「よし、着いたっぺ!」
ウルズは目的の場所へと辿り着くと大きな声を上げ、アルトを地面へと下ろす。
「アルト、これを頼む!」
アルトはウルズからジャロウで出来た長い紐を受け取った後、大きく頷いた。アルトは自身の体よりも大きな木で出来た小屋を見る。この中には海へ出て漁をするための道具が一杯入っている。
その小屋の周りには大きな岩がいくつも置かれていた。それは台風が来た時に小屋を括り付けるよう、この島の長が若い衆に頼んで置かせたものだ。それを見て、アルトは感嘆の息を漏らした。
「長はこの状況がくるって知ってたってことか」
「アルト、考え事は後でするっぺ! まずは作業!」
「あ、うん!」
アルトは、ウルズの方を見て頷いた。ウルズの目には『頼んだぞ、アル』という気持ちが籠められていたので、アルトは「大丈夫、心配しないで」と言って場を和ませる。
その後、すぐに作業へと取り掛かった。まずは岩へと紐を括り付けていく。その間、アルトは他の場所のことが気になった。作業をしながら、アルトは他の場所のことを聞くことにした。
「そういえば皆は何してるの?」
「足が速いモンが島の周りを固めろって長から言われとるんよ。他の皆は洞窟に籠ってろってさ」
ああ、なるほど。とアルトは思った。
──狼人と猿人が組んで辺りを固めているのかな。ウルズはきっと、長から僕を拾いに行くように頼まれたのだろう。
「オラは長にアルトを拾って来いって言われたからここにきたっぺ!」
ウルズが自身の予想通りのことを言ったので、アルトは思わず笑ってしまった。そして、ふとしたことに気付く。
「ウルズは、なんで僕の場所がわかったのさ?」
「アルの匂いならわかるさ」そう言いながら、ウルズは自分の顔についている自慢の鼻を指さした。ウルズの鼻と耳は狼人の中でも特によく、風のない日なら島の端にいても嗅ぎ分けることが出来る程だ。ただ、それをアルトはウルズの冗談だと思っている。
アルトはヒューマンで、特別な鼻など持ち合わせていない。そのせいで、ウルズの言うことがよく理解できていなかった。
「たまたまだね、わかった」
「本当のことなのに……」
しょぼくれるウルズを放置したアルトは、岩にジャロウの紐をきつく縛りつけてから、小屋をぐるぐる巻きにしていく。最後に屋根が飛ばないように重りを置き、地面に降りてからウルズを見て口を開いた。
「終わったよ。次はどうしたらいいの?」
「オラ達の持ち場はここだけだっぺ、ここが終われば洞穴に向えだと」
これ以上風が強くなるなら、建物は吹き飛ばされる危険がある。それなら洞穴に籠るのが最善だとアルトは思った。
長の考えを頭の中でまとめていくことがアルトの普段の課題でもあった。長は突然あるとに質問を投げかける。そして答えられなければ罰を与えられる。
その罰は様々だが、昨日されたのはくすぐりの刑というもので、アルトはその時のことを思い出して脇をきゅっときつく締めた。
「……なにしてんだ?」
ウルズがアルトの奇怪な行動に首を傾げる。それに対し、アルトは苦笑いを浮かべながら「ちょ、ちょっとね」と言葉をどもらせた。
「そ、それより、早く洞穴に向おうよ!」
「わかった。ほら、アルト、体を貸せ」
そう言いつつ、ウルズは僕をもう一度抱え上げた。そして、耳をピクピクと動かせる。
「ん、どうしたの?」
「声が聞こえるっぺ。泣き声、あの時と同じ──」
アルトは耳を澄ませてみる。しかし、ウルズの聞いている声をアルトは聞くことができなかった。
「──助けなきゃ!」
「うわっ、ウルズ!?」
ウルズは急に走り始める。アルトは精一杯の力でウルズの毛を掴む。
「アル、口を閉じてろ! 舌を噛む!」
ウルズは必死の声で僕に注意を促してくる。アルトはただ、振り落とされないことに必死で、それ以外に何も考えることが出来ない。
──あぁあ!
ウルズの足音とは別の音がアルトの耳に入ってくる。ウルズが一歩を踏み出す度にその声はどんどん大きくなっていく。波の音に消されそうな程の小さな声。それは、赤ん坊の泣き声だとアルトは気付く。
「あそこだ!」
ウルズがゆっくりと減速して、海岸の端で止まる。そして、彼の視線を追ってアルトは見た。沖の上に小舟があった。その中から声が聞こえてくる。どこから流れて来たのかはわからない。でも、少し高い波がその船を揺らしていて今にも転覆しそうだった。
「どうすっぺ、アル!」
「どうするって言われても……」
アルトは頭の中で救出手段を考える。今からどんどんと海は酷くなるだろう。策も無しに助けにいけば死を免れない。でも、放置しておけば、あの子は確実に死ぬ。
──今ここで決断出来るのは僕しかいない。あの子を助けるのも、見殺しにするのも僕が判断しなきゃいけないんだ。
ウルズは真剣な眼差しでじっとアルトを見つめている。アルトならば、彼ならば出来ると信じているのだ。そんなウルズの信頼に応えたくてアルトは必死に頭を回す。
「……どうすればいい。どうすれば」アルトはぶつぶつと一人言葉をつぶやく。
──長ならどうする。ウルズは泳げないし、今いるのは僕だけ。手持ちの道具はジャロウの紐のあまり。これなら、あの舟までは辿り着けそうだけど……。
一か八かの手段をアルトは考える。だが、それは自身にも危険が及ぶ行為だ。それをすれば最悪の場合死ぬことになる。
「……無理だ。僕にはそんなこと」
もし、ここに猿人がいたならば、その巧みな泳ぎで助けにいくことが出来たであろう。しかし、ただの人間ではみすみす死にに行くようなものだ。
──でも。
アルトは思う。あの子は僕と同じだ、と。アルトと同じ種族はこの島にいない。それは、アルトも赤ん坊の時にこの島に流されてきた人間だからだ。死に掛けていたところを、ウルズに助けてもらった。
自分がこの島の生活に役に立たない存在なのはわかっている。だからこそ、知恵を求め、身体を鍛えあげた。それでもまだ全然足りない。
早く、皆の役に立つ存在にならなければ、この島で僕が生きる価値は無い。そう思いながら、アルトは日々を過ごしている。
そんな恩人があの子を助けてほしいと願っているのだ。それなら命くらい賭けてもいい。そう思っているのだが、アルトの足は一歩も進まない。
──その子を助けてあげて……有仁。
アルトの頭の奥底で声が響いた。それが誰の声かわからないが、アルトは背中を押された気持ちになった。そして、アルトは自身の体に紐を巻いていく。外れないように、念入りに確かめながら。
「アル、何してるっぺ!?」
ウルズの声に応えることもせず、アルトは服を全部抜ぎ海に走り出した。そして、ウルズに紐の先端を放り投げ、大きな声で叫ぶ。
「僕が合図したら、その紐を思いっきり引っ張って! あの子を助けに行ってくる!!」
驚くウルズをそのままに、アルトは海の中へと身を投げ入れた。荒れ狂う波がアルトを襲う。だが、アルトはその波に逆らいながら小舟を目指す。
猿人達に泳ぎを教えてもらい、それなりには泳ぎが得意なアルトだが、それでも時化た海は別物だった。ゆっくりとゆっくりと舟へと近づいていくが、時折大きな波に飲み込まれ、息が出来なくなるがそれでも諦めずに前へと進んだ。
海の水がアルトの体温をどんどんと奪っていく。それでも、前へ、前へと進んでいく。
──頑張れアルト、ここまで来てダメでしたじゃ笑えないぞ! と、アルトは自身に渇を入れた。
「──あぁああああああ!」
アルトの耳に入る泣き声がどんどん大きくなっていく。それを頼りにアルトは必死に泳ぐ。そして、ようやく小舟に辿り着いた。
「はぁ……はぁ……げほっ!」
大きく息を吐き、咳き込みながらアルトは小舟の中を覗きこむ。そして、元気に泣く赤ちゃんを見てほっと胸を撫でおろした。
「よかった……あ」
アルトが一息ついたその時だった。一際大きな風がアルトの上を吹き抜けていく。大きな波が上がり、アルト達を飲み込もうとしていた。
──まずい。
アルトはそう思うのと同時に、舟をわざとひっくり返していた。子供を優しく、それでいてしっかりと抱きしめながらジャロウの紐を引きウルズに合図を送る。そして、海面で思い切り息を吸いこんだ後、海の中に潜った。
──大きな波の時は海の中に潜れ。
長からそう言われたことがアルトの頭の中に浮かんだ。海の中でアルトは子供の口に口づけをし、息をゆっくりと注ぎ込む。
アルトは身体に強く紐が食い込むのを感じた。ウルズが必死に自分達を引き揚げようとしているのを感じ、アルトは安堵しながら子供の生存に力を注ぐ。
頼む、生きていてくれ! アルトは祈るように子供にゆっくりと肺の中にある空気を渡し続ける。それは、長い時間に感じられた。
潜り始めてからどれだけ経ったかはわからない。もう死ぬかと思われたその時、アルトは海岸へと引き上げられた。
「──ぷはぁっ!」
息を吸い、アルトは目一杯に肺に酸素を取り込む。肩で息をしつつ、子供の顔を見る。子供はすーすーと息をしているに見えた。
「よかった……生きてる……」
アルトは安堵をし、そして子供の頭を見て固まった。──そこには、大きな一本の角が生えていた。
「これって──」
「おーい! 大丈夫かぁ!?」
ウルズの声にアルトはハッとなった。そうだ、早く海から上がらないと。
「うん! この子も大丈夫だよ!」
無事をアピールする為に、アルトは空いた片手を空に向けて突き上げ大きく振る。
ウルズは紐を引っ張ってくれている。アルトは子供がこれ以上波に濡れないように抱き上げると、子供はなぜかきゃっきゃと笑う。それに応じるように、アルトも笑った。
「もう少し待っててね、戻ったら皆に君のことを伝えるから」
言葉が通じていないだろうが、それでもアルトは子供に話しかける。アルトは、じんわりと心の中が暖かくなっていくような感覚を覚えた。