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第53話 宝石の花

「は? え、いえ。お祖母様、突然何を……⁉」

「あら、ちゃんと聞こえたのでしょう。あんなルバック伯爵など見切りを付けてリバリュー子爵家の養女になりなさいと言ったのよ」

(よ、養女って、どういうこと⁉)

 突然のサンドラの提案に驚き、何が何だかわからなくなるクラリス。思わずテーブルを叩いてしまい、ガチャンと茶器が音を立ててしまった。

 それを不快そうに見つめるサンドラだが、それ以上に眉間に皺が寄り不機嫌な顔になったのがキースだった。

「い、いきなりそんなことを言われましても。私一人の一存では……」

 あの婚約破棄の騒動で見捨てられるように追い出された時も、そしてキースと共に王都で暮らしていくことを選んだ今でさえ、実際のところクラリスの籍は未だにずっとルバック伯爵家にある。

 当然のことだが本来ならば貴族の令嬢は当主の許可なく居を動かすことはできない。

 しかし今はルバック伯爵家には貴族監禁事件の捜査という名目で(実際はデプラの保全のため)騎士団が常駐監視している、いわば謹慎状態だ。そんな状況でクラリスのことまで気にかけている余裕がない。

 現状クラリスは、危険薬草栽培者摘発の功労賞と騎士団での魔法薬とポーション作成の契約書を建前にして騎士団本部に居座っているのも同然なのだった。

「私はあなたの祖母なのだから、家へくることに問題はないわ。どうせ遅かれ早かれルバック伯爵家は立ちゆかなくなるだろうから、その時になっては遅いのよ」

「そんな……父も母もまだまだ健在ですし、それにビアンカもいます」

 たとえルバック伯爵家が借金まみれであっても、少なくとも当主である伯爵の体がきかないわけではない。慎ましく生活をしていけば領内から入る収入だけでも十分にやっていけるはずだ。

「そのビアンカが、あなたを捨てたブリオール伯爵令息と一緒になってルバック領を盛り立てていけるのかしら? クラリス、あなた本当にそう思うの?」

 サンドラの問いに、グッと喉が詰まる。

 おおっぴらになってはいないがフランクはあの監禁事件の後、犯人たちと一緒に王都へと護送された。そして牢に繋がれ取り調べを受けたのだ。

 いくら特権階級にいる貴族といえども同じ貴族相手に詐欺と監禁事件を起こしてしまえば庇いようがない。しかも表だって言えないが、獣人を操ることのできるデプラの木が犯人一味の目的だったということがわかってしまった今となっては、フランクをそそのかした女がどこの誰かをつきとめるべきだという意見で一致した。

 そのためにそうそう簡単に釈放できるものではなくなってしまった。

 ブリオール伯爵が何度も減免を嘆願しているようだが、いまだ取り調べの最中ということでもうしばらくは拘束が解かれる様子はないようだ。

 ただあの日の乱心が嘘のようにおとなしくなったフランクは、今は取り調べには素直に応じているらしいので、全てが終われば何かしらの取引をもって釈放されるだろうとキースがクラリスに教えてくれた。

(でも、あのビアンカが素直にフランクを受け入れるかどうかはわからないわ……)

 フランクをいらないものとしてあっさりと捨てた後、臆面もなくキースを寄越せと言ったビアンカのことだ。すでに眼中にはないのかもしれない

 ブリオール伯爵からしても、息子を狂わせたルバック伯爵家は疫病神のようなものだろうから釈放されたからといって婿に出してくれる可能性も少ない。

 ブリオール伯爵はともかく、フランクを溺愛している夫人が頑として受け入れることはないだろう。

 ただ、それでもビアンカには持って生まれた美貌と庇護したくなるような愛らしさがある。そのうえ魅了魔法という、ビアンカの魅力をいっそう引き出す魔法も。

(ビアンカがその気になったのならお相手もすぐに見つかるのではないかしら?)

 それがいいことなのかはわからないが、少なくとも領地持ちの伯爵家の若く美しい令嬢ならば引く手あまたではないのか。

 クラリスのその考えを見透かしたようにサンドラは冷ややかに言い放った。

「言っておきますけどね、姉の婚約者を奪い取るだなんてそれだけで十分な醜聞なの。〝宝石の花〟が咲くような土壌でもない領地に、まともな婿が来るとは思えないわね」

「……宝石の、花? あの、お祖母様。他の領地ではそのような花が咲いているのでしょうか?」

「は?」

「どのような花なのでしょう。色と、形は? それからいったいどういった条件下で咲くことができるのですか? 土壌改良が進められれば咲かせることができるのかしら?」

 初めて聞く花の種類に、クラリスが矢継ぎ早に尋ねる。

 まさか自分の見たことも聞いたこともない花が咲くことが良い領地である証明になるのかと、本気で思ったからだ。

 そんなクラリスの問いに、サンドラは目を丸くして呆気に取られたような顔をする。初めて見る祖母の取り澄ましていない表情に、クラリスは、「え?」と思いがけずに声をあげた。

 キースに至っては我慢できずに笑いが漏れ出てしまい、それをごまかすように慌ててクラリスへと説明をした。

「……ん。クラリス、〝宝石の花〟とは、最高の淑女の比喩のことです。外見の美しさだけでなく、その立ち振る舞いから社交界での立ち位置、全てを兼ね備えた者に贈られる二つ名のようなものです」

「あ、そ、そうなのですね……嫌だわ。私、知らなくて、てっきり……」

 全くの勘違いをしていたことが恥ずかしくなる。社交界で当たり前とされている比喩を知らなかったこともそうだが、自分の知らない花に対してつい好奇心が勝ってしまったことに対しても。

 キースはそんなクラリスがいかにも可愛らしいといったように、髪を一房摘まむとそこへ軽く唇を当てる。

「ちょ、ちょっと、キース様……!」

 サンドラの前でこんな恥ずかしいことをと、クラリスが顔を真っ赤にしながらキースを押さえる。サンドラはそんな二人の姿を見て見ぬ振りをしながら扇子をあらためて開くと口元を隠しながらふうっと息を吐いた。

「こんなことも知らないのだなんて……。いいえ、やはりマリエラたちが悪いのでしょうね。私が何度クラリスを王都に呼ぶように言っても、一度も来させないどころか社交界デビューもさせなかったのだから」

「お祖母様……」

 幼少期に一、二度会ったことがあるだけで、ほとんど没交渉だった孫のことなど、誕生パーティーへ参加するまで忘れていたのではないかと思っていた。

 しかし今の言葉を聞く限りでは、サンドラはクラリスのことを忘れるどころかずっと気にかけていてくれたらしい。

 今まで家族からはいいように使われるだけだったのに。クラリスはそれだけで、胸がじわりと温かくなる気がした。

「だから、いい機会だわ。この際だからリバリュー家にいらっしゃい。私が一から社交マナーを教えてあげましょう。そしてリバリュー子爵家が後見となって、クラリス——あなたにふさわしい貴族の元へ嫁がせることを約束するわ」


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