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第3話


『貴様は、なぜ、この家を狙っている』と男が聞いた。島田には、実はそれに対する答えなど持ち合わせていなかった。ただ、土方の指示に従っただけだ。


『我々は、幕府に恩義があり、戦を志している。貴公らも幕府に恩義があろう。ぜひ、武器と食料を援助頂ければと思い、こちらに参ったまでだ』


『うるせぇっ! 幕府幕府って、幕府が何をしてくれたんだ! 百姓から米を搾り取って、今まで、さんざん良い暮らしをしていたんだろう。それが、いざ、反乱になったら、しっぽ巻いて逃げ出しちまったってわけかい? そんな幕府に、くれてやるものがあるもんかっ!』


 統領格とおぼしき男の言葉に、他の浪人達も調子づいたのか『そうだそうだ!』と口々に賛同する。彼らの言うことも、一理あるかも知れないとは思ったものの、ここを奪うのが、島田の役目だ。さて、どうしたものかと思案していると、


 うおおおっ! と、呻り声を上げながら、男が突進して来た。酔っ払っている。むちゃくちゃだった。島田も、刀を抜いた。刀を抜いた瞬間に『斬る』と覚悟した。目の前の男の他にも、数人。五、六人は居るだろうか。みな、一斉に刀を抜いた。周りのもの達は、一緒に来た隊士達が片付けるだろう。隊士達も刀を抜いている。


 島田が刀を構えたとたんに、統領格の男の動きがピタリと止まった。島田は、相撲取りと見まごうほどの巨漢である。その島田が目の前に立ちはだかり、明確な殺意を持って、男に刃を向けている。しかも、何人も、人を斬ってきた男の刃だ。


 ぶるぶると、男が震えていた。立っているのがやっとというような風情だった。いっそ哀れなほどだったが、島田は動いた。八双に構えて、間合いを詰める。一瞬の躊躇いすらなく、島田は踏み込んだ。左肩から、胸にかけて、バッサリと斬られた男の傷口から夥しい量の血が迸った。島田の長身・巨漢から繰り出される刃は、一撃で男を絶命に到らせる致命傷を負わせたのだ。


 がくり、と男の体が前のめりに傾いだ。少しの間、ぴくぴくとけいれんするように動いていたが、すぐに動かなくなった。島田はすかさず、男の刀を手に取った。今まで一度も人を斬ったことの無いような、立派な刀だった。手入れは行き届いている。若干、研ぎの具合が島田の好みではなかったが、切れ味に問題はないだろう。


 島田が刀の検分を終える頃には、すでに、他のもの達も刃を納めていた。転がっていた死体は五体だった。ようやっと、この屋敷の本来の主が出てきた様だが、血なまぐさい現場に口元を押さえて、今にも嘔吐しそうだった。ひょろひょろとした、刀など、殆ど触ったこともなさそうな男だった。


『そなた主人殿か』と島田は横柄に言った。男は『はっ、はいっ!』と裏返った声で言う。


『我らは幕府に恩義があり、大恩に一矢報いんが為に兵を挙げたものだが……貴殿の部下達が、我らに因縁をつけられた。よって切り捨てたわけであるが、我らの道中に、大変、迷惑を被った。我らも急ぐ旅ゆえ、食料と武器弾薬の類を調達して下されば、この場は我らの胸の内にとどめることにするが、如何致そうか』


 いけしゃあしゃあと、島田は言った。先ほどの商家で慣れてしまったのだ。一度、やってしまえば、あとは、怖くなくなる。脅して、上手い具合に目的のものを手に入れるだけだと割り切ってしまえば、なるほど土方の言うように、ただの『調達』である。勿論、その裏には、命令されたから、とか、他のもの達もやっているから、とかどうでも良いような言い訳がついて回る。


 島田の脅しが功を奏して、武家の主は、一行を蔵へと案内した。ひょろひょろの、年若い主である。前の商人は、抜け目がなかった。蔵には近づかせず、出しても懐が痛まない程度の米と味噌を出したという所だ。今になると、(金子もすこしたすけて貰えば良かったな)と大胆な事を思うようになる。武家が金子を持っているなどと言うことは、まずあり得ない。けれど、土方の指示は、『食料と武器』だ。とりあえず、金子は、別に工面の当てがあるのだろう。


 さて、武家の若当主の案内した蔵は、中々立派なものだった。具足一式やら、刀箪笥まである。見れば、武具ばかりの蔵だった。米や食料などは、別にしてあるのだろう。


『ご主人殿。この中から、何点か、お借りしたいがよろしいな』と島田が言うと、『是非お持ち下さい』と主人は頭を下げた。


 島田は、刀箪笥を開けた。薄暗かったので銘までは解らなかったが、結構な数の刀が揃っている。それを島田は、一本残らず持ち出すことを、部下に命じた。この先、会津まで、何度か戦闘を繰り返すだろう。刀は、何本あっても足りない。そう考えた島田の脳裏に、伏見の戦いが過ぎっていった。刀など、ものの役にも立たないかも知れないとも、思った。もはや、刀ではなく、大砲や銃で戦う時代が来ているのだ、とあの時、島田達は骨身に染みている。


 大鳥は、『東照宮は、神君家康公が作った最強の要塞だ』という説を信じ込んでいるらしく、日光東照宮をつもりで居るようだった。対する土方は、東北道の要所、宇都宮城を押さえるべきだと言うことを主張していた。宇都宮城は、今のところ、官軍に付くのか幕府側に付くのか、立場を明らかにしていない。それもあって、今のところ、宇都宮は黙殺されている。黙殺はされているが、土方の性格を考えれば、本隊と別動を取ってでも、宇都宮を押さえに往くことだろう。そうなれば、東北道ルートと東照宮側のルートと、幕府軍は二分されることになる。やはり、武器は多いに越したことはない。食料も、出来るだけ持った。米と塩も必要だ。


 ありったけの武器食料を奪いとり、島田は土方の待つ本営に向かった。本営は、下館城大手門通り真っ正面である。これ以上はない、人をバカにした陣立てだ。下館藩の方も、腹立たしい気持ちになることだろう。


 島田が下館城前の土方本営に食料と武器を持ってやってきたのは、昼少し前だった。食料と武器を詰んで戻ってきた島田に「調達、ご苦労。こちらも、人の配置は終わった。城の中の動きはない。動きができ次第、城側と交渉して欲しい。調達から帰ったばかりで悪いが頼めるか」と土方は開口一番に言った。島田に異存はない。


「本当は、私が行こうかと思っていたんだが……君の格好を見たら、君の方が相応しいと思ったというわけさ」と土方は、にやりと笑う。格好、と言われて気がついた。昨日斬った男の返り血を浴びていた様だ。黒い装束だからそれほど目立ちはしないが、おそらく、土方は島田が戻ってきた瞬間に、むわっとした血の匂いを感じたのだろう。


 島田に同行したのは軍監の井上清之進と倉田巴だった。下館城では家老が応対し、その後、家老二名と用人が本営にやってきた。家老達も、いきなり大手門目の前に本営を作られた上に、大砲まで向けられていれば、狼狽もするだろう。下館藩石川若狭守いしかわわかさのかみは德川恩顧の大名であり、德川方であるので、食料や武器などの提供をしたいと、応じた。


 下館藩からの食料武器、さらに金五百両の提供を受け、土方隊は秋月隊と合流し、この日は下館城下で一泊することになった。事態の急変は、翌日だった。土方はあらかじめ、諜報を用意していたらしく、そのものからの伝令で、宇都宮城が官軍に付いたという報せを受けたのだった。土方と秋月は、満福寺という寺で緊急の会議を開いた。大鳥本隊に連絡しても、おそらく、あちらは『とにかく会津・とにかく日光』という頭で動いている。


「秋月殿、参ろう」


 土方の言葉に、秋月登之助はこわばった顔で、「うむ。参ろう。土方殿」と頷いた。「しかし……土方殿。宇都宮城の状況は解るのか?」


 秋月の言葉に、土方は感心した。冷静だと思った。


「現在解っている時点での話をしよう。……これが、大体の宇都宮城の地図だ」と言いながら、さらさらと土方は地図を書いた。「おそらく、敵方は、例幣使街道、日光街道などの大きな街道沿いに主力隊を置くだろう。すでに、笠間・館林・須坂・烏山藩が兵を出している。宇都宮城には、板橋の東山道総督府の大軍監である香川敬三が入っていると見て良いだろう。あちらの軍勢がどの程度かは解らんが、東山道総督府は、つい先頃まで、動きはなかったはずだから、体制は整っていないと見ている。つまり、隙を付けば、宇都宮城を落とすことは可能だ。その為に」と土方は地図上に書き込まれた一本の細い線を、鉄扇で、トン、と指した。ごくり、と秋月の喉が動いた。


「……街道を避け、裏を回る。深夜から動き始めて未明には宇都宮を頂く。奇襲だ」


 秋月の他にも、この会議に参加していたのは、伝習隊の秋月登之助(江上太郎)、桑名藩隊の辰巳鑑三郎、回天隊の相馬左金吾、それと新撰組として島田だった。それぞれ、小隊の指揮官クラスだが、みな、こわばった顔で、身震いした。



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