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第4話

「土方殿。我らに、宇都宮城、落とせますか」


 秋月が聞いた。皆も、土方の答えを待っていた。土方は、じっとみんなを見回した。一人一人、目を合わせて見つめ返してから、


「できる」とただ一言言い切った。土方の言葉に、みな、ホッと安堵し、そして腹に力を込めて「よしっ。では、宇都宮城、参るか!」と、初陣の恐怖心を振り払うように、大声で叫んだ。


「では、各隊への伝達を。先鋒は、私と、辰巳殿で行く。中軍は秋月殿。後軍に相馬殿という順番だ。……出立は、深夜だ。物音を立てて、気付かれないようにしろ。気付かれたら、この作戦は、失敗する」


 土方の言葉に、一同、頷いた。皆、鳥羽伏見で幾らかの実践がある程度だった。新撰組のように、常に戦いの中に身を置いていた様な者達でさえ、大きな合戦の前には、恐怖に襲われる。戦闘経験が少ないものたちならば、なおのこと、恐怖を感じるだろう。夜陰に乗じて宇都宮に乗り込む。この道程が、気が触れるほど、恐ろしく感じるだろう。皆が去った後、土方と島田は、二人きりになった。


「新撰組は、三十人か」と土方は呟く。「……少なくなったもんだな、新撰組も。一応、流山にいた者達は、別動で会津に向かわせてはいるがね………まだ、新撰組にくっついてくる物好きが三十人も居るって言うことか。芹沢さんも、近藤さんも、山南さんも……みんな居ないのになぁ。永倉君や沖田君もいない」


「私は……」と島田は土方を見た。「新撰組の名前について行くわけではありません。土方さんだからついて行くんです。地の果てでも、ご相伴致します」


 真摯な島田の言葉に、土方は微苦笑した。「……そうか。付いてくるのか」


「はい。ついて行きます。冥土までも、お供つかまつります」


「いや、冥土は良いよ。一人くらいは、墓前を弔ってくれる者を残しておきたい。―――島田君にだから言っておく。勝てるかどうかは、運次第だ。運というなら、一つ、宇都宮に関しては朗報がある。今月の初めぐらいから、宇都宮は一揆と打ち壊しが横行していて、城内が疲弊しきっている。まだ、諸藩からの援軍は、多く集まっていないだろう。それは、東山道総督府の方もそうだ。役者が揃う前なら、何とかなるかも知れないが……」


「では、明日中に宇都宮城を陥落おとしてしまうしか無いと言うことですね」


「そうだ。……秋月さんたちには言わなかったが、大鳥さん達の所も、壬生城で一悶着あったという話も、すこしだけ聞いた。宇都宮が終わったら、次は壬生に行くことになるかも知れないな」


 島田は、常に土方の傍らにいるわけではないが、それにしても、この土方の情報は、どこから来ているのだろうかと、思った。新撰組時代から、監察部を統括していたり、監察部には様々な特権を与えていたことから見ても、情報に対しての感度は高いようだったが、元監察部の島田でさえ、土方がどうやって情報を得ているのか、よく解らなかった。


(そういえば、新撰組時代も、独自の情報を持っている人だったな)と島田は思い直した。監察部の自分たちよりも、早く正確な情報を掴んでいる時もある。


 島田の視線に気がついたのか、土方は苦笑した。「……多少の金をばらまけば、この程度の情報はすぐに手に入る。素人を使うのは面倒ではあるがね。隊を整える事が出来れば、専属の諜報を作るが、そうも行かない。もう少し、自由が利く立場なら、私が自分で行ったところだよ。もっとも―――断髪洋装のなりじゃあ、目立つだろうから、無理だろうけれどね」


「そういえば……よく、山崎君と一緒に町に出ておられましたね」と島田は言った。言葉の端が、微かに刺々しい。焼き餅だろう。「山崎君は、良く薬屋の格好をしていただろう。も、それなら得意だからな。山崎君は、近藤さんのお気に入りだったから、様子は知っておきたいというのもあった」


「……よく、のお部屋にも出入りされていたようですが」


 やけに絡むな、と土方は思ったが、ここで、後々禍根でも残れば面倒なので、とりあえず、正直に話すことにした。


「いろいろ手伝って貰うことがあったんだよ。といっても、主に薬研だがね。特に、何か話をしたわけでも、なんでもないけれど……まぁ、山崎を長い間部屋に置いておくと、近藤さんがになるのを見る楽しみはあったかな」


 嫌な悪戯だ、と島田は思った。口には出さなかった。土方に振り回された近藤は、哀れなものだ。近藤と山崎のなのは、島田も解っている。新撰組の隊士達の多くが、そういう関係にあるのだから、別に、気にもならない。島田は、土方と肉体関係はないが、山崎は『ある』と勘違いをしているようだった。おそらく、他の隊士達も、そういう目で見ていた者は多かったように思える。ならば、それはそれで構わなかった。勘違いなど、動でも良いことだった。すくなくとも、島田が土方に心酔しているのは確かだ。脇差を土方が渡したのは、近藤に対する牽制と言うだけで、とくに、何か言葉を交わしたわけでもなんでもない。ただ『俺だと思って、いつも持っていてくれないかい』と渡された。なるほど聞き様によっては意味深な言葉なのだろうが、そんなつもりなど毛頭もなかった島田と土方の間では、実に額面通りの言葉となった。


 ただ、その時、島田は聞いた。


『私が頂いてもよろしいのですか?』と。土方は、島田をじっ、と見つめてから、少し考えるような素振りをした。『それを持って貰うなら、島田君が良いね』と土方は言い切った。何の根拠があったのかは、島田には解らない。土方は、そのあたりをまるで語らない。


 おそらく、理由はないのだ、と島田はその時思った。今も、理由など無いだろう。けれど、それで良いと思った。信じることに、あれこれと理由など要らないはずだ。ましてや、これは、命を預けられたも同然だ。ならば、よりいっそう、理由など、要らない。島田は、翌日から、土方の脇差をした。土方の信用を受け入れるという表明だった。土方は、人物だ。だが、この刀は、『絶対に裏切らない』という土方からのメッセージのような気がした。だから、島田も、『絶対に裏切らない』という表明の為に、土方の脇差をした。この瞬間、二人は、無言の密約で結ばれたと言っても良いだろう。


 何も言わないし誓いもしないが、絶対、である。


 決して、衆道や男色といった感情を持ったわけではなかったが、土方の行動について、時折、嫉妬心が芽生える。特に山崎などは、仕事も島田に近い上に、土方が山崎に用事を言いつけたり、部屋で何らかの作業を行っているからだ。


「……人のものに手を出すのは、面倒だ」ぽつり、と土方は呟いた。確かに、それはそうかも知れないと島田も思った。


「島田」と土方は呼びかけた。「……どこかで、餅でも売っていたら、食べたいもんだね」


 街道を行っているとは言え、今は戦の真っ直中だ。餅屋が餅をつくっているとも思えない。作っていたとしても、暢気に食べていられるかどうか……。


「あそこの餅は美味しかったなぁ。よく食べに行っただろう? ……北野ちかくの餅屋だよ。太閤さんの昔からあるんだなんて、店の主人は言っていたけど」


「ああ。美味しかったですね。良く、私と土方さんと、君菊さんで……」


「君は放っておくと二十個も食べてしまうからね」


 ふっ、と土方は懐かしそうに笑った。『また、あの餅を三人で……』と思ったが、それが出来ないことを、島田は知っている。目を細めて、懐かしむような眩しそうな顔をした土方は、島田の前で、一つ、小さな溜息を吐いた。


(まただ)と島田は思った。土方は、ぼんやりしているようにも見えた。けれど、油断しているというのではない。時折、こうして、どこか遠くを見ているような顔になる。そんなとき、島田は不安になる。今ここに、土方が居るのに、には居ないような気持ちになる。取り残されたような気持ちになるのだ。


 黒瞳は、どこか、島田が知らない遠くを見ている。土方は、ゆっくり瞼を閉じて、また、目を開いた。もう、どこか遠くは見ていない。島田を見ている。島田は、土方が『戻ってきた』ことに、安堵した。安堵したが、こんな時に、やりきれない気持ちになる。冥土までご相伴すると誓った島田だが、土方の隣にいても、同じ風景を見ることが出来ない。この人の目に見えているのは、もっと違うものなのだ。胸の痛みを覚える度に、いっそ、山崎が羨ましくなる。山崎は近藤に『義』を誓い、身を捧げたのだろう。いっそ、体の交わりでもあれば、こんなやりきれない気持ちになることはないのかもしれない、と島田は思うからだ。別に、土方と関係を持ちたいという気持ちはないが、胸に去来する、どうしようもない気持ちを、やり過ごしたいとは思った。


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