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第44話 ただひたすらにあなたを想う

 まさかと思っていたが、やはりこの侍女とフランクは、〝お護り様〟を伐るということに関しては同じ考えをしているけれどもその後については全く逆だった。

「それは……ノーマン子爵の考え、なのですか?」

 貴族間で契約もなしに領地内財産を持っていってしまうなどありえない。そんなことが知られれば子爵は以降アリアテーゼ王国にて商売は難しくなる。

「さてねえ。そんなことが重要かい? おっと、もうこんな時間だね」

 クラリスの質問をさらりと躱すと、侍女は笑いながら木箱を積み上げ直した。

「じゃあね。機会があったらまた会えるんじゃないの?」

「ま、待って! お願い、もう一度……いいえ、ここから出してちょうだい!」

 必死の叫びもむなしく去って行く。クラリスは立ち上がり力を込めて体当たりしたけれども木箱の囲いはびくともしなかった。


 一日中頑張ってはみたものの全くその成果はでず、半地下の小窓から差し込む光は徐々にオレンジの色へ、そして紫へと変わっていく。

 その間もずっとクラリスは考えていた。

 今ここでこのままただ時が過ぎるのを待っていても〝お護り様〟は伐られてしまう。

 それならば——。

 クラリスは〝ベル〟を両手で握りしめて思い切り魔力を注いだ。

 強く、強く、力を込めて。自分の魔力の底が尽きるまで本気で注ぎきった。

「……〝音鈴〟」

 クラリスの詠唱で姿を変えた〝子リス〟は、今までのものよりもずっと輝くような栗色の毛並みをしていた。その〝子リス〟にクラリスは願いを託す。

「誰か……お願い。ここから、出して……くれる、人、に伝え、て。お願い……」

 ——行って。

 クラリスの言葉に弾かれるように〝子リス〟は木箱に飛び乗りあっという間に姿を消した。あの姿と動きならばきっと通気口から外へ抜け出せるだろう。

(私の魔力量でどこまでいけるかはわからない。でも……)

 クラリスは誰かが〝子リス〟を見つけてくれるまで待った。

 頭がガンガンに割れそうに痛む。魔力を注ぎすぎて欠乏症の一歩手前まできているため、クラリスは酷い疲労感に頭痛、吐き気を感じても待っていた。

 どれくらい経った頃だろうか。突然チカチカと光る瞼の裏に、走っていった〝子リス〟がキースの元に飛びつく幻が見えた。

 ありえない幻想。王都にいるキースまで、クラリスの〝子リス〟が届くはずがない。

 でも。それでもクラリスはキースに手を伸ばした。

 会いたかった。

 大好きなキースに、こんな時だから会いたいと願っていた。

(幻でもいい。キース様の温かな声を聞けるなら……)

「……キース様……? …………たす、けて……」

 クラリスは夢うつつの中でキースといくつか会話を交わしたが、とうとう力尽きて壁にもたれたまま完全に意識を手放した。


   ***


「結構ぶっ飛ばしたがあとどれくらいだ?」

 イグノーが腰に付けた水袋から一気に水をあおる。そうしてキースへと投げて渡した。

「街道沿いに走れば半日というところだろうな。レトナ森林を抜けていけば短縮できるとは思うが、こいつに負担がかかりすぎる」

 キースは息荒く水を飲んでいる自分の馬を見る。獣人の血を引くキースの馬は普通の馬とは違い、トップスピードを長時間持続して走ることができる。しかしそれでもこの強行軍に疲れを見せていた。ここまで走り続けてもケロリとしているイグノーは、さすがは獣師団の団長だ。

「んじゃ、仕方がねえな。つうか、キース。お前の狼どもはどこ行ったんだ?」

 一度方向別に割り振って別行動をしていた〝狼〟たちは時間差で全てキースの元に帰ってきた。計六匹の〝狼〟を従えさっきまで走ってきたのだが、気がつけばまた三匹を残して他の〝狼〟たちはいなくなっていた。

「一つはダイムへの伝令に飛ばした。現状連絡と、いつでも中隊を動かせるように伝えるつもりだ。もう一つはブラックラー辺境伯家へ、ルバック伯爵家の状況連絡と緊急時の要請願い。それから残りの一つは」

「うん」

「知らない」

「はっ⁉ いやそれはねえだろ」

「二時間くらい前、何かに反応したように飛び出していった」

「おいおい。魔法道具が勝手に動くわきゃあ……って、あの一番でかいやつか」

 キースは軽く頷く。

 クラリスとの会話と護衛のためキースが惜しみなく魔力を注いだおかげで〝ベル〟とは思えないほど大きく育ってしまった〝狼〟だ。今回の捜索に使用した〝ベル〟の中でも一際大きくキースの魔力を感じさせる。

「まあヤツなら何をやらかしても不思議じゃねえな」

 それを好き勝手にさせるキースもキースだが。

 呆れたイグノーが肩を竦めたちょうどその時、噂の〝狼〟が向かうべき方向からもの凄い勢いで戻ってきた。

「うおっ! なんだ⁉」

 飛び跳ね、キースの元に着地した〝狼〟の口元に咥えられていたのは——。

「クラリス嬢の〝ベル〟⁉」

 見覚えのある、温かみある茶色の小さな子リスは確かにクラリスのものだ。

(クラリス嬢の魔力量ではもって数十分のはず。もしかしてこの近くに⁉ 事故か何かで動けなかったのか?)

 慌てて差し出されたキースの手のひらの上に〝狼〟は優しく〝子リス〟下ろすと、ペロペロと撫でるようになめた。

 力なくぐったりとしていた〝子リス〟がゆっくりと頭を上げる。

「……クラリス嬢! 自分です。キースです。どうか、応えてください、クラリス嬢」

『あ……キ、キース……様……?』

「はい。キースです。どこにいらっしゃいますか? 自分が今すぐに迎えに行きます」

 何度目かの問いに応えてもらえてホッとしたキース。だがいつ消えるかわからないクラリスの〝子リス〟のため、急かすように問いかける。

『私、ルバック伯、に……〝お護り様〟、いえ〝デ、プラ〟……の木が伐、られて……たす、けて……』

 途切れ途切れで力の入らないクラリスの声。キースは瞬時に状況を察知した。

 ルバック伯爵邸の木がデプラだと確証を持って、伐採しようとしている人物がいる。おそらくその人物はデプラの効果も理解した上で伐採を企てているのだろう。

 そしてクラリスはその事実を知ってしまったため、その人物に監禁もしくは拘束されているのだ。

 今にも消えそうなほど姿が揺らめきだした〝子リス〟の姿。

 キースの〝狼〟がここまで連れてきたとはいえ、クラリスの魔力量でここまで姿を維持するためにはどれだけの魔力を注いだのだろうか。

 キースはグッと牙を食いしばる。それでも声だけはクラリスを気づかうように温かい声をかける。

「わかりました、クラリス嬢。今すぐ貴女の元へ行きます。待っていてくださいね」

『……ほん、とうに?』

「だから少しの間だけ、休んで待っていてください」

『キース様……は、い……』

「大丈夫ですよ」

 消えそうになっている〝子リス〟と共にクラリスの返事も、小さく、か細くなっていく。

 今、こんなことを言ってもクラリスに届くかわからない。

 ただそれでも。こんな時だからこそキースは伝えたかった。

 キースは消える寸前のクラリスの〝子リス〟の頭へそっと唇をよせた。

 そして——

「愛しています、クラリス嬢。絶対に自分が貴女を守ります」

 そのキースの告白と共に手のひらの上の〝子リス〟はしゅるりと消えてしまった。

 キースはフッとひと息吐くと小さく詠唱をする。途端、焚き火が一瞬で消えた。

 闇の中でキースの青い瞳が金眼へと変化する。

「行けるな、イグノー」

 それまで黙って見ていたイグノーの琥珀の瞳が月明かりにキラリと光った。

「おうさ、いつでも。けど、お前の馬はどうすんの?」

「〝ベル〟に先導させて一緒に王都へ戻す」

 さあ、行け! 一言で一匹の狼と馬は王都の方向へと走り出した。

 そしてキースはレトナ森林へ足を向ける。その場にいた〝狼〟はいつの間にか一番大きな一匹だけになっていた。

「んじゃま、最速で突っ切るとするか」

 イグノーの言葉が言い切らぬまま、キースと一匹はすでに闇夜の中を疾走し始めていた。


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