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第四話「鬼の子」

「アル! 無茶しすぎだっぺ!」


「うっ、でもこうするしかなかったから……」


 ウルズの怒声に対してアルトは言い訳をしていた。咄嗟のこととはいえ、冷静になって考えてみれば、随分な無茶をした物だと自分でも思っていた。助かったのは運がよかっただけで、普通ならば海の藻屑だった。


 海に溺れている自分を想像してしまったからか、それとも更に風が冷たくなったからかわからないがアルトは身体を震えさせた。服を着たいが、今は子供を包むのに使っている。


 子供を包んでいた布は海水に濡れていて、乾くまで使い物にならなくなっていた。それで、急遽アルトの服を使うことにしたのだ。


「それはそうだけども……アルはもっと自分を大事にしないとダメだ」


「うっ!?」


 ウルズが強い力でアルトに抱き着いた。加減をしていないのか、身体が締め付けられて背中が痛む。身体にはウルズの熱さが伝わって寒くは無くなったが、息がしづらくてアルトは咽た。


 抱き着かれている中で、アルトはウルズの身体が少しだけ震えていることに気付く。覆いかぶさるように抱き着かれているせいでアルトからウルズの顔は見えないが、どんな顔をしているのかは見ないでもわかった。


「……ごめん、なさい」


 心配を掛けてしまったことに対してアルトは謝る。ウルズは僕を信じてくれていた。だけど、荒れ狂う海を泳ぐアルトは彼の目にどう映っただろうか?


 大切な人を失くすという悲しみをアルトはまだ知らない。だけど、ウルズがアルトのことを大切に思っているということは、なんとなく理解していた。


 アルトは力一杯ウルズを抱き返す。ここにいるよ、と伝えるように目一杯。それで彼も安心したのか、少しだけ抱き締めていた力が弱まった。落ち着いてくれたことに、アルトはホッとする。


「アルが波に攫われると思った、大きな波に襲われた時はもうダメだと思ったっぺ。無茶だけはしないでくれ、頼むから」


「うん、わかった。もうしない」


「……覚えておいてくれ、アルがここにいるのがオラの誇りなんだ」


 そう言いながら、柔らかい肉の盛り上がった手の平でアルトの頭を撫でる。アルトはなんだか照れ臭くなって身体がムズムズするtのを感じた。


「あ、ありがとう。と、そんなことよりさ、この子どうしよう?」


 ──ふぇぇぇ……。


 助けた子供はまた泣き始めていた。どうすればいいのかわからないが、濡れた布のままにしておいたらダメだと思い、今はアルトの服を着させている。ぶかぶかだが少しはマシなはずだ。


「とりあえず、長のところに行こうか」


「そうっぺな」


「でも、急に子供を連れていったら長が怒ってこないかな?」 


「いいっペ、そんときはオラが庇うから。ほら乗った乗った」


「ひゃっ!?」


 ウルズにいきなり担ぎあげられてアルトは変な声が出てしまった。小言で「担ぎ上げるなら先に一言伝えてよ!」と愚痴を吐いている。


「いくっぺー」


 アルトは抗議するが、ウルズには「ごめんごめん」と軽く流されてしまった。


 来た時とは違い、ゆったりとした速度でウルズは走る。赤ん坊を抱いているアルトに考慮した速度だ。


 話すだけの余裕がありそうだったので、アルトは少し気になったことをウルズに話してみることにした。


「ねぇ、この赤ちゃんツノみたいなの生えてるけど、ウルズは何かわかる?」


「わかんね。なんせ、オラは島から外に出たことないからな」


「……そっか」


 アルトは沈んだ声色でウルズに返事をした。この島にいる者は、外の世界を知らない。知っているのは、長だけだとアルトは聞かされている。聞いたことでウルズに嫌な気持ちをさせてしまったのでないかと、アルトは思ったがウルズは笑っていた。


「ツノが生えてようが、生えてなかろうが、赤んぼは赤んぼだべ。違うか?」


 呑気なウルズにアルトは笑うしかなかった。




 ウルズが集落に戻るまで、さほど時間は掛からなかった。これがアルトならば倍以上の時間は掛かっていたに違いない。アルトは改めて人間族と狼人の身体能力の差を感じていた。


 集落に戻ってくると、食糧庫の一つから猿人の細長い尻尾が出ている姿があった。その尻尾の先は黒色で、独特な色をしている。


「おーいオビタ、もどったっぺ!」


 ウルズはその猿人に声を掛けた。そうすると、食糧庫の中から大きな猿がひょっこりと顔を覗かせてウルズを見る。


「おう、ウルズ。戻ったか! あ、アル様、お帰りなさいませ!」


「オビタ、何回も言うけど様は付けないで……」


 アルトは様を付けられて苦笑いをした。しかし、アルトの抗議もなんのその、オビタは大きな顔に満面の笑み浮かべている。それは反省をしていない顔だった。


 オビタはその手に燻した肉や魚を持っていた。オビタがいる食糧庫には狼人用の食料がため込んである。これは長が、種族によって食糧庫は分けるべきだと考えた末にこうなったらしい。


 狼、猿、鳥の三種族がこの島にはいる。それぞれ食べる物が違うので、分けた方がいいのは当然だ。人間族のアルトだけは、この三種族の食べる物が全部食べられるので、その時に好きな物を分けてもらっていた。


 ──そういえば、長の種族だけ聞いてないや。


 アルトは、ふとそんなことを思った。子供に出会う前は、長だから特別なのだろうと考えていて特に聞く気持ちもなかった。だけど、子供に出会う事で、アルトの世界が少しだけ広がったのだと思う。アルトの中にある知識欲が顔を出し始めたのがわかった。


 長は金髪で少しだけ耳が長い。それに、顔がアルト達人間族とよく似ている。あれは一体何族なんだろうか? 今度機会があったら聞いてみようとアルトは思った。


「それで、この泣き声はなんですか?」


 オビタは子供の泣き声に興味深々の様子だ。「この子だっぺ」ウルズが抱えていた子供をオビタに見せる。


「アルが勇敢にも荒れ狂う海を泳いでこの子を助けたんだ」


「なんと、アル様が!?」


 ウルズに褒められ、アルトは顔を赤くさせた。あまりのべた褒めに恥ずかしさを覚える。一歩間違えれば蛮勇になっていた行動をここまで褒められるのはバツの悪さを感じていた。


「そ、それよりさ、長はどこにいるの?」


 アルトは話を変えたくて、無理矢理に長の名前を出す。するとオビタは洞穴の方へと指をさした。


「長はあちらで指揮をとっております」


「わかった、ありがとう。続きを頑張ってね」


 アルトはそう言いつつウルズの身体から降りる。ここから先は別行動をした方がいい。


「アル、どうしたっぺ?」


「僕はこのままこの子を長のところまで連れて行くよ。ビッケ洞穴までなら僕一人でもそんなに時間はかからないしね。ウルズはその足を生かして他の場所の作業が間に合っているか見て来て欲しい」


「わかったっぺ!」


 アルトの指示にウルズは頷いた。「今の、長みたいだったっぺ」そう言いながらニコリと笑うウルズを見て、アルトは照れくさくなった。まさか、そんな褒められ方をするとは夢にも思っていなかったからだ。


「か、風が強くなる前に帰ってくるんだよ! いつ本格的な嵐になるかわからないんだから!」


「わかった、そんじゃ行って来る!」


 ウルズはそう言い残すと目にも止まらぬ速さでアルトの目の前からいなくなった。あれがウルズの本気か……。とアルトは思った。あれならこの島を見て回るのに、一刻も掛からないはずだ。


「ふぇえええええ!」


「ああ、ごめんごめん! 今から長のところに行くからね!」


 アルトは子供をあやしながら、長のところへと向かう。途中でウルズにアルトの時はどうしていたか聞いたが、返って来た答えは「長が面倒を見てたから知らないっペ!」と実にあっけらかんとした物だった。その答えに、アルトは苦笑いするしかなかったのだった。




「あ、アルトちゃん。よかった無事だったのね。あ、そこに置かないで、次の組が来るわ」


 洞穴に入るなり、アルトは狼人族の女性に声を掛けられる。茶色の毛並みの狼人だ。彼女の名前はマーサ。狼人族を取り仕切る女傑である。マーサは今、他の女集を使って運ばれてくる物の整理をしているところだった。


「マーサ、長はどこ?」


「長は洞穴の奥にいるわ。あら、アルトちゃん……その子は?」


 マーサがアルトの腕の中で泣いている子供に興味を示す。


「かわいい子ね、どうしたの?」


「海で流されているところを助けたんだ。で、長に見せに来たんだけど……」


「呼んだかい、アルト」


 長の名前を呼ぶと、洞穴の奥から本人の声が聞こえてきた。まさか、そんな近くにいると思わず、びっくりしてアルトは身体が固まらせた。そして、少しだけ強張った身体で声の方を向いた。


 暗闇の奥には松明による火の灯りが揺らめいていた。それを持つのは金色の髪をした温和な顔つきをした男だ。キシリア・ゼベールス。それが、彼の名前だ。


 アルトはキシリアに向って一礼をした。


「長、アルトがただいま戻りました」


「うん。わかった」


 アルトは、長には帰って来た時に報告することを義務付けられている。それをしっかりと終え、一息つく。


「アルト、一言いいかな?」


 キシリアの無感情な声に、アルトの心臓が一瞬だけ跳ねる。こういう時は大体よくないことを言われることを今までの経験から身に染みていた。


「身体がから潮の香りがするね。それに髪も濡れている。もしかして君……こんな中、海に入ったのかな?」


「は……はい」


 少しだけアルトの状態を見ただけで何をしてきたのか見透かされてしまった。そのことに、全部が覗き込まれている気がして、アルトは心の底から震えあがった。


「君さ、命が惜しくないのかな? どうなの?」


「い、いえ。そういうわけではないのですが……」


 子供を助けに行ったと言いたいところだが、それでは子供を言い訳に使ってしまう。それは何となくだけどしたくはなかった。


「ちゃんと言ったらどうかな? その赤ちゃんを助けに行ってましたって」


「ど、どうしてそれを!?」


「見たらわかるでしょうに。それで、何か申し開きある?」


「ありません……でも、そんな時長ならどうしていましたか?」


 アルトは長に問う。あの場面でアルトに出来ると思ったのはこれだけだ。


 ──もし、長でも答えられなかったら僕は間違っていない。


「そうだね……オビタを呼ばせに行くんじゃないかな? 君がいなければウルズも全力で走れたはずだ。助けを伝えに行くのに時間も掛からないだろう。君が時化の海の中を泳いで助けるよりも、遥かに早く救出が出来ただろうね」


 長の言葉にアルトは息を詰まらせる。そうだ、とアルトは思う。本気で走るウルズの速さを考慮すれば、それが一番ベストだ。それのに、あの時のアルトは今ある手札だけで救おうとしていた。


「いい機会だ、ここで一回きつく言っておくよ。。いいかい、ここでは君の他に適任が一杯いる。自分が、自分がと思っているうちはまだまだ。もっと視座を上げるんだ、まだわからないだろうがこれは覚えておいてくれ」


 何も言い返すことが出来ず、ただ聞くだけのアルトにキシリアはきつい口調で話す。アルトにその意味は半分も伝わっていない、ただ大事なことを教えてくれようとしていることだけは理解できた。


「……はい」落ち込んだ声でアルトはキシリアの言葉に返事をする。


「さて、詰めるのはこれぐらいにしておこうか。マーサ、この子はお腹を空かせているみたいだ、モルトのミルクを温めておいてくれ。それと、アルトはバオルの実を持ってくるように」


 キシリアは穏やかな声でマーサとアルトに指示を飛ばす。切り替えの早さにアルトは呆気に取られてしまった。


「どうしたの、君が連れて来たんだから君も面倒を見ないといけないよ? さぁ、これ以上風が強くなる前に行った行った」


「は、はい! それじゃあ、マーサさん。この子をお願いします!」


「はいはい、気を付けて行って来るのよ!」


 近くに居たマーサに子供を預け、アルトは洞穴の外に出る。外では段々と風が強くなってきていた。


 アルトが洞穴から出ようとした時、後ろで小さくキシリアが呟いた声が耳に入って来た。洞穴だから、声が響いたのだろう。


「──鬼の子、か」と、キシリアはそう言ったのだった。


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