『——愛しています、クラリス嬢。絶対に自分が貴女を守りますから』
クラリスは小窓からの朝の光で目を覚ました。
そして昨夜失神する前に見た幻の中のキースが言った告白を思い出して顔を真っ赤にした。
(……な、なんで、あんな夢を……っ! こんな、こんな大変な時に……)
両手で顔を隠しながらバタバタと足を踏む。
(いくら夢だからと言って、そんな都合のいい夢を見るなんて恥ずかしい……。でも、夢の中だけでもキース様に出会えてよかった)
キースの夢のおかげで最悪の気分だけは回避できた。
だから、たとえどんな状況になっても絶対に諦めない。そう思うことで自分自身に力を入れ直す。
腰の〝ベル〟を確認すると、やはりすでに魔力は切れて戻ってきていた。自分の中の魔力も、まだ完全に戻ってはいないように感じる。
それならば今は〝ベル〟を使う時ではない。もっと、いざという時のために魔力は残しておこう。
そう決めてクラリスは大きく深呼吸をしてスクッと立ち上がった。今度こそこの木箱を崩してなんとか外に出たいと考え、何度目かの体当たりを試みようとしたその時、半地下の扉がギィッと音を立てた。
そして、ここで聞くはずのない人たちの声を聞いた。積み上げられた木箱のほんの小さな隙間からなんとか覗き込むと誰かが階段から下りてくるような影が見えた。
「やめなさい! 君たちはいったい何を考えているのだ⁉ 私はルバック伯爵家の当主だぞ!」
「あなた! これは、いったい? ああ、待ってちょうだい。下ります……だから落とさないで……」
「話が違うじゃないか⁉ おい! ピトーネ⁉」
「う、うう……。臭いわ、嫌……こんな、ところ……」
口々に文句を言いながら階段を下りるようにうながされているのはルバック伯爵家の両親、そしてビアンカとフランクの四人。
シクシクとすすり泣く声と戸惑うような囁きが、物置の隅に監禁されているクラリスの元にも届く。
「おいっ! っ、聞こえているのか⁉ 上にあげろと言っているんだ!」
「……そ、そうだ! 僕とビアンカだけでも、ねえ、ピトーネ!」
それでも諦めずに声を荒げるルバック伯爵とフランクに、ピトーネと呼ばれた女が答えた。
「あんたらさあ、黙ってしばらくの間ここにいりゃ、後で出してあげるんだから。ちょっとは静かにしてなよ。あ、でも変なことしやがったらすぐにでも殺しちゃうかも」
クラリスをここへ閉じ込めたあの侍女の声だ。バカにするようにケラケラと笑っている。
「静かに、なんて……あ、胸が苦しい……お願い、辛いの……」
半地下とピトーネの脅しの言葉に耐えきれなくなったビアンカが息をハアハアと立てて訴え始めた。
いつもならば誰もが手を止めビアンカの願いに耳を向けるだろう。
可愛いビアンカ。あなたのためならばなんでもしましょう、と。
けれどもピトーネはさらに大きな笑い声を響かせながら楽しそうにビアンカへ向かい言い放った。
「悪いけどあたしにあんたの
ピトーネの言葉に、皆の時が止まったかのようにシンッと静まりかえった。
「あんたの発動条件はその変な息? それとも泣き言?」
「え……? なに、それ?」
呆気にとられたビアンカが素で返している声が聞こえた。
(
「はあん、無意識か。たまにいんのよね、垂れ流してるヤツ。ま、いっか。別にもう関係ないし……あ、そういえばまだあんたらの家族がいたっけね!」
急に思い出したようなピトーネの声が近くなる。クラリスは慌てて木箱から離れると壁際まではりついた。すると、バガンッ! と、まるで雷でも落ちたみたいな轟音と立ち上がる埃と共に、クラリスの前にあった木箱が取り払われた。
(……なんて、力なの? でも、どう、やって?)
どのようにしたのかはわからないが、確かに木箱を吹き飛ばしたのは目の前のピトーネに違いない。
「また会ったね。でも今度こそさよなら」
そう言ってクラリスの前で大きく開けた口の中にはまるで鋸のようにギザギザと尖った歯が並んでいた。
ピトーネは優雅に手を振ると、仲間を引き連れ階段を上っていった。ガチャリと鍵をかける音が聞こえた途端、皆が一斉に泣きわめきだした。
「ノーマン子爵はどうした⁉ なぜ彼だけ別に?」
「くそっ、あの女……裏切ったなんて……」
「どうして私たちが!」
「なぜ……こんな、いや、汚い……」
突然身に降りかかった災難に、当然ながら誰もが落ち着きをなくしていた。
中でもルバック伯爵は特に苛立ちを隠そうともせず、自分たちよりも先に監禁されていたクラリスを見るといわれのない疑いの言葉を浴びせかけた。
「クラリス! お前はなぜここに……まさか、あの女たちとグルになっていたのではないか⁉」
「……そんな! お父様、私はフランク様とあの侍女の……」
クラリスはフランクとピトーネの会話を聞いてしまったことで監禁されていたのだ。そのことを説明しようとすると、フランクが慌ててそれを遮ってくる。
「そっ、そ、そうだっ! クラリスがあいつらを手引きしたに違いない! おかしいと思ったんだ。こんな、タイミングでクラリスが突然帰ってくるなんて」
引きつった声で、クラリスが自分たちを騙したのだと大声で叫ぶ。
誰がどう見てもクラリスは皆よりも先に監禁されていた被害者のはずだ。
だが、激しく混乱しているルバック伯爵はフランクの言葉を信じてしまった。
「でも私が帰ってくる前にはもうあの侍女は働いていたのでしょう? それでしたら執事に聞いてみてくだされば、誰の紹介かわかるはずです……」
「そんなことは知らん! それに気がつけば執事も誰も彼もいなくなっていた」
「あ、朝の支度にも、ベルを鳴らしても、誰もこなかったから……ああ……」
「そんな……。使用人の皆はどこへ行ったというのですか? まさか彼らもどこかに監禁されているのでしょうか?」
「使用人? なぜ主人である私が気にかけねばならないのだ! だいたいあいつらがしっかりしていないせいで私は、賊に入られたうえに監禁され邸を荒らされるなどという汚名を被っているのだぞ! こんなみっともない話があるか⁉」
そう言って、ギリギリと歯ぎしりをしながら何度もありえないと呟いている。
パニックが一度収まると、皆は散らばった木箱に腰掛けて静かになる。フランクだけがビアンカに対してあれやこれやと声をかけるが、当のビアンカはただそれを黙って享受するだけだ。
皆、ピトーネが言っていた、後で出してあげるという言葉を鵜呑みにしたのかもしれない。
そうしてどのくらいの時間が経ったのだろうか。半地下の小窓から、ざわざわと人が集まる音が聞こえだした。
どうやらこれがビアンカが聞いたという〝お護り様〟を伐採するための人足たちの気配なのだろう。
このままではあのピトーネの言うとおりになってしまう。〝お守り様〟も守れず、邸も荒らされ逃げ切られるだろう。
それに、そこまでする彼女たちが本当にクラリスたちをそのまま自由にしてくれるとも思えない。もしそうなのだとしたら……。〝お護り様〟だけでなく、ルバック邸で働いてくれている使用人の皆の命まで危険なことになるかもしれない。
ゾクリと背筋が寒くなる。
(皆、逃げてくれていればいいのだけれど。もしも捕まっているのだったら、最悪でもそれだけはなんとか阻止しなければ……)
自分はどうなってもいい。だから——。
(せめて彼らだけでも。お願い……キース様!)