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第47話 怖かったです

「クラリス!!」

『クラリス!!』

「キース様⁉」

 耳元への声と同時に、開け放たれた扉に現れた逆光の影の中からクラリスの名前が呼ばれた。

 クラリスは待ち望んでいた声に向かい反射的に名前を呼び返す。

 ウォオオーン! という〝狼〟の遠吠えと共にキースは半地下の階段を一足飛びに下りると、クラリスへ一気に駆け寄り手を取った。

「大丈夫ですか? ケガはありませんか?」

「キース様……ああ、本当に? 本当に来てくださったのですね」

 嬉しさに感情が高ぶり、クラリスの瞳から耐えきれずにほろりと涙がこぼれ落ちる。

 キースの顔を見て、二日間も監禁されていたことへの緊張が解けたのだろう。謝る必要など何もないのに「すみません」と言って目をこするクラリス。

 キースはそんなクラリスがいじらしく、思わず彼女の体を抱きしめた。

「……⁉ あの、キース、様……」

「無事で、よかった……」

 キースの心から安堵する声。そしてギュッと痛みを感じるほど強く抱きしめられると、冷たくなりかけていたクラリスの心が温かさを取り戻していく。

(恥ずかしい……でも、嬉しい……)

 ようやく。この冷たい、心が凍ってしまいそうな場所で息ができる。

 クラリスはもっとキースを感じたくて、彼の背中に腕を回して胸に顔を埋めた。

 大きく息を吸い込むと、キースから日だまりのようなにおいがした。

 そしてキースの胸が激しく鼓動しているのがわかる。

「……ック。クラリス、嬢」

「はい……」

 クラリスから思いがけずハグを返されて驚いたキースはほんの少し腕の力を緩めてクラリスの顔を窺う。するとルバック伯爵邸へ来てからずっと張り詰めていた気持ちが緩んだクラリスは心からホッとした顔をキースへと向けていた。

 潤んだ瞳に上気した頬。そこから匂い立つクラリスの香りに、キースは一瞬我を忘れそうになった。

 このまま首筋に顔を埋めて甘噛みしたい。好きだと告白して、そしてクラリスの唇へと……。

 ゾクゾクと背筋を駆け上がる欲にのまれそうになったキース。

「……怖かった、です」

 しかし、震える声で呟いたクラリスの声に我に返った。

「だから、キース様に助けに来てもらえて本当に、よかった」

 微かに震える体と声。クラリスは少なくとも昨夜からこんなにも粗末な半地下に監禁されていたのだ。自分の気持ちだけを押し付けてはいけない。

 キースはクラリスを抱きしめる腕をほどき、優しく肩を抱く。クラリスに大きな傷はなさそうだと、無事も確認できた。

 そのままずっと二人の世界に浸っていたいと思ったが、そういうわけにもいかなかった。

「あー……コホン。中隊長殿、救助にきてくださり感謝をいたします」

 突然閉じ込められていた扉が開き、そこから飛び込んできた何かに驚き身動きできなかったルバック伯爵たちだが、その人物が以前出会った騎士団中隊長だと気がつき急に慌てて声をかけてきた。 

「本当に助かりました。……が、その、クラリスとはどういった……」

 関係を問われる前にキースが視線でルバック伯爵たちを威圧する。

 ようやくクラリスに出会えたばかりで、まだ自分の気持ちも直接告げてはいないのに、なぜお前たちに言わなくてはならないのか。そんな気持ちがだだ漏れに漏れた。

 氷のように鋭く怒りに満ちたその瞳に、彼らは慌てて口をつぐみ逃げるようにずりずりと後ろへ下がっていく。

「あの、キース様……?」

 あらためてクラリスへと顔を向けると、先ほどまでの冷たい空気は嘘のように温かで柔らかなものになっている。

「自分も、怖かったです」

「え……?」

「貴女が送ってきた〝ベル〟から聞こえた声があまりにもか細く、この身が千切れそうなほど不安で胸が掻きむしられました」

 キースは自分の気持ちを思い出しながら噛みしめるように伝えていく。

「ですから、貴女に何かある前に間に合うことができてよかった」

 クラリスの髪を一房手に取ると、キースはそっと唇に当てて言った。

「——自分を呼んでくれてありがとうございます。クラリス嬢」

 キースの言葉に、クラリスは毛先まで神経が通っているかのような気持ちで震える。

 お互い何も言っていないのに、同じ気持ちでいるのだということがわかる。

「……あの」

 どちらともなく声を出そうとした時、階段の真下に立つ〝狼〟のうなり声が聞こえた。

「よせ! おい、こいつを早くどかさないか!」

「ちょ、通して! う、わああ」

「いや、フランク! 待って、怖いわ!」

 いつの間にかこの半地下から逃げようとしていたルバック伯爵たちが、どうやら階段を前にして〝狼〟の威嚇に阻まれていたようだ。

 助けにきたキースを放っておいて我先にと逃げようとする姿には呆れるしかない。

「お父様たち……なぜそんなところに」

 クラリスはなんとも言えない恥ずかしそうな表情を浮かべる。

 キースはルバック伯爵たちの姿に呆れながらも声には出さず注意をうながした。

「外にはまだあなた方を監禁した仲間がいるかもしれません。もう少しの間こちらで待機していたらいかがですか」

 彼らとここで一緒にいたいわけではないが、キースは騎士団の中隊長としての責任もある。それらしく接するも、クラリスの家族やフランクたちはぎゃあぎゃあと文句だけを返してくる。

 いくらクラリスの家族といえども彼女に恥をかかせるだけの存在について、いい加減キースは苛立ちを隠せなくなってきたところでイグノーから〝狼〟を通して制圧完了の連絡が入った。

『わっはっはっはっ! 外にいたヤツらはとっ捕まえて縛り上げておいたぞ。ひい、ふうっと、全部で二十だ。お前の〝狼〟が上手く俺のとこへ誘導してくれたおかげで楽だった』

「そうか。自分の方は一人が応接室で大火傷だ。だが……」

『あー。そいつは仕方がねえ。だがどっちにしてもいったんは片が付いた。そうだろ?』

 それを聞き、クラリスへと目を向ける。イグノーからの言葉はクラリスには聞こえないため、軽く首を捻っている。その仕草がキースには愛おしくて仕方がない。

「ああ。とりあえずはクラリス嬢の無事に感謝しよう」

 そう言ってキースはクラリスの頭をそっと撫でた。

 イグノーからの連絡で、ルバック邸内の安全確保が伝えられた。使用人たち全員も二階の一室に集められていたのを発見したという。

 使用人の無事を伝え、順番に階段を上がるようすすめると、ルバック伯爵たちは足をつんのめりさせながら上っていく。

 そして執事の名や侍女を呼んで「応接室にお茶を持ってこい」と怒鳴っていた。

 伯爵たちの浅ましい姿を見ていると『アリアテーゼ王国貴族としての、高貴たるものの献身の精神とは?』と思わずにはいられない。

 落ち着きを取り戻したクラリスとキース、同じことを考えたのか互いに顔を見合わせて小さく笑っていると「ぃぎゃぁああーっ!」と、半地下まで届くほどの大きな叫び声が響いた。

「そういえば、あの貴族のような格好の男を応接室に放っておいたままだったな」

 両腕に大火傷を負い、ひっくり返っている男の姿には、さぞかし驚かされただろう。普通の貴族であればまず見ることのない光景だ。

 キースが今思い出したとこぼしたのをクラリスは聞き逃さなかった。

「キース様、その方は恰幅の良い、三十代後半くらいの男性でしょうか? 仕立ての良い服を着ていらした」

「そうです。今回の主犯格の一人らしく、応接室にいた者です」

「まあ。その方はノーマン子爵です。王都で商会長を務めていて、〝お護り様〟を売ってほしいと言ってこられた方で、フランク様が連れていらっしゃったのだとか」

「ノーマン子爵ですか? 家名に聞き覚えがあります……が」

 キースの記憶ではノーマン子爵は六十代初老、でっぷりとした脂ぎった男だと聞いている。どう考えてもあの男の外見とは一致しない。

「クラリス嬢、今からイグノーを呼んで来ます。少しの間彼と別室で待っていてくださいますか。その間に自分が話を聞いてきますので」

 あの火傷の姿をクラリスに見せるのはためらわれる。しかしキースの提案にクラリスは首を振った。

「酷い火傷を負っているのでしょう? それならば私が薬を用意しますので手当の方を先にした方がいいと思います」

「そんな、クラリス嬢がそこまでしなくても」

「いいえ、大丈夫です。それに……」

「それに?」

「キース様の魔法が原因でもしものことがあったなら……そちらの方が、私は嫌なのです」

 ギュッと拳を握り、真剣な瞳でキースを見つめる姿に、つい自分の元へ走ってきた〝子リス〟を重ねてしまう。

 こんな時に、その姿が可愛い。とは言えずに、キースは口元に手を置き黙って頷いた。


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