高台から見下ろすと、その光景はどこの土地でもほとんど同じ、珍しいものではなかった。
壁に囲まれた都城形式の町の周囲にいくつもの集落が点在し、その間を広大な田畑や小さな森、川が埋めている。
明かりが灯る城壁外村落を目指し駆けていく。
ある地点に入った瞬間、肌の上を石鹸の泡が滑って行くような、すぐに消える薄い膜を潜った感覚が二人を包んで消えた。
「
「少し大げさな気がする。ここまで守りの方陣を強く張るのは、頻繁に怪異が起こる丘のせいだろうか。それとも……」
「闇市で扱っている物のせいだと思います。
「自業自得ということか。だが、
「羽振りがよく見えるような
「ううん……。
「たしかに。じゃぁ、もしかして……」
「はい。
「天意とはかくも無情な……」
「違いますよ。二人で決めた規則です」
「そう言えば、
「視線とか身振り手振りで命令していただければ察しますよ」
「そんな……。そんなに冷え切った関係性なの?」
「御曹司と護衛にそこまで仲が良い印象はありませんが……」
「偽名を決めるのはどう?」
突然振り向いた
「あ、あー……。『
「む、そうかぁ……。じゃぁ、設定は変えよう! 仲が良い設定にする。仕事じゃなくても二人だけで遊歴に出るくらい、仲良しの設定だから!」
圧が強い。
「しょ、承知しました」
満足げに頷く
二人は馬を壁外の厩舎に預け、徒歩で町の中へ入って行く。
立派な門が聳え立つ。
ふんだんに鉄が使われていることから、
「今まで気にしたこともありませんでしたが、門にもしっかり
「もしかして、他にも何か怯える理由があるのか……?」
二人は顔を見合わせ頷くと、周囲に注意しながら壁の内側へ進んで行く。
「これは……」
陽も落ち始め、町全体を夕闇が包むはずなのに、頭上や建物の軒先を彩る数多の灯篭がそれを許さない。
「一見するとあたたかな灯りで満たされた美しい光景だが、これが
「常に光の中にいないと拭えない不安とは、一体何なのでしょう」
無邪気に駆け回る子供達と、それを慈しむように見つめる大人達。
しかし、老年の人々は時折ふと我に返ったように顔をこわばらせている。
「
「わかりました」
二人が中へ入ると、扇を優雅に開きながら立つ
「
主人に向かって微笑む
「最上の部屋を三泊。布団は二組で一つは長椅子に。湯浴みは
「あやや! すぐにお釣りをお持ちします」
「必要ない。それより、早く部屋の支度をしてもらいたい」
「かしこまりました! すぐに準備いたしますので、お好きなところにおかけになってお待ちください。ご宿泊の間、いつでもなんでもお申し付けくださいね!」
主人は数名の従業員をともない、階段を駆け上がって行った。
「少しそっけない
「それよりも、この大金は……? 銅銭どころか
用意されている茶器から茶を注ぎ、
「たくさん持っていたら重くなってしまうんだもの。
「宿代だからまだいいものの、
「明日両替しないと」
「わたしが出すので大丈夫ですよ」
「だめ。
「わかりました。
「でも、両手いっぱいの
「大丈夫です。使わないときは
二人は主人の満面の笑みに見送られ、従業員に案内されて階段を上り、二人で宿泊するには広い贅沢な部屋へ入った。
「この部屋の調度品は全て皇帝家御用達の職人に頼んで作っていただいているんですよ」
従業員は丁寧に部屋とこの後運ばれてくる食事の説明をし、深く頭を下げて持ち場へ戻って行った。
「ということは、実家と同じってことだな」
「さすがです、
「だろ?」
二人は笑いながら上等な
ほどなくして運ばれてきた料理は豪勢で、合わせて飲む酒は
従業員は満面の笑みで下がっていく。
「お酒は全部
「
「はい。薬ならいくら苦くても辛くても飲めるのですが、お酒はちょっと……。薬酒も避けています」
「では、宴席では必ず私の隣の席を用意しよう。
温かい酒で頬がほんのり桜色に染まる
「ありがとうございます。
「私は少し顔が赤くなる程度で、まったく酔わないよ。酒盛りした直後でもすぐに戦場で指揮できるくらい」
「わあ、それは強いですね」
「母の実家、
まるで普通の家庭のように聞こえるが、
大切な人のことを語る柔らかな優しい表情に、一滴の墨も落としたくない。
(
両親や兄達の顔が思い浮かぶ。
大丈夫だよ、平気だよ、耐えられるよ。
どんな言葉も、家族を安心させてあげられない。
神仙の医書に記されている
「……ゆー?
「先に寝る?」
「いえ、大丈夫です。ごめんなさい。なんかぼーっとしちゃって」
「悲しそうな顔をしていたから心配になったんだ。悩みがあるのなら、知りたい。解決のために私にも手伝えることがあるのなら、聞かせてほしい」
誰もが求めうらやむ大切な人からの献身の手を、
振り払う勇気もなく、繋ぐ度胸もない。
「もしかして、戦闘中に息が白くなっていたのと関係があるのか?」
大きく心臓が脈打ち、用意していなかった言葉が動揺となって身体中に広がっていく。
発作でもないのに、胸が苦しい。
「すまない。話せないことなら、聞かないでおく。でも、いつか私になら教えても良いって思えたら、その時は話してほしい」
皿が次々と空き、食事を終えると、ちょうど湯浴みの時間になった。
従業員が案内に来て、そのまま食器を片付けていった。
「明日はいよいよ闇市だな」
「そうですね。闇市が開かれている建物が壁外の深い竹林の奥にあるので、道中気を付けて行きましょう」
「いくつかの地点に監視を置いているだろうし。仕方ないから
「とてもお上手です。身分の証明に、闇市の入り口でこちらを提示してください」
それは楕円形で、中心に一輪の曼殊沙華が彫ってある。
「これは
「壊滅させたことについてものすごく質問したいが、今は我慢しておく。設定については了解。受け答えで気を付けることはある?」
「いくつか用語があるので、こちらをご覧ください」
「今回探すのは春分と秋分の星図が書かれた墓誌、または
「そうです。三百年ほど前の風習では、一日の長さが同じになる春分と秋分をあの世とこの世の境が曖昧になり、混ざり合うと考えられていたので、その日の星図を刻んだそうです」
「なるほどね。ちなみに、ちなみにだけれど、その壊滅させたとき
「参加していましたよ」
「やっぱり!」
「その盗賊団は、元は武林の一派だったんです。それが、先々代の
淡々と話す
「そんなことが……。だが、江湖の一派がどうして党争に関わることになったんだい?」
「商売の縄張りにしていた州の節度使と癒着があったみたいです。その節度使が皇子の従兄弟だったと聞いています」
「ああ……、そういうことか。軍方の支援は貴重だからな。そこに江湖の勢力も加えることが出来たら、党争に有利に働くことも増えよう。血のつながった兄弟であっても、帝位を狙い争うこともある。それには必ず悲劇がついて回るものだ」
「今でも
「私達の関係が後ろめたいものになることは絶対にないから、ずっと仲良くしてくれると嬉しい」
「改まって言わなくても、わかっていますよ」
「ふふ。それならいい」
「さぁ、明日は忙しくなりますから、もう寝ますよ」
「そうしよう。御曹司役の腕の見せ所だ」
二人は幾つかの蝋燭はそのままに、それぞれの布団に入った。
もし誰かが悪意を持って近付けば、鎖が震え、