翌朝。俺と理代は並んで通学路を歩いていた。
「ほんとにもう大丈夫なのか?」
「うん。心配ご無用!」
夏が近づいて少し暑くなってきた気がする今日この頃。
時々肌を撫でる冷たい風が心地よい。
隣に目を向けると、元気な笑みを浮かべた理代がそこにはいて。太陽はそのことを祝福するかのように眩しく輝いている。
もう戻らないかもしれないと恐れたこの光景が再び戻ってきたことに、心からの安堵を覚える。
今日は学校に行けると言われ、理代の家の前で待っていたところ、ちゃんとやってきた。
髪は綺麗に整えられ、肌にはハリが戻っており、表情は生き生きとしている。
「このあいだはパンケーキ作ってくれてありがとう! おいしかったよ」
「そう言ってくれると嬉しいよ」
パンケーキは作るのが大変なことを知った。
いろどり豊かなお弁当を日々作る理代はすごいなと思う。
今日は久々の登校なのに、俺の分の弁当まで作ってくれていた。
元気そうに見えるが、学校生活には些か不安が残る。
久しぶりすぎて体調を崩したりしないだろうか。理代は頑張ると空回りすることがあるから少し心配だ。
「みんなに心配かけただろうから、ちゃんと謝らなきゃ……」
「LILIのほうは返信できたのか?」
理代が学校に来ないことを心配して、椎川たちはLILIを送っていたことを直接聞いている。そして、理代から何も返って来なかったことも。
きっと、悩みすぎて返せなくなってしまったのだろう。
「昨日たーくんが部屋に戻ってから返したよ。数日ぶりにLILIを送るのってすごく勇気がいるね……。送信ボタンを押す前に何度も何度も文面を読み直しておかしいところがないか不安で不安で、実は今も不安で……」
「今も?」
「何日も返さなかったから変に思われてないかなって。嫌がられてないかなって……」
「心配ご無用はどこいったんだよ」
「ちゃんとご無用だよ! それくらい自分でやったことなんだし、ちゃんと直接会って、誠心誠意謝るから」
「でも、そこまで不安にならなくても大丈夫だと思うぞ」
「……へ?」
「みんな、優しいからな」
理代が学校を休んでいる間、俺は椎川たちがどれだけ気にかけていたのかをこの目で見ている。
だから、みんなが怒らないことぐらいわかっていた。
本当にいい友達を持ったなと感じたのだった。
電車に乗るときになっても、理代は俺の隣にいた。
いつもは別々の車両に乗るのに。
どういう心境の変化だろうか。
気になったが地味に訊きづらい。
いたたまれなくなった俺は、車窓の景色に目を移す。
流れていく景色が、いつもより鮮やかに見えた気がした。
* * *
教室に入ると、理代のもとへ椎川が小走りでやってきた。その勢いのまま、理代を抱きしめた。
完全に困惑した顔を浮かべこちらに助けを求める視線を投げてくるが、俺にどうしろと……。
「理代ちゃんが無事学校に来てくれて、本当によかった……」
「えっと、あの、茜ちゃんっ」
「ボーリング場で何があったのか詳しく知らないけれど、私は理代ちゃんの味方だし、いくらでも相談に乗るから、もし話せるようになったら話してね」
「は、はいっ」
「おっはよーん……ってほんとに理代チャンいる!」
ちょうどそこへ久須美がやってきた。
久々に見る理代の姿に目をまんまるとさせている。
「よかったーぁ! ほんと無事でよかったよぉぉお」
そして、久須美も椎川と同じように理代へ抱きついた。
再び助けを求めるような視線を寄越してくるが、俺には何もできないから諦めてくれ……。
「アタシが理代チャンの住むところにみんなで遊びに行く提案をしなければこんなことは起こらなかったから責任感じてて……。もしこれで理代チャンが完全に塞ぎこんじゃったらどうしようかと思ったよ」
「桃乃ちゃんは悪くないよ! わ、わたしが過去のことを話さなかったせいだから……」
「橘師匠じゃないか!」
少し不穏な空気となったところで剣村が教室へ入ってきた。
暗い空気を変えてくれるだろうか。
「剣村クン、まだその呼び方続けるつもりなの?」
「敬意を込めて呼んでいるのに、なぜだ……」
「ダメだこれ、やっぱいいや」
久須美は剣村を納得させることを諦めたようだった。
と、そんな光景を見ていたら椎川が隣へやってきた。
「幸田くん、理代ちゃんのことありがとね」
理代のことを俺にすべて任せたことに対するお礼をしにきたのだろう。
「お礼なんていらないよ。俺は結局、自分のために理代を外へ引っ張り出したんだから」
「……? よくわからないけれど、幸田くん自身のためだとしても、その行動によって私たちも救われてるから、お礼の一つくらい受け取ってほしいな」
「わ、わかった……」
ぎこちない会話をしていたら、理代が何やら言いたげな視線を向けてくる。
「どうかしたのか?」
「あの、今回のこと、ちゃんとみんなに話そうと思って。心配をかけたのに、黙ったままは嫌だなって……」
「いいんじゃないか、理代がそう決めたなら。ただ、くれぐれも無理はするなよ」
「うん」
理代は深呼吸をして、俺たちと向き合った。
「あのね、聞いてほしいことがあるんだ」
そう切り出して、理代はボーリング場で起こったこと、そして自分自身の過去について話し始めた。
いじめられた過去をみんなの前で話すのは、非常に心苦しいものだろう。実際、今まで言いづらくて口にできなかったのだ。
そんな、理代にとって重く辛い過去を語るうえで、心が不安定になってしまわないか心配だった。
過去を思い出すと言う事は、あの出来事を振り返ると言うことだ。理代にとっては、もう二度と思い出したくないことのはずで。話し続けるなかで精神を保てるのか、そこばかり意識してしまった。
だが、そんな俺の心配とは裏腹に、理代の表情はそこまで沈んではいなかった。
過去に囚われず、ちゃんと前を向いている、そんな表情だった。
明坂とのこともしっかり話した。そして、中学時代に不登校だったことも。
過去を話し終え、理代は告げる。
「わたしは、ずっと……みんなみたいになりたかった」
理代は前まで周りのみんなを眩しい目で見ることがあった。
それは憧れや情景といった意味合いが込められたものだった。
しかし、当時の理代は自信がなく、自分が同じところへたどり着けるとは夢にも思っていなかった。
「普通に学校に行って、友達を作って、放課後は遊んで……みんなにとっての当たり前は、わたしにとってはどれも難しかった」
会話が苦手で、臆病で、考えすぎてしまって。
そんな理代だから、みんなが簡単とすることでも難しかったのだろう。そこに入るには、人一倍努力が必要だった。
「頑張らなきゃって思えば思うほど足が動かなくなった。なんとかできたと思っても、些細な発言をずっと後悔しちゃったり、すぐに体調崩したり、人との違いを思い知らされた」
理代が発熱したときに見せた弱み。
あれが、理代が抱えているものなのだろう。
いろいろ抱えながら、理代はゆっくり成長していった。
それは普通の人よりも遅いかもしれない。
だが、理代はなりたい自分を目指し続けた。
「それでも、みんなはわたしと一緒にいてくれた。わたしも、みんなと一緒にいたい。まだやりたいことも、話したいこともたくさんあるから!」
友達への感謝を忘れない心。
その心がある理代ならば、きっと楽しい日々が待っているはずだ。
「たとえ明坂さんが何と言おうと、わたしを必要としてくれる人がちゃんといる。胸を張って友達だって言える人もいる。わたしは、引きこもってばかりじゃなくて、前を向いて歩いていける」
理代は二度も挫けたが、立ち直ったのだ。
「だからわたしはもう大丈夫。みんなにたくさん心配かけて、本当にごめんなさい」
最後に理代は頭を深く下げた。
今回、みんなを巻き込んで不安にさせてしまったことに、罪悪感を覚えていたのだろう。
でもそんな理代に対して、
「いじめられてたとかやばいんだけど。理代チャン、ほんとに大丈夫? 辛いことがあったら気軽に話してね?」
「その人とは違って、私たちは理代ちゃんの本当の友達だからね」
「橘師匠を侮辱するとは酷いやつだな。あんなにすごいイラストを描けるのに」
暖かい仲間が支えてくれる。
その温もりに、理代は涙を流すのだった。