強くて大きな嵐が孤島を襲っていた。嵐は風を生み、ごうごうと強烈な音を鳴らしながら島に生える木々を大きくしならせている。海は島の海岸を飲み込まんとばかりの波しぶきを立たせては唸りをあげていた。
空は黒く分厚い雲が太陽を覆い隠している。そのせいで普段は明るいはずの島に影が落ちていた。その黒雲は島に途轍もない量の雨を降らすはずだ。
「聞いてはいたけど、まさかこんなに荒れるだなんて……」
真っ黒な空を見ながらアルトはぽつりとつぶやき、昨日の昼に島の長から受けた授業をことを思い出す。
アルトの頭の中に長の声が浮かびあがってくる。長は、いつも通りへらへらとした顔のままこう言っていた。
「アルト、明日は嵐が来るから島が大変なことになるよ。その嵐について解説するね──」
長は勉強として、嵐が出来る理由と、嵐による被害をアルトに教え込んでいた。その知識と、実際に嵐を目の当たりにした情報を照らし合わせてアルトは思った。
──これは人間が太刀打ちできる物じゃない、と。
いつもより冷えている風のせいか、アルトの体はさっきから震えている。いや、これはもしかすると実際に見る嵐に対して身体が怯えているのかもしれない。
今すぐにこの場から離れたい、とアルトは思った。だけど、アルトはこの嵐を目にしっかりと焼き付けておかないといけない理由がある。なぜなら、それが今日の彼に課された宿題だったからだ。
「嵐をしっかり体感するといい。あ、自分の身に危険が及ばない範囲でね! なんて気楽に言ってるけどさ……長、これは島のどこに居ても危険じゃないでしょうか!?」
アルトは愚痴りながらも、その身に嵐の訪れを記録していくことにした。空にある雲は風の流れが速いせいかどんどん移動していた。普段なら飛んでいる鳥達の姿が今日はない。それに、普段ならこの森に生息しているはずの虫や動物も今日に限っては一匹たりとも姿が見えない。
それで、アルトは自分以外が風に飛ばされてしまったんじゃないかと思ってしまった。
「そりゃ、こんなに風が強かったら飛んでる場合じゃないか、それにこの後もっと強くなるって話だもんな」
──これ以上強くなるって……どんな風に? 最悪の想像をしてしまい、アルトは顔を真っ青にさせる。
この島にある物が全て吹き飛んでしまうかもしれない。そうなれば僕達はどうなってしまうのだろう? 少年の頭はこの思考で一杯になってしまった。空に飛ばされ地面に叩きつけられる自分を想像し、背筋を凍らせる。
「おぉい、アルト! そんなとこおると危ねぇっちゃ!」
「ひっ!」
突然の大声にアルトの口から変な声が漏れた。アルトはゆっくりと声の方を向くと全身が白い毛並みの二足歩行の狼が森の中で険しい顔をして立っていた。その手には木の枝で作った紐を大量に抱えている。
「アルト、手伝ってくれ!」
アルトは何をするべきか頭の中で弾きだし、狼に声が届くように腹の底から声を出す。
「わかった、長から頼まれたんだね! 僕は何をしたらいい!?」
アルトの言葉に狼はニカッと口を歪ませて牙を見せながら笑った後、アルトの元に走ってくる。
「アルトは話が早えな。オラと一緒に最後の点検をしてくるように頼まれたんだ!」
「わかった、物を飛ばさないようにその紐で括り付けていくんだね?」
狼は笑ったままうなずいた。それは、今この場ではアルトにしか出来ないことだった。何せ五本の指がある人間族と違い、狼人種には指が三本しかない。それと手の平にある肉が細かい作業をするのに邪魔だといつも嘆いているのをアルトは知っていた。
「ウルズ、乗せて! 早く回らないと!」
「よし来た!」
ウルズと呼ばれた狼はアルトを担ぐ。そして、「んじゃあ、行くぞ。ちゃんと掴まってろよ!」と声を出し、アルトが頷いたのを見てから走り出した。
その瞬間、アルトの視界は凄い勢いで背後に流れていく。周囲を知覚出来ないほどの速さに、アルトは目を閉じてしっかりとウルズの体に抱き着いた。暗闇の世界でも、ごうごうと風を切る音だけがアルトの耳に入ってくる。
「ん、速すぎたか?」
「う、うん。ちょっと速度を落としてくれると助かるんだけど」
ウルズはアルトの言葉通り、走る速度を緩めた。それで、アルトはようやく目を開くことができた。
目に映ったのは、アルトがどれだけ全力を出して走っても見られない光景だ。するすると周りの木々が後ろに流れていく。アルトはそれを見て、こんな速度で走れたらどれだけ気持ちいいだろうか、と思う。
アルトが気分よく景色を見ていると、突然、風の壁とも思えるような突風が吹いた。それを受ける前に、ウルズはしっかりとアルトを抱え込む。そのおかげで、アルトは振り落とされずにすむ。
「気を抜いたらダメだぞ? しっかり掴まっててな」
「あ、ありがとう。ウルズに乗せてもらうのが久しぶりだったからつい⋯⋯」
「んだなぁ。長とずっと付きっ切りだったもんなぁ」
「うん、そうだね」
ウルズがアルトの生活を見かねて連れ出した時のことを二人は思い出していた。それは一年も前のことだったが、二人にとってはなんだかもっと前のことのようにも感じられていた。
「しかし……アル、大きくなったなぁ」
「そうかな、自分ではわからないけど」
「んだんだ、始めてアルを見た時は小っちゃい子供だったんだけどもなぁ」
ウルズはにこやかな笑顔が浮かべていた。それがどういう気持ちなのかアルトにはわからない。ただ、何となく自分のことのように喜んでいるようにも見えて、アルトは少しだけくすぐったい気持ちを感じていた。