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第50話 心も牙もあなたのもの

 ビアンカの自分勝手な言葉を聞けば聞くほど、だんだんとクラリスも自分を取り戻していく。

 ビアンカはクラリスが自分の言うことを聞いてくれないことに驚きながらも、キースを優先したのか、彼の顔を見てはポッと頬を赤らめて微笑んだ。

(ああ、そうなのね。ビアンカはキース様のことが気になっているからあんな真似を)

 ビアンカの思惑をさとり、クラリスは納得しながらもなんだかもやもやとした気持ちになる。

 キースのことを信用していないわけではないけれど、それでもあからさまに彼の気を引こうとする行動はこうも嫌な気分にさせられるのか。

(それにビアンカには魅了魔法もあるようだし……)

 初めて感じる嫉妬という気持ちに、クラリスはなんだか落ち着かない。

 そんなクラリスの様子を見ながらビアンカは勝ち誇ったように笑みを見せる。

「何の用って……お姉様。わかるでしょう? フランクもあんなことになってしまったし、ほら。私たちもしっかりとしたお相手を見つけなくっちゃ。だから、ね」

 片手で口元を隠し、まるで内緒話をするようにクラリスの耳元で言う。

「キース様を私に譲ってちょうだい。いいでしょう? お姉様」

 まるでそれが正しいことをしているかのように自信満々で語るビアンカの顔は、可愛らしいのになぜかとても醜く感じてしまった。

 たとえどれだけ声を抑えていても、半獣人ハーフであるキースは耳がいいからビアンカの声は当然聞こえているはず。

 どうやらキースにはビアンカの魅了魔法は全く効いていないようで、キースの銀髪が逆立ち怒りに震えている。

 クラリスを蔑ろにされキース自身も侮辱されているも同然だから怒るのも当然だろう。

 拳から爪が見え隠れするほど怒っているのに、それでもクラリスのためを思い黙っていてくれるキースにこれ以上我慢させてはいけない。

 クラリスはビアンカの前に立ちゆっくりと手を上げる。

 ビアンカはいつもの通り彼女の手を取り「わかったわ」と言ってくれるのを待った。

 それがクラリスという姉。ビアンカのためのそういう生き物なのだ。

 可愛いビアンカ、可憐なビアンカ。きっと誰もが私の言うことを聞いてくれる。

 とびきりの笑顔を見せれば絶対キースもビアンカに魅了される。だって、そういう魔法を生まれた時から身に着けていたのだから!

 にっこりと笑ったビアンカの両頬に、突然バシッと頬を叩かれた衝撃が走る。

「え……? あっ、痛いぃ! ちょっと、お姉様、何をするの⁉」

 クラリスの両手がビアンカの頬を思い切り叩いたのだと理解したのは、痛みが通り過ぎクラリスがその手を離した時だった。

「キース様は物ではないの。だから譲るとかふざけたことを言わないでちょうだい」

「な、何を言っているの⁉ だから、違うの。紹介してちょうだいってことよ。当たり前でしょう?」

 キースの方をちらりと視線を向けてから言い訳する。しかしそれだってお断りだ。

 クラリスはふうっと息を吐きお腹に力を入れる。

 そしてキースの青い瞳を見つめながらはっきりと宣言した。

「誰が何と言おうとも、ずっと隣にいてほしい、たった一人の人です。

 ——好き、です。キース様。あなたと一緒にいてもいいですか?」

「クラリス嬢……勿論です……!」

 まさかクラリスから告白されるとは思わなかった。

 キースが歓喜に震えながらクラリスの髪から頬に手を這わす。とても大事な宝物を扱うように、優しく。

「クラリス嬢……クラリス。——愛しています。一緒に、いてくれますか?」

 キースの言葉に頷いたクラリス。

 そしてゆっくりと唇が重なった。

 初めての口づけは軽く唇が触れあっただけのものだが、それでもじゅうぶんなほどに甘く痺れるような感覚に溺れそうになる。

 唇が離れても蕩けるような瞳で額を合わせ、見つめ合う。自然と微笑みが零れ世界に花が咲き乱れる。

 いつの間にかキースからの呼び名が「クラリス嬢」から「クラリス」へと変わり、何度も耳元で呼ばれる度に満ちあふれた気持ちになる。

 そんな幸せを分かち合う二人の世界の横で、全くいないものとされていたビアンカは顔を真っ赤にしながら恥をかかされたと憤り突然「何よ、何よ!」と地面を蹴り飛ばして砂をかけた。

「ビアンカ、あなた……」

「いいじゃないの。キース様だって伯爵家に入れるのなら出世したも同然じゃない。せっかくそんなに見目がいいのに、どうしてお姉様みたいなつまらない人を選ぶのよ!」

 知らないということは恐ろしいもので、公爵家の養子であるキースのことをたかが騎士などと大声で吐き捨てた。さらに顔が良いからという理由で選んだのだと。

 その言動がすでにキースを侮っている証拠なのだが、ビアンカ自身はそれに何も気がついていない。

「ビアンカ。お願いだからそれ以上キース様に失礼なことを言わないで」

「は? 私が選んであげたのに? なんで? お姉様ばっかりずるいわ。ずるい、ずるい!」

 ずるい、ずるいと、自分勝手なわがままを言い出す姿はまるで幼児の癇癪だ。

 呆れたキースが肩を竦めビアンカの前に立つ。すると、ケロッと機嫌を直して手を差し出してくる。

「キース様! やっぱり、私の方がいいのでしょう? 皆、そうな……」

 しかしキースはそれを無視した。そして口の端に指を当て、グイッと引っ張り牙を見せる。

 鋭く尖ったキースの白い牙がギラリと光った。

「悪いが自分の心も牙も、全てがクラリスのものです」

「…………はぁ?」

「それ以外は歯牙にもかからない。かけるつもりもない」

「何、それ? 牙? 獣人? は……何なのよ、ちょっと!」

 うるさく騒ぎ立てるビアンカに、いつの間にか側に来ていた〝狼〟が牙を見せて唸り声を上げた。

「ヒッ!」

 その声に驚いた拍子にビアンカは尻餅をついた。

 そして、グルゥヴ。と、追い打ちをかける〝狼〟の唸り声にあわあわと立ち上がると、「いやぁあ!」と叫びながらピンクのドレスを泥まみれにして邸内へと逃げていってしまった。

「少し、脅かしすぎたでしょうか?」

 キースの言葉に、クラリスは首を振る。

 反省の色もないビアンカは、きっと自分が悪いなどとは夢にも思わないだろう。だからあの程度では脅しにもならないはずだ。

 けれどもクラリスは胸がスッとしていた。

 キースがビアンカには目もくれず、ただクラリスだけを好きだと言ってくれたから。

 クラリスはキースの腕を取り、恥ずかしそうに下を向きながらこっそりと告げる。

「キース様こそ、心も牙も私のものだと言ってくださったのは、言い過ぎではありませんか?」

 獣人の甘噛みは求婚行動。その牙を捧げるというのだ。

 心が繋がった今だからこそ、クラリスはその次を想像してしまう。

「……だったら、もう。私以外には、誰も、歯牙にもかけないでくださいね」

 許しませんから、と耳から首の後ろまで真っ赤にしながら伝える。

 そんなクラリスのいじらしい姿に、とうとうキースの理性の限界が超えてしまった。

「きゃ、キース様!」

 キースはクラリスをギュッと抱きしめると、首をぺろりと舌で舐める。そしてそのままクラリスの首を優しく甘噛みし始めた。

 クラリスから立ちのぼる香りにうっとりと溺れながら何度も歯を立てる。

「好きです、クラリス。愛しています」

 甘噛みしながらの愛の告白にクラリスの耳が痺れて蕩けそうだ。

「……キ、キース様! もうっ、ダメですよ、こんなところで……」

 言葉ではダメと言っていても、クラリスの気持ちは全く怒っていない。ただただ恥ずかしくて足に力が入らなくなっているだけ。

 クラリスはもう立っているのも限界だというところで、キースは甘噛みを止めてクラリスを抱き上げた。

「キース様……?」

「さあ、クラリス。帰りましょう」

 どこへ、なんて尋ねる必要はない。クラリスは頷いて答えた。

「はい。キース様」

 クラリスの帰る場所はキースと共にある。

(〝お護り様〟のことは気になるけれども、もうここは私の場所ではないわ)

 今までの自分に決別するように一度だけルバック伯爵邸を振り返ると、クラリスはすぐにキースへと視線を移す。

 キースの青い瞳の中に、キラキラと新しい世界に目を輝かす自分を見つけた。

 きっと幸せになる。——キースと共に。

 そうクラリスは心に決めて前を向いた。


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