遠征軍の指揮はオルコック将軍に任せていたが、状況は逐一伝書鳩で報告を受けていた。
だが、前線の戦況について考えている暇などはなく、私はエクレアを通して商国の貴族に対して調略に勤しんでいた。
床で半身を起こしつつ、一日中手紙を書く日々を送っていたのだ。
商国の王であるアドルフ王は病床の身、寝返り工作のチャンスは大いにあったのだ。
だが、当たり前だが手ごたえは悪い。
言い方は悪いが、経験上計略とは数打たねば当たらないモノだと感じている。
それに加えて、相手にはいい条件も付けねばならず、考えることは山積みであった。
「宰相様、返書にございます」
「ありがとう」
メイドさんから沢山の返書を貰う。
中身は条件の上乗せの要求などガメツイものも多い。
まぁ、これからの戦況に応じて条件は変化するのだが……。
そこはオルコック将軍の活躍に期待したいところである。
「うん?」
寝返ってくれそうな貴族は男爵以下の小者が多かったのだが、伯爵級からの返信も混ざっていた。
ラガーの知己であるユニアック伯爵もその一人であり、彼の所領は港を含む海沿いであった。
そういう戦略的な要所の味方は喉から手が出るほど欲しかった。
……商国さえ倒せば、領土が半減しているフレッチャー共和国も講和を持ち掛けてくるに違いない。
そうなれば、この大陸に王国に対抗できる大きな勢力はなくなるだろう。
だが、商国の強大な経済力は侮れぬ。
商国の王が病に伏し、北部の内乱に手を焼いている今こそが絶好の機会。
短期決戦こそが、我々のとりうる最善の道であった。
◇◇◇◇◇
統一歴570年12月――。
平地にも雪がちらつく中、王国軍はガーランド地方に侵入。
七つの砦を攻略、敵対する大小十四個の集落を焼き払った。
さらに南部のラゲタの城塞都市には抑えに五千の兵を配し、本隊は北西部に位置するウィンターボトムの城塞都市を攻略すべく包囲したのだった。
この頃になると、商国劣勢との趨勢から王国側に寝返る地方貴族も多く、王国軍の本隊は五万余に膨れ上がっていた。
だが、ウィンターボトム城は森林地帯にあり、投石器やバリスタなどの攻城兵器を運用しにくかった。
よって、最低限の数の破城槌と梯子などしか使えず、大軍を擁してもあまり効果的な攻撃を加えられないでいた。
オルコック将軍とその幕僚たちはこの城の攻略を急がず、サーマス伯爵に一万の兵を預けて包囲を続行。
残りの四万の兵を率いて、ガーランド地方のほぼ真ん中に位置する城塞都市サラマンダーへと向かったのだった。
◇◇◇◇◇
サラマンダー城の領主の間――。
城将である老齢の大魔導士エビクロティアに一通の書簡が届いていた。
彼が書簡をあらためると、差出人は伝説の黄金竜であった。
【人知を超えるものは、人間同士の争いに加わるべからず】
つまりは、王国軍と商国軍の戦いに加担するな、ということであった。
彼は強大な魔法を使う魔導士であったが、竜の長と敵対するには分が悪すぎる。
この城の居心地は良かったが、どうやら旅立つ日が来たようだ。
「……ふむ、やむを得ぬな」
その夜、彼は人知れず城を出て、どこかへと去っていったのであった。
翌朝――。
城内は大騒ぎとなる。
何故なら城の防御責任者が逃亡したのだ。
急ぎ各部署の責任者が集まり軍議を開いた。
「北部におわすカン宰相に至急指示を仰がねば!」
「うむ、王城グスタフにも急ぎの使いを出せ!」
「このことは緘口令をだせ! 兵たちに知られてはまずい」
この城は、特に防御に優れているわけではない。
大魔導士であるエビクロティアがいてこそ難攻不落であったのだ。
援軍と指示を求める急使が、早馬に乗って城から駆け出る。
ちょうどその直後に現れたのが、オルコック率いる王国軍であった。
「なんだ、あの数は?」
「ウィンターボトム城は陥落したのか?」
サラマンダー城から見える山々には、大小の王国軍の旗がずらりと並び、その数と威容は城兵たちを驚かせたのであった。
そして、彼らの頼みとする城将がいないとの情報は、どこからか漏れ聞こえてしまい、大きな噂となっていった。
「もう駄目だ」
「今夜逃げようぜ」
「俺も置いていかないでくれ」
兵士たちの出身は大体が近隣の農村であり、この城は愛着のある故郷ではなかった。
サラマンダー城には六千の兵が配備されていたが、日を追うごとに脱走兵が増加。
三日も経たぬうちに、兵は五百に満たない数となっていったのであった。
「こんな状況ではもはや戦えぬ!」
「左様、逃げるしかあるまい」
状況を知った貴族や騎士たちは、城塞都市内の住民を見捨てて、王国軍のいない西門から次々に逃走。
それを見た住民たちも、家財道具を担いで我先にと逃げ出す様相となった。
「将軍閣下! 敵は逃亡したようです」
「そうか、では全軍に攻撃を命令せよ!」
「はっ」
オルコック将軍率いる王国軍は、ほとんど抵抗を受けずに城内の都市部に侵入。
以前にこの城の攻防戦で、手痛い敗北を受けていたこともあり、王国軍兵士は報復とばかりに至る所で放火や暴行、略奪を行ったのであった。
オルコック将軍はあまりの惨状に兵士たちを止めようとしたが、欲望に火のついた兵士の心は制御できず、三日の後には城内は廃墟となってしまったのだった。
だが、この惨状は意外な効用を示した。
サラマンダー城の惨状を聞き付けた多くの集落や砦が、次々に王国軍に降伏を申し入れてきたのであった。
これにより、サラマンダー城の西方にある商国の王都グスタフまで、抵抗する勢力は皆無となっていた。
「進軍じゃ! 敵に防御の準備を与えるな!」
王国軍の士気は天を突かんばかり。
商国のとるべき策はもはや籠城しかない、そうオルコック将軍やその幕僚は予想していたのだが……。
「敵影を発見! およそ二万の軍勢が陣を敷いております!」
斥候部隊の知らせは意外であった。
商国軍はこちらの半分の兵数にもかかわらず、野戦を挑んできたのであった。