〈理代視点〉
明坂さんと出会ってしまったあの日以降、わたしは学校に行けなくなった。
行こうとしても、身体が震えて、激しい動悸に襲われて、不安で不安で足が動かなくなってしまったから。
わたしの通う学校に明坂さんはいない。そんなことはもちろんわかっている。
でも、もしかしたら通学途中にばったり遭うかもしれない。
それに、わたしは友達であるはずのみんなと会うことすら怖くなっていた。
みんなにとって、わたしは本当に友達……なのだろうか。
もしかしたら、わたしを傷付けないために無理にそう言っているだけかもしれない。
この関係性に我慢している可能性だってある。
そんなわけがないって心の底では思うけれど、嫌な思考は止まらない。止まってくれない。
桃乃ちゃんと茜ちゃんは幼馴染だと言っていた。
つまり、わたしは二人の関係に割り込んだ形になってしまったのだ。
二人の仲を邪魔していないかと問われれば頷ける自信はない。
剣村くんだって、せっかくテニス部へ誘ってくれたのにわたしは上手く返事ができなかった。
気を悪くしたかもしれない。
たーくんには……いっぱい迷惑をかけてきた。
わたしはいつもたーくんに支えてもらって生きてきた。
中学の時だってそう。数えきれないほどやっかいごとをたーくんには押し付けてしまった。
今回は呆れてしまったかもしれない。失望したかもしれない。
わたしが明坂さんと出会っただけで一瞬で折れて引きこもるようになって、こんな脆いんだって。
手がかかりすぎだって。見捨てられたっておかしくない。
わたしはたーくんから貰った分の恩を全然返せていないのにまた迷惑をかけようとしている。
そんな自分が嫌だった。
だから、会いにいくことなんてできなかった。
誰とも顔を合わせたくない。
一日、また一日と時が過ぎていく。
学校に行く意欲は日に日になくなっていった。
怖さが上回ったと言うべきなのかもしれない。
怖い。
みんながどんな目でわたしを見るのか。
何を訊かれるのか。
想像するだけで逃げ出したくなるような大きな不安や吐き気に襲われる。
休み始めてから食事の量が減った。
料理を作ることはほとんどなくなった。
適当に家にあったカップ麺を食べたり、炊いてあったご飯にふりかけをかけて食べたり。
今まで楽しんでいた料理や食事を純粋に楽しめなくなっていた。
なんでかはわからない。
こんな自分のために何かをすることに意味を見出せなかったのかもしれない。
部屋でベッドに寝転がり、何もせずに時間を過ごす。
スマホをいじることもあった。みんなからはLILIが来ていたけれど返せない。
それどころか、既読すら怖くて付けられなかった。
既読してしまったら何かを送らなくてはならなくなる。
でもなんと送ればいいのかわからない。
『何があったのかわからないけれど、私たちは味方だからね』
『気持ちが落ち着いたら学校おいでー! ゆっくり待ってるから!』
せっかく、優しいメッセージを送ってくれたのに。
罪悪感で胸が苦しくなった。
部屋を見渡すと、ハンガーにかけられた洋服が目に入る。
二人に選んでもらった服。
もう、袖を通すことはないかもしれない。
だって、わたしには不相応だから。
スマホの写真フォルダを見れば、その服を着て、楽しそうに微笑むわたしがいた。どうしたらこんな表情を浮かべられるのか、今となってはわからない。
思い出が頭の中を流れていく。
飲み物を飲んだこと。
遊園地に行ったこと。
髪型と洋服をガラリと変えたこと。
同時に嫌な記憶が、言葉が蘇る。
わたしにその場は相応しくない。
みんなと関わるべきじゃない。
そんなコーデは似合わない。
感情を吐き出すように髪をくしゃりと握る。梳かしていない髪はボサボサで、ケアも怠っているから艶がなかった。
でもきっと、これがわたしらしい髪。
正しい結論は出ているはずなのに、鼻がつんとした。
スマホを操作して、検索画面に行きつく。
不登校のことや、迷惑をかけてきた相手にどうすればいいのか、自分はどうやって生きていくべきなのか、色んな記事やつぶやきを眺める。
どれも良さそうなことは書かれていた。けれど、自分に照らし合わせるとなぜだかしっくりこない。
しばらく眺めていると、ガチャンと一階からから音がした。
時計を確認するともう六時半だった。
お母さんが帰ってきたのだろう。重い身体を起こして、階段を降りていく。
「お、おかえり」
リビングに入ってすぐ、仕事帰りのお母さんにわたしは目も合わせずに言う。
「はぁ……」
それに対し、お母さんは露骨なため息を吐いた。
「あのさ、仕事帰りで疲れてるんだよこっちは。イライラさせないでよ。学校くらいちゃんと行ってくんない? 学生のうちからこうだと社会で生きていけないからね?」
「わ、わかってる。その、も、もう少ししたらちゃんと行くから……」
わたしは苦し紛れに言い訳をする。もう少しで行ける保証なんてどこにもなかった。
むしろ、どんどん行けなくなってきている。
でも、そう言うしかなかった。
それ以外の回答が浮かばなかった。
「そう言ってさ、中学の時も何ヶ月も休んだくせに。お母さんちゃんと覚えてるからね。行きます行きますって言って、毎日ゴロゴロしてたんでしょ? お母さんがこんな頑張って働いて養ってあげてるのに」
「ご、ごめんなさ――」
「だいたいさ、さっきからオドオドした態度でムカつくんだよ。別れた
「……っ」
怒りを露わにして言い放つ。
お母さんが言った
わたしが小さい頃は二人とも仲が良かった。今思えば理想の家庭、みたいな感じだった。
でも、いつからか、二人は喧嘩が増えて、しまいにはお父さんは家を出て行ってしまった。
お金だけは毎月払ってくれているらしいが、何年も顔を合わせていない。
「今度はだんまり。……まあいいや、夕食食べましょ」
「……うん」
一通り言い切って落ち着いたのか、お母さんは静かになった。
お母さんが買ってきた出来合いの料理をテーブルに並べて静かにつまんでいく。
食事の時間だけは一緒に食べることになっている。
仲が良くなくても、わたしとお母さんは互いに家族なのだから、と。無理して家族を演じるように。
まだ怒られるのではないかと怯えてしまい、食事に集中できず、味がわからない。
噛んで、噛んで、飲み込む。
まるでそれをロボットのように淡々と繰り返す。
食事を終えるとまた部屋に引きこもった。
こうして毎日が過ぎていくのだろうか。
この先もずっと。
わたしは、どうなってしまうんだろう。
目先の不安はあるけれど、前に踏み出す不安のほうがずっと大きい。
わたしはすべてから目を背けて、見ないふりをして、殻にこもる。
これでいいんだ。
ここなら怖いこともつらいこともない。
わたしはもう、誰とも会いたくない。
誰も信じられない。
そんな自分が嫌だ。
だから、関わってほしくない。
布団を被って、音も視界も遮断した。
何も聞きたくなくないから。
何も見たくないから。