舞台を寒村地方にしているが、実際は我が家の柿の木の葉を掃除していた際にふと頭に浮かんだ光景を書いた。
光り物が好きな事を揶揄されるくだりは僕自身がモデルである。
その後、少年が天狗から解放される際に銀のバケツは返されるが、それには神通力が備わり、覗き見てみれば人の頭の中が見えるようになっていた──という、児童雑誌に依頼されて書いたお伽噺である──つまり、小柳君は『神隠し』の間、天狗に拐かされていたという事になる。
「実はね、先生……バケツだけじゃないんです。あれ以降、底のあいた筒状のものであれば私、人の心が覗けるようになってしまったんです……」
そう云って小柳君は座布団から腰を浮かすと両の手を望遠鏡のようにすぼめて僕に向け、立膝でツッ。と一歩近づいて来る。
「き、君には僕の心の中がみれると……?」
フッ。と溜め息を吐くかのように微かに笑い、両手をゆるりと解いて元に戻す。
「冗談ですよ。でも、天狗に攫われた事は本当です──先生。私はね、先生の作品に出会ってからと云うもの、この世の中の奇妙な事や不可思議な事、人智を超える空想的な出来事の全てが先生の頭の中から生じているのではないかと思ったくらいです」
「……ぼ、僕にはそんな神通力はないし、そんな大それた人間ではありません」
『夢』を題材とした作品を世に出した時に「自分の夢を作品にするならば、この悪夢を止めてくれ」という長い手紙をもらった事がある。
──その小説の名前は「夢蟲」。
先の戦時中、日々繰り返される空襲警報に神経を参らせていた僕は、母と二人きり疎開生活に入る事となった。
早くに亡くなった母と過ごせた時間は、今となっては貴重なひとときではあったが、そこで僕はある奇妙な体験をし、不眠症に陥った。
「夢蟲」はその時の体験に触発されて書いた草稿を元本とした作品である。
──僕は、僕は……。
ウウウウウ。とサイレンの音が甦る。
シュウシュウと焼夷弾の落ちる黒い影が見える。
フワフワと照明弾の光が眼前いっぱいに膨らむ。
そうして追いやられるように母と二人、山あいの村へと逃げるように旅立ち、そこで……。
ここまで思い出して目の前が暗転する。
書くことで昇華できたはずの、あの悪夢に再び捕らえられてしまった。
今が昼なのか、夜なのか、冬なのか、夏なのか、僕は大人なのか子供なのか、僕の経験を他人も経験するとはどういう事なのか。虚か実か。夢か現か──。
僕は誰なんだ?
ずさり。と前のめりに倒れる。
遠のく意識の中、小柳君がタエさんを呼ぶ声が聞こえた気がした。
だか、もはやそれさえも現実なのかわからない──。