ミューズはあれ以来部屋から出られなくなってしまった。
体の疲れもあるが、精神的な問題だ。
(皆が妙に優しいのは、あんな事をしたというのを知っているからだわ)
知らなかった。夫婦になるということが、あんなにも体力が要って、あんなにも恥ずかしいものなんて。
「あの、ミューズ様。そろそろ部屋の外に出ませんか?」
侍女のチェルシーの言葉に、ミューズはふるふると首を振る。
「ごめんね、もう少し待って欲しいの」
ミューズは人と会う勇気が出ず、あれ以来部屋に籠もりっきりになっている。
否が応でも意識をしてしまい、皆の視線が怖いのだ。
ティタンにも会えない。どうしてもあの夜を思い出してしまうと、顔が見られない。
◇◇◇
「元気出してください」
「元気? どうやって出るんだ、そんなもの……」
ルドの励ましにもティタンは落ち込んだままだ。
ミューズに会うことも出来ないティタンは、あれから何も手がつかない。
ミューズの方はチェルシーを介して、部屋で出来る仕事はしてくれているが、ティタンはまるで動くことが出来ない。
動くどころか食事も促さなければ食べないので、いつもの半量以下しか取らなかった。
「あの日の自分を殺したい」
両手で顔を覆いそんなことを言い出すティタンに、ルドは天を仰いだ。
(これは相当ヤバいな)
解決すべきはミューズの方だ、会いさえ出来ればきっとティタンは回復する。
その為にはこの問題を解決出来そうで、真摯に話せる人に相談をしなくては。
「ティタン様は怒るかもしれないが、でも……」
このままでは居られないと、ルドは自分の中で最適だと思う人物に声を掛けに向かった。
◇◇◇
ノックの音にミューズはびくっとする。
チェルシーが代わりに出てくれるが、なかなか戻ってこない。
「どうしたのかしら?」
重要な話をしてるのだろうか。
まさかアドガルムに迷惑をかけてしまい、それでセラフィムに返される算段なのか。
それは困る。
今は戸惑いが多いけれどティタンと別れたくはない、ソワソワしているとチェルシーが戻ってきた。
「どうしたの? やけに話が長かったようだけど」
「ミューズ様とお話したいと言う方がいらしてて、今お部屋にお連れします」
(お連れします?)
許可を求める言葉ではなく、断定した言葉であった。
「ミューズさん、失礼するわね」
「アナ様?!」
突然王妃のアナスタシアが来たものだから、驚きで目を瞠る。
「部屋から全く出てこないと聞いて心配したのだけど、元気そうでよかったわ」
どうやら物凄く心配をかけていたようだ。
部屋に入ってもらい、対面に座ると頭を下げられた。
「ごめんなさい、息子があなたを傷つけたのよね」
「えっ?」
「だって、息子と結ばれた日から部屋から出なくなったと聞いて。きっと酷いことをされたのでしょう?」
「違います」
ミューズは顔が赤くなるのを押さえられない。
「私が勝手に羞恥を感じ、人に会うのが怖くなってしまって……ティタン様は酷くありません、寧ろ優しくしてくれて」
ティタンの母に何という事を話してるのかと、赤くなる頬を両手で抑えるが、全く熱はひかない。
「何故、人に会うのがこわいの?」
「皆に私がティタン様とその、あのような行為をしたと知られているのが……恥ずかしくて」
「夫婦になったのだから当然の事よ」
当然、という言葉にミューズはハッとした。
「夫婦であれば、当たり前なのですか?」
「誰でもそう。子どもを産むために必要な事だもの、ミューズさんだけではなく、レナンさんやマオさんだってそうだわ」
具体的に名前を出され、想像してしまい、赤くなってしまうが、考えればそうだ。
子どもを産むために必要な事で、特別な事ではない。
「その事で誰かにからかわれたり、悪しく言われたの?」
ミューズは首を横に振る、寧ろ優しくされた。
「大事なことだから、皆があなたを気遣ったのよ。誰も何も言わないわ。皆大人なのだから」
ミューズだけが気にして、空回りしていたのだ。
「すみません……」
真面目すぎて耐性がなく、考え込み過ぎてしまった。
アナスタシアはティタンが嫌われたわけではないようで、ホッとする。
「ではティタンに会ってあげてほしいの。あなたに会えないから何も手につかなくて、まともに食事も出来ないらしくて」
思わぬ情報にミューズは立ち上がる。
「そうなのですか? ティタン様は、大丈夫なのですか?」
「あなたに嫌われたんじゃないかと、死にそうな顔をしているらしいわ。会って、安心させてあげて欲しいの」
アナスタシアに感謝の言葉を述べ、すぐさま向かうミューズを見て、アナスタシアは安堵の息を吐く。
真面目すぎるのも大変なんだなと、初々しさに苦笑した。
◇◇◇
「お待ちしておりましたミューズ様、すぐにティタン様に声を掛けます」
これで主が元に戻るとルドは嬉しい、逸る気持ちを抑え、ルドはすぐに入室の許可をティタンに求めた。
もはや無気力なティタンは椅子に座り、動かない。
受け入れてくれたミューズとの幸せな時間との後に、このような拒絶があるとは思っていなかった。
どうやって生きてきたかもわからない。
適当に入室許可も出す。
「ティタン様」
思いもかけないその声に弾かれたように椅子から立ち上がる。
「ミューズ!」
数日ぶりの再会だが、何故ここに?
来るはずなどないと思っていた、あれ程までに嫌がって拒否していたのに。
「離縁の話か?」
開口一番で放つティタンの言葉は、もはや好かれることなど諦めたものだった。
「違います、私は謝りに来たのです」
「謝るのは俺の方だ、いや謝ってすむものではないな。自分勝手な俺が全て悪いのだが、どうか許して欲しい」
深々と頭を下げるティタンは、全てを覚悟していた。
「このまま国に戻っても俺は何も言わないし、今後セラフィム国に仇為すものが出れば、駆けつけ手助けすると約束しよう。それで全てが戻るとは思わないが、せめてもの償いだ」
ミューズを傷つけたと思うティタンの、精一杯の謝罪だ。
「ですから、離縁もしないし国にも戻りません。私は謝りに来たのですから」
「何を謝ることがある? ミューズに落ち度などない」
ようやくティタンは顔を上げた。
少しやつれた顔と隈のある目元に、自分の愚かさを悔いる。己の無知さと神経質さが、ティタンを苦しめたのだ。
「いえ、私が悪いのです。変なプライドと、そして知識のなさがあらぬ考えに繋がり、本当に恥ずかしい……」
羞恥の想いは抑えられないが、それでもきちんと話さねば。
「夫婦の事、子作りの事、私は知らな過ぎました。ですから、皆が私とティタン様がそういう事をしたと知っているのが、どうしようもなく恥ずかしくて、顔を出せなかったのです」
言いながらも、もはや赤くなるところがないとばかりに、火照っている。
声も小さく聞き取りづらいが、それでもティタンは静かに耳を傾けていた。
「ティタン様に会うと、それを鮮明に思い出してしまって本当に恥ずかしくて……傷つけてしまってごめんなさい」
「俺が嫌いではないのか……?」
「いいえ、寧ろ大好きです。あなたが好き」
初めて聞いた言葉に、ティタンは大きくため息をついた。
嫌われていないと聞けたらそれで良かったのに、まさか好き、とまで言われるとは。
「これからも一緒に居てほしい」
「勿論です、今後もよろしくお願いします」