目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第5話「忌み子」

「これでいいよね?」


 一番よさそうな物を選び、アルトは木の上から実を落とした。バオルの実は表面がカチカチに固く、ちょっとやそっとの衝撃じゃ潰れないから雑に扱っても大丈夫だ。鉈で思い切り殴りつけてようやく少しだけ切れ込みが入る程度の硬さをしている。


 地面に落ちたバオルの実のでっぱりの先にあるが外れていないことを確認してから、アルトはバオルの木から降りることにした。アルトの身長三つ分の高さがある木から飛び降りる。ウルズがいたらまた怒られただろう。


 地面に降りた衝撃で足が少しだけじーんと痺れるが、直ぐに元に戻る。後は帰るだけ、洞穴はここから二百歩程の所にあるから帰るのはすぐだ。


「早く帰らなきゃな」


 子供に早くご飯を食べさせてあげたい。ずっと泣きっぱなしでは喉が壊れてしまわないか少しだけ不安だった。アルトは両手でバオルの実を持ち、そのまま抱えながら洞穴まで走ることにした。


 たぷんたぷんと実からは音が聞こえてきた。片手で持てない程に大きな実の中には、甘くて美味しい汁がたっぷりと詰まっている。


 アルトはこの実を好んでよく飲んでいた。村の人達は飲まないから人間族だけの飲み物。沢山なっているから一日に何個も飲みたいが、キシリアからは一日に二個までと制限が掛かっている。


 ──嵐が来たらこの実はどうなるんだろうか。とアルトは思う。


 この実は一日で中の汁が変質して酸っぱい異臭を放つから取り置きをしておくことが出来ない。一回それをやらかしてしまい、キシリアに詰められたことがあった。


 もし、この実が全部落ちてしまったら、次に来た時に凄い異臭が辺りに漂うことだろう。それをアルトは想像し、顔をしかめた。


「いや、そんなことを考えている場合じゃないな」


 洞穴に向かっている途中、ぱらりぱらりと雨が降り始めた。気付けば、黒い雲がアルトの真上の方まで掛かって来ている。もうすぐ嵐が来る。’


「急げ急げ!」


 せっかく乾いて来たのにまた身体を濡れるのは嫌だった。アルトは更に速度を上げる為、足に力を込めて全力で洞穴へと走った。


「ハァ……ハァ……アルト、ただいま戻りました!」


「お、王子様のお帰りだぞ」


 狼人族の男衆の一人がアルトの到着に気付いた。その野太く低い声はダマネスだ。ただでさえ黒い毛に覆われた狼人なので、暗闇の中ではまるで見えない。


 入り口の付近では、狼人の男衆が重たい荷物の片付けをしていた。アルトが人数を数えると、二十人。狼人はウルズ以外全員戻って来ている。


 狼人の男衆達は、おう王子様、お帰り。やら、アルト様お疲れ様でした。など言ってくる。……後の言葉はオビタの物だな。


 皆はただの人であるアルトのことを敬ってくれている。それが皆の為に自身の力で何かを返さなければいけないと思うアルトの糧となっていた。


「アルト、こっちに来てくれ」


 キシリアの言葉に促されるように、人垣が割れた。アルトはその間を潜り抜け、キシリアの元へと向かう。


 洞穴の奥でキシリアは、地面に松明を刺し両手で子供をあやしていた。


「長、バオルの実はこれでいいですか?」


「うん、いい物を選んできたね。マーサ、その実の中身をミルクと混ぜてくれ」


「はいはい。アルトちゃんの時と同じでいいのね」


 バオルの実をマーサに渡すと彼女は実のてっぺんにあるヘタを抜いてそこに熱々に熱したミルクを入れ始めた。白い湯気が上がり、甘い香りがこちらまで漂ってくる。あまりにもいい匂いに、アルトは口の中にわいてきた唾を飲み込んだ。


 マーサは鍋に入っていたミルクを全部入れた後、ヘタを付けて振り始める。アルトは何をしたらいいのかわからず、ただ、その光景をじっとみることしか出来ない。


「えっと、僕に出来ることはないですか?」


 いたたまれなくなって声を掛けてみたが、長は首を横に振り、口を開く。


「君に出来ることはないね、今はやり方を見ているといい」


「……はい」


「そんなに焦ることはないよ。君には教えてないことが沢山あるからね。まだまだ人生は長いんだ、たった九つの子供がここまで出来るだけでも凄いんだよ」


 キシリアは子供をあやしながら、立ち尽くすアルトのことをちらりとだけ確認して口を開いた。


「それじゃあ待っている間、勉強といこうか。いいかい、鍋でミルクを加熱することで殺菌をするんだ。生のミルクに入っている菌は、子供にとって毒だからね。そして、バオルの実にある栄養は身体に必要な物を全て備えている。だからミルクと混ぜると赤ちゃんにとって最高の食事になるんだ」


「栄養、ですか」


 そんなことは初耳だった。ただ、今までは飲み過ぎるなとだけ聞いただけだ。


「そう、栄養。その栄養には酸い匂いに変わる要素が入っている。君も経験したことあるだろう?」


 経験した、そして長に詰められた。……あれがそうだったのか。とアルトは納得をする。


「はい……もしかして、二個までって制限も?」


「そうだね、飲み過ぎると栄養の摂り過ぎで病気になる。何事も過ぎれば毒になるからね」


「……知りませんでした」


「別に知らなくても、制限をしておけば大丈夫だろう? 君は約束を破るような馬鹿じゃないしね。それに、今は他に色々なことを覚えて欲しかったからさ。マーサ、そろそろ大丈夫だと思う」


「はいはい、いい感じだよ」


 マーサはウルベと同じ狼人、体温が人族よりも高いから細かい温度調節は苦手だ。キシリアは胡坐をかいて子供をその上に寝かせ、マーサからバオルの実を渡してもらっていた。


「うん、ちょうどいい温度だ。久々だけどよく覚えていたね」


「アルトちゃんの時に嫌って程仕込まれましたからね」


 マーサからそう言われアルトは恥ずかしくなった。この人がアルトの育ての母親だ。なので種族が違っても、しっかりとした絆を感じる時がある。


 恥ずかしがっているアルトをよそに、キシリアはバオルの実の尖った部分を子供の口に押し付けた。「ほら、お飲み」その一言で子供が一心不乱にヘタの先に吸い付くのを見て、アルトはホッと一息を吐く。


「ありがとうございました。僕一人だけではどうしようもなかった」


「どういたしまして」


 キシリアはアルトに笑顔を向ける。しかし、その笑顔は長く続かなかった。数秒後、キシリアは真面目な面持ちでアルトの顔をじっと見ていた。


 アルトはキシリアの急変にぎくりとした。言葉が出ない、何も言えない。キシリアの出す空気がそれを許してくれない。


 張り詰めた空気の中でキシリアは「でもね、アルト」と言葉を発した後、こう続けた。


「この子はここに置いておくことが出来ない」


 アルトがその言葉を理解するまで、しばらく時間を要した。キシリアが何を言っているのかわからない。


 この子はここに置いておくことが出来ない? どうして──。


「──どうして、ですか」


 疑問が口をついて出ていた。アルトが考えて出した言葉ではない。アルトの心から出た純粋な疑問だった。キシリアは、この島の人達はこの子と同じ境遇だったアルトを拾って育ててくれていた。それなのに、どうしてこの子は見捨てるんだ。


 アルトの心にはやるせない気持ちが溢れていた。がっかりした、と言ってもいい。皆は優しく、誰かを見捨てるなんてことをしないなんて、アルトは思っていた。


「初めてだね、君が僕の意見に反発を示すのは。もしかして、君は僕達がただの慈善で動くとでも思っていたのかい?」


「そういう……訳では……」


 キシリアに言われてアルトは気付く。彼らに自分の理想を押し付けてしまっていたことに。


「君は僕の意見に逆らうつもりかな?」


 アルトは考える。キシリアの指示は全て的確で、一切の間違いも無い。間に合ってないと思っていた荷物運びだって、男衆が戻ってくることを想定していたのか、今では綺麗に整頓が終わっている。なんならこの嵐が終わる時間まで見越しているのかもしれない。


 ────だけど。


「そういう訳ではないです。僕は理由が知りたいだけだ」


 キシリアの目をしっかりと見ながら、アルトは自分の意志をぶつけた。普段なら絶対にしない行為だ、だけど今は赤ん坊の命が掛かっている。


 ──助けてあげて。


 あの時に聞こえた言葉がアルトの中に残っている。それがなになのかわからないが、アルトを突き動かす物だ。


「ふぅん、いい目をしている。実にいい目だよ、アルト」


 キシリアが、「君」ではなく、「アルト」と名前を呼び笑った。

 何がそんなに面白いのだろうか、とアルトは呆気にとられてしまった。自分は勇気を出して向き合っているというのに。


「そうだね、アルトが出す初めての勇気に免じて教えてあげるよ。この子は鬼の子、忌み子ナナキだよ」


「……ななき?」


 初めて聞く単語だった。頭の中で変換させようにも一向に浮かばない。アルトは話を理解出来なかったので、「すみません、わかりません」と正直に答えた。


「ははは、まだ教えてないからわからないと思うよ」


 そんなアルトが面白かったのか、キシリアは大きく笑った。なら、そんな言葉を使わないで欲しい。アルトは少しだけ苛立ちを覚える。


「ごめんごめん、でも使わないと思ってた単語だし後回しにしていたんだ。ちなみにそれ以外に表す言葉はない。名前が無き者、それがナナキだからね」


「名前が無い、それってどういう意味ですか?」


 食い入るように、情報を少しでも残さないようにキシリアへと詰め寄るアルト。そんなアルトにキシリアは気まずそうに苦笑いを浮かべた。


「はは、普段とは逆の立場だね。安心してくれ包み隠さず教えるから。この子のツノを君も見ただろ?」


 キシリアの言葉にアルトは頷く。最初に出会った時、この子の額から生えている黒いツノをアルトは見た。


「これを持つ子はね、本土では神殺しと呼ばれている。だから人々は、こういう子達を忌み子として扱った。この子は世界が安穏でいる為に殺されるべき存在というわけさ」


「殺──!?」


 アルトはキシリアの説明を受けて頭の中が真っ白になった気がした。彼の言葉が受け入れられない。こんなに、必死に生きようとしているのに生きることが許されない。そんな存在がいることがアルトには信じられなかった。


「でもね、鬼の子は本来ならそのまま殺されるはずなんだ。それが何故ここにいると思う?」


「……誰かが、逃がしたんですね」


「そう、それは生きて欲しいという願いだったのか、それとも自分で殺したくなかったのかは知らないけど……その親達は逃げたんだよ自分の子供からね」


 キシリアは目を伏せる。アルトも同じ境遇だったから言いづらかったのだろう。だけど、まだそれではこの子をここに置いてはいけない理由には足りない。


「鬼の子が忌み子だというのはわかりました。でも、ここに置くのがダメな理由にはならない! この島ならば幸せに過ごせるんじゃないですか!?」


 神を殺すとか、そんな迷信の為に命が左右されるだなんて馬鹿げている。とアルトは思っている。だから、アルトは自身の気持ちを主張した。しかし、キシリアは顔をしかめるだけだ。アルトは自身の気持ちが透かされているように感じた。


「そうだね、じゃあこれが最後だ。本土にはこういう言い伝えがあるんだ」


 キシリアは少しだけ息を吸い、一拍置き口を開く。


「──鬼の子は災いを呼ぶ」


「それだけでっ!? それだけでこの子の命を散らすというのですか!」


 それはただの迷信。そう、迷信であるはずだ。それなのに、それなのにキシリアは悲しそうな顔をしている。


「そう、それだけさ。だけど現に今、この島には災いが来ている。その原因がこの子じゃないと、君は証明できるのかい?」


 そうだ、アルトが子供の時から一度も来なかった嵐がこの子が来た瞬間に起きた。ただ偶然が重なっただけかもしれない。だけど、それを証明する方法が今のアルトにはない。


「だから、この子はもう一度流そうと思う。それに、ここに置いたとして誰が面倒を見るんだい? 君は自分の面倒さえまだみれないじゃないか」


 キシリアの決定は間違いではない。別に保護をしなければいけない理由なんてない。ただ、アルトは運がよくて、赤ん坊は運が悪かっただけ。それでも──そんなに残酷なことはない。


「⋯⋯僕はその決定に従うことが出来ません」


 アルトは意見をする。この子と自身の立場が入れ替わる可能性だってあった。


 ──なら、僕はこの子を受け入れなきゃだめなんだ。同じ境遇の者にそういった感情を覚えてしまうのは悪い事だろうか? もし、そうなら僕は悪でもいい。


「ほぅ、ならどうする? 私の指示に歯向かうつもりかい?」


 キシリアの目が怪しく光る、アルトの一挙手一投足を逃さないといった目つきだ。キシリアの圧に、アルトは体を震わせて生唾を飲み込む。それでも、その目には光があった。


「アルトちゃん、キシリアさんのいうことを聞いた方がいいわよ?」


 マーサはキシリアの味方のようだった。そりゃ、キシリアが絶対に正しい。だって間違いをしてこなかった人だから。自分の主張をするしかないアルトなんかと比べ物にならない説得力だってある。


「……それでもです。もし、長がこの子を放り出すというのなら、僕が代わりに育てます!」


 ──この子は絶対に殺させない。僕の家族にするんだ!


 心のどこかから燃え滾るような強い気持ちが湧き出てくる。知識も無いのに出来るのかだなんて、そんなことは知らない。ただ後悔したくないだけだとアルトは自身の気持ちに言葉をつけていく。


「……もし、ダメだと言ったら?」


「それなら諦めたフリをして、その子が海に流された瞬間にもう一度助けるだけです!」


「はぁ、面倒だなぁ⋯⋯別に今殺してもいいんだよ?」


 キシリアはその子の首に手を置いた。マーサは何も言わずにキシリアに全てを委ねている。


 その手を見てアルトの心はざわついた。あの手で一捻りすれば子供の命は潰える。儚い命、自分が死んだことすら認識出来ずに世界から消えていく。


「──やめろ」


「なんで? この子はいずれこうなる運命だ。なぜ私を生かしたと、君がこの子に責められるかもしれないんだよ?」


 どこにいても、命の危険がある。この世界に存在してはならないモノ。長の言う未来がアルトにもわからないわけでもない。


「──でも、だからって生きてはいけない理由などどこにもない。僕が、僕だけがこの子を認める。この世界で生きていいんだよって言い続ける。それは、親に捨てられた僕にしか出来ないことだから」


 そこまで言葉を吐き出し、アルトは息を吸い込む。これは自分への決意表明だった。


「僕がその子を守り続ける。何者にも負けない力を付けて絶対に守ってやる。だから……その子から手を離せ、キシリア!」


「──ふふふ……あっはっはっはっは!」


 アルトの決意にキシリアは爆笑をし始めた。さっきまで子供の首にかけていた手を自身の目元まで持っていき、目を覆っている。初めて見せるその笑い方にアルトは呆気に取られてしまった。


「ああ、面白い。わかったわかった、君がそういうならこの子のことは全て任せよう。皆も覚悟しておいてね、ウチの王子様が鬼を匿うっていうんだ。何があってもこの二人は守り通す覚悟を持ってくれ。いいね!」


 おおおおおお! と洞穴の中で皆の雄叫びが上がる。それにアルトは口を大きく開けてぽかんとした。


「アルかっこよかったっぺ!」


 いつの間にか、ウルベがアルトの後ろで尻尾を振っていた。


 ──おかしい⋯⋯ウルベはこんなに近くにいたのにどうして口を挟まなかったんだ? この人情家のことだ、長があんなことを言ったら真っ先に反対を……って、まさか。


「⋯⋯僕を試したんですか?」


「そうだよ!」


 あっけらかんと悪びれもなくキシリアはアルトに真実を伝える。もしかして、バオルの実を取に行かせたのは仕込みをする為か? とアルトは訝しんだ。


「何手先まで読んでるんですか、貴方は……」


 ここまでされたらアルトは敗北を認めるしかなかった。アルトがこの子に入れ込むことを見越していたとしたなら流石に怖い。


「うーん、何手先とかじゃないかな。全てを見てるんだよね……冗談冗談。そんなに怯えないでよ」


 松明の灯りのせいか、キシリアの真っ赤な目が怪しく光った気がして、アルトは少しだけ恐ろしくなった。この人なら冗談でもなく本当じゃないかと思える程の説得力がそこにはあった。


「でも、そっか。アルトはこうしたか。なるほどな、面白くなりそうだ」


 キシリアは独り言をぶつぶつ言い始めた。その膝の上では、飲むのに満足したのか穏やかな寝顔で鬼の子供が寝ている。


「⋯⋯はは、人の気も知らないで」


 苦笑いをしてしまったが、アルトの心は穏やかな物だった。


 ──この子を家族にする。そういう誓いを、アルトは皆の前で立てたのだった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?