしてそれを奪い取るように受け取りじっくりと確認すると、ビエゴたちに向けた。

「おい。こいつを嗅いでみろ」

 言われるままにダイム、モーラ、そしてビエゴの順にその木片の匂いを嗅ぎ感想を伝える。

「何にも匂いはしませんね」

「パウロの木の匂いに似ている気がします」

「クラリス様の匂いがします」

 と三人三様のことを言った。

「犬獣人のビエゴがクラリス嬢の持ち物の匂いを感じるのはおかしなことではないですよね……あ、ビエゴに匂いを追ってもらうんですか?」

「えええ、それはちょっとぉ。さすがに十日も前の匂いはどれだけ頑張っても無理です」

 ダイムとビエゴの会話を無視し、イグノーは自分の爪で木片を少し削った。

「モーラさんよ。こいつにちっと火を付けてくれねえか? おい、キースはできるだけ鼻をつまんでおけ、いいな」

 ティーソーサーの上で焚かれた木片が煙を出し始めるとふわっと甘い香りが漂い始めた。鼻が潰れ匂いのわからないイグノー以外は皆それを感じていた。

 途端、ふにゃりと足腰が立たないようになりビエゴだけがその場に崩れ落ちた。前にトリブラ畑で起こったことと同じ状況にイグノーは確信した。

「やっぱり……。こいつは〝デプラ〟に違いねえ。だから嬢ちゃんがこいつを置いていったんだ。ということは……」

「クラリス嬢はルバック伯爵家に戻った可能性があるということか?」

 横からぬっと顔を出したキースに珍しく本気で驚いた。

「うわぁあっ! ちょ、キース。お前……、こいつの香りが利いてねえ、のか?」

 火を付ける前に忠告をしたのでビエゴほどもろに吸い込んでないと思っていたが、今キースは煙を完全に吸い込んでいるにもかかわらずピンピンしている。

「いや、少しはふらつく感じがするな。しかし倒れるほどではない」

 獣人と半獣人の違いのせいなのか、キースには思っていた以上に〝デプラ〟の香木が利いていなかった。

 しかしそうなるとあの自制心をなくした甘噛みの暴走は? 〝デプラ〟のせいではないのか?

 キースとイグノー。二人が同時に同じことを考えた。しかし今優先すべきことはそこではない。

「あ! あのっ、中隊長。俺、クラリス嬢へルバック伯爵邸で、〝お護り様〟ですか? その木を伐採して売り払われることになっているという話を報告しました!」

 二人の会話を聞いているうちに察したダイムが手を上げて割って入った。

「馬鹿野郎! それを早く言えっ!! ダイム、すぐに馬を用意するんだ!」

 品のない罵倒がキースの慌てっぷりを表している。

 伯爵家のシンボルツリーが〝デプラ〟であると気がついたクラリスが、売り払われると知り慌ててルバック領と向かった。それならば急いで出て行った理由はわかる。

 しかしキースは何か胸騒ぎがしてならない。それは獣人特有の勘かもしれない。

 愛する者が危険にさらされているということへの防衛本能だ。

 周りがバタバタと動き始める中、キースは〝ベル〟を一つアシュリーに向けて起動させた。


 袋片手に用意された馬に鞍を付けているところで、アシュリーが一匹の〝狼〟に追い立てられるように飛び込んできた。

「キィイイスーっ! ちょっと、この子どうにかしてよ! あ、噛む! ちょ、やめて。渡すから! 本当に、何なの? これ本当に僕が作った〝ベル〟なの?」

 ハアハアと肩で息をしながら手に持った袋をキースへと渡す。

「当たり前でしょう。それで、いくつ持ってきてもらえましたか?」

「四つ。でもこんなに使って何をするつもりなのかな? これ一匹でも魔力結構使うでしょ」

「問題ありません」

 キースが手に取った〝ベル〟に魔力を注ぐと、総勢六匹の〝狼〟の群れができあがった。

 銀色の毛をまとった大きく美しい狼の姿。あまりの壮観な眺めに周りは皆息を呑んだ。

 キースは颯爽と馬に乗ると、アシュリーたちに声をかける。

「今からクラリスを追います。ルバック領に到着する前に追いつきたいところですが、経路がわからないので、こいつらと手分けをして向かいます。後のことはダイム、頼んだぞ」

「え、キース。待って、そんなこと〝ベル〟には無理ぃいい⁉」

 ハッ! というかけ声と共にキースが手綱を引く。馬が駆け出すのと同時に〝狼〟たちが列をなして飛び出していった。狼の群れとそれを率いるキースの姿に全員が見惚れる。

 一陣の風のように走っていく群れが消えると、アシュリーが一言「凄い。僕ってやっぱり超天才だった?」と呟いた。



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