重い目蓋を開ければ、一番に目に入ったのは雪よりは冷たくない、硬い石畳だった。
身体の感覚は元に戻っている様で力は入る。皮膚に刺すような痛みを感じながら身体を起こそうと身を捻り、そこで自分の身体が拘束されている事に気付く。
「お? 起きたか……ってクソガキの方かよッ!」
「俺の勝ちだな。サッサと渡しな」
視線を上にズラせば、格子状になった檻があった。その向こう側に男が二人、机を間に置いて椅子に座っていた。
一人は自分達を連れて来たであろう体格の細い男、もう一人は逆にガタイの良い野性味溢れる男だった。
檻の中には先程パンをくれたであろう白髪の少女が壁際に倒れ込んでいる。
細身の男がもうガタイの良い男へと硬貨を投げ渡す。自分達がどちらが先に起きるか、賭けていたらしい。
「此処は何処だ?…………おい!」
問い掛けるが無視され、少し声を荒げる。
すると、男達は反応して改めて自分の顔を見た途端、目の色を変えた。
「おいおい……こいつオッドアイじゃねぇか」
「ん? おぉ! マジか! 寒い中連れて来ただけはあったぜ!!」
最初にオッドアイだと気付いた一人の男の視線は、自分の身体を値踏みする様にじっくりと動かされ、眉根を下げた。
「いや……本当の『魔王』だったらどうすんだよ?」
「あぁ? それって老害達が言う戯言の事か?」
「戯言って……それがそうでも無いらしいぜ? 魔王が現れたのは四十年前で、爺さん婆さんや両親に口を酸っぱくして教わったらしいぞ……『悪い事をしたら魔王に食べられちゃうぞ!』ってなぁ」
「ハッ、それは怖いッ!」
魔王の事に触れた男は、対面で肩を抱いて大袈裟に反応する男を見た後、「ま、今は関係ないか」と肩をすくめる。
「この臭いと傷だらけの身体じゃ、何かと価格は下げられるだろうぜ」
鼻をつまむガタイの良い男に、なるほどと一人納得する。『檻の中』『価値』、此処は恐らく人攫いの稼業なのだと。
あのパンには毒が盛られていてそれを貰った少女に、偶々それを貰った自分は、まんまと罠に巻き込まれたという訳だ。
こんな簡単な罠に引っ掛かった自分の情け無さに、思わず嘆息する。
「せめてこの拘束を解いてくれないか?」
「傷は、どうしようもねぇな。臭いは取り敢えず水でもぶっ掛けておくか」
「……まぁ、まだ元気が有り余ってるみたいだし、頼むわ」
此方の言い分が聞こえていないのか、細身の男は何の為に置かれているのか分からない、近くにあった水の溜まる木桶を持つと、檻の外から水をぶっ掛けて来る。
冷たい、氷水なのではないかと思われる程の液体が頭から足先まで綺麗に掛かる。
「よし。じゃあ賭けも終わったし、次に移動するか」
「面倒くせぇよなぁ、あと3つだっけか? 1つに纏めれば良いのによ……」
「ミズネ様が言うには変に希望を持たせねぇ為に少人数で管理するんだってよ。俺達の気苦労も知らねぇで」
「全くだ」
男達はさも当たり前の作業と言わんばかりに此方の方は確認する事なく、愚痴を垂れながら部屋から出て行った。
(ーー寒い)
それから数十分もしない内に、限界を迎えた。
外の様に風は吹かないものの底冷えとする檻の中、掛かった液体が来ていた服へと染み込み、それはこんな陽当たりも何も無い、寧ろ湿気っていては最悪数日は乾かないかもしれない。
(あぁ……あっけねぇ)
吐く息は真っ白で、上手く呼吸が出来ない。覚醒した筈の意識に、また重たい目蓋が下りてくる。
ここ数日まともな食事は摂れず、寒空の下で就寝。この子供の痩せ細った身体では、何も抵抗出来ない。
『武王』と呼ばれていたが、それは結局前世の話。
(『武王』なんて呼ばれてたんだ、もう十分。別にそこまで頑張らなくても……って!! んな訳ないだろッ!! 俺は世界一強くなるッ!! 絶対、絶対だッ!!)
精神だけは違った。
武王の鍛え上げられた精神は、少年の死のうとする気持ちに抗う。
自分は此処で野垂れ死んでしまう様な存在ではない、この世で最も強くなる存在なのだと、そう思ってもこのままでは死んでしまう。どうしようかと、思考を巡らせる中ーー。
「う……どこ?」
聞こえ、視界の隅。
壁際で倒れていた少女が目を覚ましたのか、霞んだ白髪が揺れる。
「……ぁ」
気付いて貰おうと声を出す。
しかし、あまりの寒さに口がかじかみ上手く喋る事が出来ない。
少女は周囲を確認する。
檻の中に居る事、身体を拘束されている事など混乱する状況下で、自分の存在へと気付く。
(助けてくれ!!)
「…………寒いの?」
自分の眼光と濡れている身体を見て理解したのか、問い掛けて来る少女に微かに動ける範囲で何回も頷く。
すると少女は少し逡巡した後に、芋虫の様に這って近づく。
目と鼻の先まで近づき、白髪の間から彼女の容姿が見て取れた。
そして、眉目の整った少女の真紅の瞳に思わず見惚れる。
触れる肌と肌。温める為だろうが、擦り寄せて来る少女に、身体が悲鳴を上げる。しかし、それと同時に温かさが段々と伝わって来る。
「……臭い」
段々と押し寄せる眠気に逆らえる事もなく、少し顔を顰め呻き声を上げる少女を横に気を失うのだった。