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第49話 ビアンカの魅了魔法

「あれは、あれがなければ、ビアンカのためのドレスも宝石も、全部全部買ってあげられないじゃないか! あんな物置の荷物なんて売ったところで二束三文だった! もっと金がなければ借りた金が……減らない!」

「フランク様……」

「だから、あんな女の大嘘に乗って、クラリスを追い出して、お護りとかいう木を売り払おうと思ったのに。全部、台なしだ……もう、全部……」

 キースが剣の柄を握りクラリスの前に出る。しかしフランクの視線はもうクラリスではなくビアンカの方へ移っていた。

「ビアンカ、こっちへおいで。ねえ。僕ら婚約者だろう?」

 ふらふらと揺れながら動くフランクを、気味悪そうに見つめるビアンカ。

「え……嫌よ」

「はあ?」

 なぜかクラリスたちの方へチラリと視線を向けたビアンカ。

「だって、フランク。あなたが無理やり私のことを婚約者にするって言い出しただけじゃない」

 口元を手で覆いながら身をくねらせて言った。

 今までの蜜月っぷりなどなかったかのようなビアンカの拒絶に時が止まった気がした。フーフーと、フランクの吐く息だけが耳につく。

「ふざけるなぁああ! 君が、僕と、結婚したいとっ!」

 君が、君が! と、叫びながらビアンカへと飛びかかりそうになった瞬間、飛び出したイグノーの蹴りがフランクの腹に入った。

「ふざけてんのはてめえだろう」

 壁にまで吹き飛んだフランクはそのままひっくり返り完全に失神してしまった。

 どうやらフランクはルバック伯爵家の資財にまで手を出したうえ、ルバックの名で借金までしていたようだ。

 それもこれもビアンカの欲しがるものを手に入れるために使用していたというのだから、どれほどのものをビアンカはフランクへとねだっていたのだろうか。

 さすがにビアンカに甘い両親たちでさえそこまでは無尽蔵に金を使わなかったというのに。

 けれどもこれすらもフランクのせいだけとは思えない。

〝魅了魔法〟確かにピトーネはそう言った。ビアンカが魅了魔法を無意識に使っている、と。

 だから、だったのだろうか。

 クラリスは拘束されたフランクと、怖かったと両親に泣きつき甘えるビアンカを見比べて、なんともいえない気持ちになった。


 正面フロアに拘束した全員を集めたところで、ブラックラー辺境伯家から警備兵が遣わされてきた。王都から騎士団を派遣するには時間がかかりすぎてしまうため、あらかじめキースの〝狼〟を送り、兵を要請していたそうだ。

「ブリオール子息には、逃げた獣人の女との関係を全て話してもらわなければなりません」

 キースの一声で、ザックたち一味とフランクを合わせた二十二人を、辺境伯の警備兵へと引き渡し、イグノーと共に王都への護送を頼む。そうして裁判にかけるのだという。

 正面玄関でイグノーたちがフランクらを連行するのを見送りながら、クラリスがぼそりと呟いた。

「……酷い罪になるのでしょうか?」

「貴族の邸を占拠し当主を監禁したのですからそれなりにはなるでしょうね。ブリオール子息に関しては詐欺と偽証が適用されますが、貴族同士の諍いですから」

 キースの中ではフランクがクラリスへとしでかしたことこそ万死に値する罪だと思っているが、きっとそうはならないだろう。

 おそらく貴族間の取引がおこなわれる。ブリオール伯爵家からの慰謝料でルバック伯爵家もしばらくは体面が保たれるほどには潤うだろう。

 そうなればルバック伯爵家の者たちがクラリスへとすがりついてくることもない。

 もう、クラリスには二度とルバック伯爵家の事情に振り回されてほしくないと思う。そして、これからはずっと自分の隣にいてほしい。

 そう考えたキースはクラリスの柔らかな髪をそっと指に絡ませる。

「あの、先ほどの続きを伝えても……?」

「……はい。私も……あの、キース様に伝えたいことがあります」

 キースの言いたいことがすぐにわかった。

 クラリスもきちんと自分の言葉で伝えたい。

 ——キースのことが好きなのだ、と。

 クラリスは、スカートの裾をギュッと握りしめた。そして、ハッと気がついてしまった。

 自分が今とんでもなくみっともない格好をしているということに。

「あっ……」

(あ、あ、あ……どう、しましょう。私、二日以上も、着替えもしていないし。こんな、物置のにおい、まで……)

 キースに抱きしめられた時は気がつかなかった。あまりにも興奮していたため、自分の姿の酷さには全く。

 しかし一度落ち着いてしまえば、気になって仕方がない。

 生まれて初めて好きな人にする告白が、こんな人前に出ることすらはばかられるような格好でするだなんて。

(どうしましょう。キース様はこんなにも素敵でキラキラと輝くようなお姿なのに、私はこんなにもみっともない格好で……恥ずかしい)

 キースの差し出した手を取ることもできず、一歩後ろに引いてしまった。

「クラリス嬢……?」

 クラリスの様子にキースも心配そうにうかがっている。

 いざという時になって及び腰になってしまう自分が嫌になる。どうしよう、と考えていると、いつの間にか新しいドレスに着替えたビアンカが「お姉様!」と嬉しげに声をかけてクラリスの腕を掴んだ。

 フリルとリボンで飾られ、ピンクのグラデーションが美しいふんわりとしたドレスを身に着けたビアンカはとても愛らしい。金色に近い髪をふわふわとなびかせて白い肌によく似合う淡い口紅をつけている。

 着の身着のまま、髪も梳かすことができなかったクラリスとは大違いだった。

(やっぱり、どんなときでもこの子は可愛らしいのね。……私と違って)

 間違っているとは思っていても、やはりビアンカと比べてしまうと自分がダメな娘だと感じてしまう。

 ビアンカ自身もそれが当然のように振る舞ってくる。

「お姉様もご無事でよかったわ。フランクはあんなことになってしまったけれども、今思えばお姉様があんな方と縁づくことにならなくて私もホッとしました」

「え、いえ。ビアンカ、あなたの婚約者だったのでしょう、フランク様は」

「まあ! そんなこと、あるわけがありませんわ。あんな婚約破棄などフランクが勝手に言っていただけですもの」

 まさか、いくらなんでもここまで厚顔無恥なことを言い出すとは、とクラリスは呆気に取られてしまった。

 フランクの意図がどうであれ、クラリスとの婚約を破棄し新たにビアンカと婚約を結び直すことはルバック伯爵があの場で認めていた。ビアンカ本人も申し入れを受け入れていたではないか。

 それはクラリスだけでない、あの場にいたキースも当然ながら知っていた。

 ビアンカの言い草にクラリスとキースは顔を見合わせる。キースは呆れを通り越して無表情になってしまっている。

 そんなキースに向かい、ビアンカは愁いを帯びたように睫を伏せた。

「あの……キース様はその若さで騎士団の中隊長なんですよね。本当に今日は私どもを助けていただきありがとうございました。私、本当に怖かったんです」

 そう言うとクラリスの腕から手を離し、キースへとしなだれかかる。

 が、キースは無表情のままするりと体を動かしてビアンカを避けた。

「きゃ!」

「危ない!」

 つんのめって倒れそうになるところをクラリスが腕を掴む。まさかキースが避けるとは思っていなかったため、予想以上に強く掴んでしまった。

 ビアンカは「痛いわ、お姉様。酷い……謝って」と半泣きでクラリスを貶める。

 おかげでキースの無表情の仮面が剥げ落ち、明確な怒りと侮蔑の表情へと変わった。

「私は助けただけよ、ビアンカ。それよりもいったい何の用かしら?」


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