イカラムの真東に位置する小国『ディア』では、カラッと乾燥した空気が流れ、温暖で果物が出来やすい。しかし、イカラムを覆うラムサル山が湿潤な空気を遮断している為、国では幾度も水不足に陥っていた。
「今日は有能な者が居るか……」
そんな小国『ディア』の王子ゼラン・ド・ディアは、イカラム行きの揺れる馬車の中、薄らと雪深くなって来た外を見て周囲に聞こえないよう嘆息する。
これから三日後、イカラムではある行事が行われる。
一年に四度行われるそれは、表立っては行われない人身売買オークション。
ある裏の組織によって、彼方此方から集められたと言われる子供達が売り買いされる場。
そこで有能な者をもし見つける事が出来たらーー。
将来的にディアは隣国である『ナハド』へと侵略する予定である。
王族による圧政、上がり続ける税金に民は苦しみ、ディアにも多くの移民が増えて来ている。
その移民が増えた所為で水不足が急激に深刻化し、多大な犠牲者が出ている。恐らくナハマドの土地を手に入れればーー。
しかし、小国であるディアだけでは戦力が足りないのが事実だった。
何のコネも無く、この時代に侵略などに手を貸す国などある訳も無く、自身の国で才ある者を見つけるしかない。
(今回こそは居ると良いな)
ゼランは静かに握り拳を作る。
此処まで来るのにもそれなりに時間と金が掛かっている。此処に来始めて三年、そろそろ成果が出ても良い頃だろう。
ゼランは暗い黒紫色の髪をかき上げ、悩ましげに大きく溜息を吐くのだった。
約五日間程の馬車旅も終わり、御者が荘厳な門の前で兵士と会話を交わし中へと入って行く。
街並みは三ヶ月前に来た時と変わらない。
永久凍土イカラム。年中凍えた気候が漂うこの国には、中々人が訪れる事はない。あっても行商人が訪れるぐらいで、観光客等はイカラムまでは来ない。
変わり映えのない毎日、刺激のない生活に、ほんの少しの香辛料となるのが今日だった。
「おい、見ろよ。ーー国の大臣だ」
「あっちにはーー国の公爵だ。何ヶ月か前にも居たよな」
馬車の上からでも聞こえてくる世間話に耳を傾けながら、ゼランは御舎に着くといつも使っている宿へと向かった。
多くの著名人が今日、イカラムに集まる。オークションが行われるのは夜の0時丁度。
(時間潰すか……)
宿に着くと、直ぐに部屋に荷物を置いて外へ出る。
「ザクっ ザクっ」と雪の踏み締める音、冷気が足先を締め付けて、何度此処に来ても慣れない感覚に、ゼランは少し口角を開けた。
もし、この雪を全部自国へ持って行けたらと思う。そんな事不可能だと分かっていても、理想がいつまでも自分の頭の片隅を支配していた。
「オヤジ、エールくれ」
ゼランはいつも来る酒場に入ると、空いているカウンターへと雑に座り込んで注文する。
「おぉ! 今日も来たなぁ!」
「そりゃあな。毎回旅行費もバカになってないんだ。そろそろ成果を出さなきゃドヤされる」
「ははッ! そうかい、そうかいっと……おら、エール!」
キンキンに冷えたグラスに、なみなみに注がれたエール。
ゼランは口に含む程度にグラスを呷った。
自然と「くぅ~ッ」という声が出てしまう。ディアではエールなんて嗜好品で作る余裕すら無い。此処に来た時だけの、戦い前の贅沢だ。
「「「かんぱ~いッ!!」」」
「「「ハハハハハッ!!」」」
途中後ろのテーブル席から響く声に驚きながらも、酒場の店主から出されたナッツの塩漬けをツマミに、エールを飲み干して行く。
「それにしても、今日は人が多いな」
ゼランは店主に二杯目のエールを頼みながら、肩越しに後ろを見る。
いつもなら数席空いている筈だが、今日は満席で何処にでも酔った客が座っている。
店主は少し顎の無精髭を撫でた後、口元に手を当てゼランへと近づく。
「あぁ、実はよ……今回の商品である噂が上がっててよ」
「ある噂?」
「今回の商品な……『魔王』が出品されるんだってよ」
『魔王』というと、あの『魔王』だろうか。
その眼で魔法を瞬時に理解・崩壊させる力を持ち、暴虐の限りを尽くすという、あの。
「そんなのデマに決まってんだろ」
ゼランは奥歯でナッツを噛み締めながら、バカにしたかの様に鼻で笑う。
『魔王』が居たなら是非とも買いたい。本物なら、国庫の全てを差し出しても買いたいぐらいだった。
「いーや、それがそうでも無いらしい。ここだけの話なんだが、その組織の中に俺の知り合いが居てよ。何か、三、四日前から頭の様子が可笑しいんだと。これはもしかしたら、もしかするかもしれないぜ」
此処の店にはイカラムに来る度に寄っており、店主とは結構な長い仲にはなっている。嘘の可能性は低いが、信じるに値はしないだろう。
「てことは、今日は早めに切り上げた方が良いって事か?」
「いやいや! 今日は特別な日だぜ? これからに備えて、体力補給は大事に決まってんだろ!!」
店主を少し揶揄いながら時間は過ぎて行った。
オークションの始まる三十分前に酒場から出て、会場へと向かう。会場はスラム街の近くにあると言われ、ゼランが使用する入り口は、何処にでもあるようなパン屋の裏口だった。そこを三回ノックする。
『満月の夜には』
「兎と餅を」
『毒鼠には』
「栄光を」
どんな意図を持ってこんな言葉にしたのか、三年間ずっと分からないまま言い続けている合言葉を告げ、扉が開かれる。
組織の男に連れられ、中に入り階段を降りて行く。
何も聞こえない、聞こえるのは前を歩く男と自分の息遣い、石階段を降りて行く足音だけだ。
数分して、目的地へと着く。
階段先にある扉の前には、一人の男が立っている。門番らしく、連れて来た者と共に二人して頷き合うと、扉に手を掛けた。
厚く、重い扉が二人の成人男性の力で引き開かれる。
そして、モワッとした空気がゼランを迎え入れた。
開けた視界に入って来たのは、広い空間だった。一番下にあるステージを中心に、階段状に長テーブルと椅子が並んでいる。
「やっぱり、今日は多いんだな……」
まだ始まる二十分前程で、ほぼ満席。
どれだけこのオークションが期待されているのか分かる、盛況っぷりだ。
「今日は特別な商品がありますから。あと、コレを」
背後から組織の男に声を掛けられ、目元だけを隠す事が出来る仮面を渡される。
白く、星の様なものを散りばめられた自分には似合もしないだろう仮面を付ける。
(さぁ、どうなる事やら……)
少しの呆れと期待を胸に、ゼランは近くの席へと座るのだった。