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第41話 正餐

(やっぱり! そうなのね、ノーマン子爵が〝お護り様〟を買い取りたいと申し出た人だったんだわ。だからわざわざ王都からルバック領までやって来たのね……)

「ビアンカ! それ以上はやめなさい」

 珍しくビアンカの言葉を制止しようとする母親。けれどもビアンカはそれを無視してクラリスへと自慢げに教えてくれる。

「なんでもとても急いでいるみたいで、すごく高く買ってもらえるんですってよ。だから、そんなに欲しいのなら、私の少しくらいのお願いだって聞いてもらえるわ、きっと!」

 うっとりとした表情で、すでにドレスのことしか考えていないビアンカの肩を抱きながら母親は小さく溜め息を吐いた。

 クラリスはじっとその姿を見つめ問いただす。

「お母様、ビアンカの言う大きな木とは〝お護り様〟のことですか? お母様もあの木がルバック伯爵家のシンボルツリーであり、守り木であることはご承知でしょう。それなのに、売ってしまうなんて……」

「私は……何も。それに、お父様はまだ、売るとは……。そういったお話があるということは……聞いては、ええ……」

 母親はクラリスの視線から目をそらしビアンカの髪を撫でながら、もごもごと歯切れの悪い言葉を絞り出した。

「こんなこと、亡きお祖父様やお祖母様が知ったらなんておっしゃるか」

 これまでクラリスの言うことはなんでも切り捨てていた母親らしからぬ態度に違和感を覚えながらも、初めて勢いのまま責め立ててしまった。それすらも黙って聞いている母親の横からビアンカが場違いな明るい声をあげた。

「あら、フランクは契約書を書いたらすぐにでも伐るのだって言っていたわ。もう人足たちも雇っているのですってよ!」

「えっ⁉」

「ビアンカ?」

 クラリスと同時に母親の驚いた声がかぶる。どうやら彼女も今の話は知らなかったようだ。

「ビアンカ、今の話は本当なの⁉」

「ええと、あの……あっ」

 切羽詰まったクラリスの問いに、ビアンカは一瞬息を詰めるとハンカチを口元に当てて急に苦しそうな息を出し始める。

「……お母様、私、はぁ……。すごく、苦しい、の……もう……」

 そしてケホケホと乾いた咳を吐いた。

 この短い間に二度も苦しいと訴えられればさすがにクラリスでも、もうそれがビアンカの狂言だとわかる。けれども母親は心底心配をしているという様子でビアンカに寄り添い、ビアンカをベッドへ運ぶようにと侍女に指示をした。

 先にビアンカを部屋に送った母親は、ゆっくりとクラリスへと顔を向けると、これ以上気をつかわせないでと言わんばかりに溜め息を吐いた。

「とにかく〝お護り様〟……いいえ、領地のことは全てお父様がお決めになるわ。ですからあなたも余計な心配などしないようになさい、クラリス」

 それだけ言うと母親はビアンカの後を追い応接室を出て行ってしまった。

 一人残されたクラリスは、ティーカップに残った琥珀色のお茶に映る自分の姿を見ながら、次に自分がするべきことを考えていた。


   ***


 王都から飛び出したキースと〝狼〟の群れはまず辺境伯領方向行き馬車が多く出発する南門へと向かう。

 馬に騎乗した銀髪のキースと銀色に光る〝狼〟たちがいっせいに街並みを駆けていく姿は颯爽としていて力強く、その姿を目にした人々にはまるで物語の挿絵のように映ったようだ。

「銀灰の騎士様よ!」

「あれがキース様……ああ、素敵。美しい……」

「すっげー! あの狼たち? めちゃくちゃ格好いい!」

 そんな男女問わない黄色い歓声は、キースたちが走り去っても鳴り止むことがなかった。

 キースは南門まで来ると一度馬を下りクラリスの足取りを尋ねて回る。茶色の髪、茶色の瞳というありきたりの見た目だが、クラリスのように貴族らしく上品で可愛らしい若い女性が一人で遠乗りの馬車に乗ろうというのだから本来ならば誰かの記憶に残っていてもいいはずだ。

 しかし聞き込んでも全くといっていいほど情報がない。

(……出発門が違うのか? ならば)

「北門から東門、それから念のため王都中心の馬車の乗り合い所まで行き、話ができそうな者と繋げ。できるな」

 命令された〝狼〟たちのうち四匹は、ワフッ。と小さく吠え尻尾を返すと、即座にキースから離れていった。

「いや、できるのかよ。すげえな、キース」

「ついてきたのか、イグノー」

 当たり前だろうという顔でキースは答えているが、そもそも六つ同時に〝ベル〟を動かすことが不可能に近い。イグノーは呆れながら「こりゃ意思疎通ができてもおかしくはねえな」と呟く。

「なんだ?」

 残ったキースの〝狼〟たちがイグノーの周りをくるくると動き匂いを嗅ぐようにフンフンと鼻を動かしている。

 キースは休ませていた馬の手綱を取り、首を撫でるとサッと飛び乗った。気持ちはすでに王都場外へと向かっている。

「いんやー。俺もお前と一緒について行こうと思ってな。もし嬢ちゃんに何かあったら獣師団うちの連中が仕事のボイコットをしそうだからなあ」

 イグノーが〝狼〟の頭を掴み、がしがしと撫でながら伝えると、キースは馬上で軽く肩を竦めた。

 長い付き合いのイグノーにはこれがキースの了解の言葉だとわかった。

「お前ら騎士団は四日で走りきったらしいが俺らならもっと早く着くだろ」

 その場でぴょんぴょんと二、三度飛び跳ね、キースに向かって指で丸のサインを作る。

「念のため〝ベル〟は辺境伯領ルートを走りクラリスを見つけたら保護。自分たちはこのままルバック伯爵領まで一気に走るぞ」

 キースが手綱を引き「ハッ!」と声を出して馬を走らせるのと同時にイグノーの脚が地面を蹴り、二匹の狼は乗り合い馬車が向かうルートへと走って行った。

 勢いよく飛び出したキースたちの馬車の通れない林の中を突き抜けていく。流れる木々の速さからもそうとうな速度で移動しているのだが、自らの脚で走っているイグノーは見るからに軽そうな様子でキースに話しかける。

「しっかしさ、嬢ちゃんもあんな気弱そうで世間ずれしていねえようでいて、いざとなったらっていう行動力が半端ねえなあ。」

 けらけらと笑うイグノーに一瞬ムッとしたキースだがクラリスの顔を浮かべフッと頬を緩ませる。

「当たり前だ。クラリス嬢は燃える畑の中へ証拠のために飛び込んだのだからな」

 あの日、炎の中で大事そうにトリブラの花を掴んだクラリス。違法栽培の証拠をなんとかしなければという、それだけの思いで炎へ飛び込む勇気。

 キースはクラリスの行為を無謀だと叱ったが、あれでもしクラリスが大けがをしてしまうようなことがあったなら。そう考えるだけで背筋が凍る思いがした。

(——きっと、自分はあの時にはもう彼女に惹かれていたんだ)

 きっかけの一つであったかもしれないが、〝デプラ〟の香木など関係ない。

 キースの胸をかき乱すような甘い衝動は、クラリスの首に甘噛みした時よりも前、彼女と初めて目を合わせた瞬間から始まっていた——。

 クラリスを思い微笑みを浮かべるキース。その横でイグノーは舌をペロリと出して口を舐めた。

「そりゃ違いねえや。んじゃ、いっちょスピード上げて嬢ちゃんを迎えに行こうぜ。四日といわずに、二日でな!」

 そう言うとイグノーは黄色の毛を逆立て一気に走る速度を上げる。林の小枝を払い落としながら走るイグノーの後ろで、キースは馬の手綱を握る手に力を入れた。


   ***


 ビアンカと母親が応接室から出て行ってしまった後、しばらくの間クラリスは応接室でルバック伯爵たちを待っていた。

 しかし興が乗っているのか、なかなか男性陣は応接室には戻らず、声をかけるべき母親もビアンカと共に部屋から出て行ってしまったため、仕方なくクラリスはその場から離れることにした。

 クラリスが使っている客室は一番奥まった場所にあり、使用人たちもあまり寄りつかない。その近く、どこからか潜めるようなくぐもった声が聞こえた。

(……ノーマン子爵の従者かしら? それにしては……)

 ノーマン子爵のように大事なお客様には南向きの一番広い客室を使ってもらう。その従者ならば当然近い場所の部屋をあてがうはずだ。

 不思議に思いつつも、会話を聞かないように静かにその場を離れようとした時、クラリスの耳にとんでもない会話が入ってきた。

「おい、なんだかおかしな雲行きになってきた。もういい。とっととあの木を伐ってしまおう。魔法契約なんて後でもいい」


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