「……お祖母様!」
「誕生パーティー以来ね、元気にしていたのかしら?」
クラリスを呼んだのは彼女の母方の祖母である、先代リバリュー子爵夫人のサンドラだった。
サンドラの誕生パーティーへキースと共に参加したものの、彼をバカにしてきた招待客と言い争いになり、挨拶もせずにそのパーティーを退出してしまったことを思い出す。
(……そういえば謝罪の手紙を一度送ったままだったわ)
「あ、はい。お久しぶりです。お祖母様もご健勝のようで何よりです」
街中でも一番と言っていいほど賑わっている屋台の側、侍女を付き添わせながらとはいえ歩いて散策をしているのだから祖母の年齢ならばたいそう元気な方だろう。
「ええ。元気でしてよ。それも、あなたのその大きなお口を見るまではね」
その元気な口からちくりと刺すような嫌みが痛い。
(ああ、どうしましょう。まさかこんな賑やかな場所でお祖母様と出会ってしまうなんて考えてもみなかった)
「あの……お祖母様はどうしてこちらへ?」
「おやまあ。ここは王都一の商店が並ぶ通りなのだから誰が通ろうと問題はないはずだよ」
「……いいえ。その、いえ。全く」
確かにサンドラの言うことに間違いはない。
しかしサンドラはクラリスのエスコートが騎士団員のキースだったことに気分を害するほどには、老齢の貴族らしい高い矜持を持つ貴族夫人だ。
そんなサンドラが、馬車で通り過ぎるでもなく、庶民で賑わう街中を歩いて散策するなど想像もしていなかった。
正直、サンドラの真っ白なレースの日傘が場違いなほど眩しく見える。
クラリスが何と言えばいいのかもじもじしていると、今まで黙って隣に座っていたキースがスッと立ち上がった。
「お久しぶりです、リバリュー夫人。騎士団のキースです。立ち話もなんですので、もしよろしければお座りになりませんか?」
キースはジャケットからハンカチを取り出すとベンチの上にそっと広げた。
サンドラはチラリとそれを一瞥してから、今まで敢えて向けなかったキースの顔を見て、何か言いたげに小さくため息を吐く。それからつっと道向こうを指さして言った。
「いいわ、クラリス。ちょうどあなたと話したいことがあったの。あちらで少しお茶をいたしましょう。よろしければレジエンダ公爵子息もご一緒に」
サンドラについて入ったティールームはなかなかに豪華な内装で、客層も中流以上をターゲットにした店だった。そこで店内に入ると同時にオープンなフロアではなく奥まった個室へと通された。
「え? お祖母様、あの、これは?」
「いいから。ついていらっしゃい」
クラリスは少し驚いたが、サンドラもキースでさえも当然な顔をしている。
言うとおりにテーブルに着くとお茶と菓子が並べられ、給仕の者と一緒にサンドラの侍女も個室から出ていってしまった。
茶器を持ち上げ、サンドラはお茶の香りをゆっくりと嗅ぐ。そうして静かに口を開いた。
「さて、子爵家の私から口を出して申し訳ありません。無礼と言わずに老い先短い老女のこととしてお許しくださいな。レジエンダ公爵子息」
「老い先短いなど。クラリスのお祖母様なのですから、長生きをしていただかないと。それから、自分のことはキースと呼んでいただければ」
「まあ。お優しいことね。公爵家の方にこれほど気を配っていただけるだなんて考えてもみませんでしたわ」
サンドラがレジエンダ公爵子息と呼んだことに対して、キースはさらりと返す。
自身の誕生パーティーでの出来事だっただけに、サンドラはキースが公爵家の養子だということは知っていた。だからサンドラがキースのことをそう呼ぶのは何ら間違ったことではないし、むしろ貴族としては当然なことなのだがどうも様子がおかしい。
お互い気をつかっているようで、どことなく牽制をし合っているような微妙な雰囲気を感じる。
クラリスはピシピシと張り詰めるような空気をなんとかしようと声をかけた。
「お祖母様……あの、私にお話とはいったいなんでしょうか?」
「あ、ああ。そうだったわね。そう、ね」
クラリスの問いに、サンドラは急に口ごもりながらチラリとキースの方を窺う素振りを見せた。
給仕だけでなく自分の侍女まで下げたのだ。なんとなくサンドラの聞きたいことがわかったような気がする。
「お祖母様、お母様たちのお話ならばこのままで大丈夫ですよ。キース様が私たちを助けてくださったのですから、全部ご存じです」
クラリスの言葉に、サンドラはピクリと眉を動かした。そうして口元をナプキンで軽く拭った。
「では教えてくれるかしら、クラリス。ルバック領で何があったのかを。いろいろと噂でしか入ってこないものだから何が何だか本当にわからなくてね」
クラリスは一度軽く目を閉じる。隣に座っていたキースがクラリスの手をぎゅっと握った。手のひらから温かな力を与えられた気がした。
クラリスは真っ直ぐにサンドラの目を見てこれまで自身がされてきたこと、そしてそれにより何が起こったのかを話し始めた。
婚約者だったフランクから冤罪をかけられて一方的に婚約破棄をされた。それまでもずっとビアンカのためだけに身を粉にして尽くしてきたのに家族にも見捨てられた。
冤罪を晴らすために王都へ出てきたが、ルバック伯爵家の財政状況が悪化しているためシンボルツリー〝お護り様〟が売られてしまうことを聞きつけ、ルバック領へと戻ったところ詐欺の一味と鉢合わせして監禁されてしまったがキースに助けられて事なきを得た、と——。
〝お護り様〟が獣人を操ることのできる香木〝デプラ〟であるということは、アリアテーゼ王国上層部と騎士団でも限られた者にしか伝えられていないのでサンドラには敢えて話すことはしなかった。
それでもルバック伯爵家で起こったことを知るには十分だ。
クラリスの話を一通り聞いたサンドラは大きく息を吐くと、こめかみを軽く押さえた。
「……ルバック伯爵は、本当に何をしているのかしら? あの子もいったいどうしたということなの? いくら伯爵の言いなりとはいえ、その程度のこと少し考えればわかるでしょうに」
いまいましいと言うようにルバック伯爵をなじるサンドラ。あの子と呼ぶのは、娘でもありクラリスの母親でもあるマリエラのことだというのはすぐにわかる。
「詐欺に引っかかるなど、みっともない。やはり田舎貴族はダメね」
いくらルバック領がアリアテーゼ王国の端にある田舎領地といえども、さすがにリバリュー子爵家が伯爵家をバカにするのはどうだろうか。
「お祖母様、何もそこまで言わなくても」
「いいえ。何の落ち度もない総領娘のあなたとの婚約を破棄したブリオール伯爵令息を、ビアンカの婚約者に据えるなどという浅はかな真似をしたのだからこの程度の嘲笑は甘んじて受けるべきでしょうよ」
「それに関しては同感です」
「キース様まで!」
強い口調のサンドラに同調するようにキースが静かに答える。
サンドラは扇子を開くと口元を隠し、何かを思案し始めた。なんとも居心地の悪い沈黙が続く。
そんな空気を取り払おうと、クラリスが「お祖母様……」と声をかけかけた時、サンドラはいきなり扇子をパタンと閉じるとクラリスへとその先を向けた。
そしてはっきりとした声で告げる。
「クラリス、あなたリ