いろいろと考えた結果、クラリスはいきなり〝お護り様〟の話をし出すよりもまず、ファラー商会への未払い金のことからした方がいいのではないかと考えた。
(その方がまだ話を聞いてくれそうだし。後は、どのタイミングで話を切り出すかということだけれども……)
夕食の時間となり、クラリスは侍女にダイニングルームへと案内された。
初めて見るその侍女は艶のある黒髪の美人で態度もおかしなものではなかったが、どことなくこの場にそぐわない感じがした。それに慌ただしく動く使用人たちの動きを見ていると、少し人手が足りていないように感じる。
なんとなく今までと違うルバック家の様子を気にしながらクラリスがテーブルに近づくと、思っていた以上の料理の数に驚く。正餐と呼んでよいくらいだ。
そしてその食卓の向こうに両親とビアンカ、そしてフランク以外の客人が着いていることに気がついた。
「早く席に着きなさい、クラリス」
「あ……はい、お母様」
クラリスは軽く会釈をして席に着くと、夕食の場で話そうと決めていたことについては、一旦引くことを決めた。
(……残念だけど今日のところは未払い金や〝お護り様〟の話をするのは無理ね)
客人の前でルバック伯爵家の内情を話すことはできない。ただでさえ娘から当主である父への進言となる話だ。
今そんな話を切り出せば今度こそ二度と帰ってくるなと言われてもおかしくはない。それでは本末転倒だ。
まずは両親がクラリスの話に耳を傾けてくれる状況をつくること。それが一番重要なのだから。
(明日にでももう一度チャンスをうかがってみましょう)
ルバック伯爵の隣に座る、仕立ての良い、すぐに高級品とわかるジャケットを身に着けたその客人は、ノーマン子爵と名乗った。
ノーマン子爵家は領地こそ持ってはいないが、いくつかの事業を抱え王都で商会を運営しているそうだ。そういえばクラリスもキースと一緒に街中へ出た時、ノーマン商会という大きな看板を目にした覚えがあった。
そんな人物がどうしてこんな田舎へ来たのか。クラリスは疑問に思いながらもすぐにノーマン子爵の巧みな会話に引き込まれてしまう。
恰幅良いノーマン子爵の話しぶりはとにかく明朗快活でいてスマート。普段はビアンカの話題以外は静かなルバック家の食卓がとても賑やかな雰囲気になった。
特にビアンカがすぐ自分の話に持っていこうとすると上手に次の話題へと振ってくれるため、クラリスも自然と会話に入ることができた。
「クラリス嬢は王都から戻られたばかりとか。お疲れではありませんか?」
にっこりと笑いかけてきたノーマン子爵へ、クラリスは静かに微笑み返した。
「ええ、大丈夫です。ノーマン子爵」
「もしも滞在を知っていたならば店舗を紹介させていただいたのですが、残念です」
「お気にかけてくださりありがとうございます。王都ではノーマン商会の看板を見かけたばかりですわ。サロン・ド・ローズリー近くの」
「サロン……ああ、そうですか」
「まあ、お姉様! サロン・ド・ローズリーなんてどこでお知りになったの⁉」
ノーマン子爵の言葉を遮るようにビアンカが声をあげる。両親は一瞬眉をひそめたものの、ビアンカをたしなめるでもなく、ノーマン子爵へと声をかけて話題を変えていた。
ノーマン子爵はビアンカの失礼も鷹揚な態度でスルーし、ルバック伯爵との会話を始め何もなかったかのように夕食は進んでいった。
一通りの食事が給されると、ノーマン子爵とルバック伯爵、そしてフランクの男性陣をその場に残してクラリスたち女性陣は応接室へと移った。
応接室にはすでにお茶と小さな焼き菓子が並べられていた。
「お姉様お可哀想……。こんなお洋服でお客様の前に出ることになって……」
ソファに腰を下ろしてすぐ、ビアンカは瞳を潤ませた。そして煌びやかに波打つようなドレスのフリルをクラリスへ見せつけながらシミ一つないシルクのハンカチを目に当てる。
「知っていれば、お姉様へ私のドレスをお貸ししたのに、ごめんなさい。私ったら、気がつかなくて」
(確かに今日のような正餐にはふさわしくなかったけれど、そもそもビアンカのようなドレスを作ってもらったこともないことは皆知っているはずなのに……あら、でも?)
ビアンカが今身に着けているドレスも靴もアクセサリーも全て、クラリスが見たことのないものばかりだった。
王都でサロン・ド・ローズリーのドレスをいくつも見たおかげで、今ビアンカが身に着けているものが以前のものよりも数段高価なものだと気がついた。
(こんなにも高いものを与えているのだから未払い金が多くなっているのね……)
「まあ、ビアンカ。優しいのね。でもあなたのドレスをクラリスが着ることはできないわ。あの子はあなたよりもずっと背も肩幅も大きいから。そうよね、クラリス」
ルバック伯爵家の財政を心配するクラリスをよそに、ビアンカを慰めるためにクラリスを蔑む母親の言葉が棘のようになって襲ってくる。
しかし、王都へ行くことになる前はそれにいちいち傷つきながらもビアンカを立てていたクラリスだったが、今は違う。
マダム・ローズリーのドレスを着てキースに『クラリス嬢……とても、素敵です』と褒めてもらえたことが自信になっている。
(自分を卑下しない。そんなことをしたら、私を褒めてくれたキース様にも失礼だわ)
「はい。ビアンカのドレスは小さすぎて私には着ることができませんわ」
笑顔でそう答えると、なぜかビアンカが急にむくれた。
「クラリス!」と母親がたしなめる声と同時に、ソファの小さなクッションをビアンカが乱暴に投げ捨てる。
「お母様、やっぱり私、次に王都へ行ったらサロン・ド・ローズリーでドレスが作りたいの。お願い!」
「……ビアンカ。マダム・ローズリーのサロンは招待がないとすぐには入ることができないのよ。うちくらいではどれだけ待たされるかわからないの」
「フランクも同じことを言ったわ。何で? 皆、どうして私にそんな意地悪を言うの?」
「ビアンカ、これは意地悪なんかじゃなくてね……」
「ああ、もう……。苦しい、苦しい……」
駄々をこね、胸を押さえるビアンカに、背中をさすりながらおろおろとする母親。その姿を見てクラリスはなんともいえない気持ちになる。
やはりキースのレジエンダ公爵家という名前があってこそ、クラリスもあのマダム・ローズリーのサロンでドレスが買えたのだと思った。
そしてもし自分がサロン・ド・ローズリーのドレスを持っていると知ったら、ビアンカはどうするのか?
そんなことを考えてカッと顔が熱くなる。
(嫌だわ。そんな当てつけがましいことを……恥ずかしい)
ビアンカが普段からクラリスへ見せつけるような自慢は、本当に恥ずべきことだったと気がついた。
だからだろうか、母親とビアンカの二人のやりとりが全部ビアンカ主演の演劇のように見えてしまった。
過去のクラリスならその舞台にのって、ビアンカを慰め、自分に何ができるのかを考えただろう。しかしその不自然なやりとりに気がついてしまった今ではもう同じようにすることはできない。
黙って二人のやりとりをみていると、焦れたビアンカがさっきまでの息苦しさなど忘れ、突然思いついたように両手を合わせてパンッと音を立てた。
「そうだわ、お母様たちがダメなら、ノーマン子爵ならどうかしら? 大きな商会を持っていて、サロン・ド・ローズリーの近くにもお店があるのでしょう? それならきっと紹介してもらえるわ!」
「ビアンカ、私が見たのは看板の話よ、お店ではないの。それに突然そんなことを頼まれればノーマン子爵にだって迷惑になるわ」
クラリスはあまりのわがままな言い分に、クラリスはとうとう口を挟んでしまった。
ノーマン商会が大きな看板を一等地に出せるほどならマダム・ローズリーとの付き合いがあってもおかしくはない。しかしそれとビアンカがサロンを紹介してもらうのは別の話だ。
「そんなことないわ。だって、ノーマン子爵はぜひにと言って家へ商談をしに来たのですもの」
「えっ⁉ 本当なの、ビアンカ?」
本当ならば未払い金もあり財政難である今のルバック伯爵家と新たに商談したいという商会があるとは考えにくい。
もしそうなのだとしたら、おそらくそれは——。
「そうよ、フランクが教えてくれたわ。ノーマン子爵はね、家の……ほら、裏のあの大きな木が欲しいらしいの」